第60話艦隊帰投
また1か月ほど空いてしまいました
なかなか書く気力が起きず遅くなりました
9月も中旬を迎えつつあるころ、各鎮守府ドックを持つ造船所に相次いで鋼鉄の艨艟どもが入港していた。
彼女らは、8月の末に行われたトラック沖海戦にて、敵と激しい砲撃戦、航空戦を交わした結果傷ついた武勲艦たちである。
その激闘の結果、彼らは日本に再び勝利の栄光を手に入れさせたが、その反面日本海海戦のような完勝には程遠かった。
それというのも、敵戦艦の性能、などもろもろの性能の差にそこまでの差がなかったからである。
そのため、戦艦は機動部隊に随伴しており砲撃戦を経験しなかった、天城型2隻及び、「霧島」「比叡」以外の艦は皆傷ついており、戦果がなければ敗北の2文字があってもおかしくないと思えるほどであった。
だが、出撃時よりかけている艦は、目立つところではなかった。最終的に帰ってこなかった艦は、駆逐艦数隻のみだったのだ。
それは互いに、終始決定打を与えるチャンスを逃したこと、駆逐艦の性能で日本側が勝っていたからであった。
それは反面、敵にも十分な打撃を与えきれなかったともいえる。
だが、損害を受けた戦艦や空母以外の艦は逆に少なかったため、比較的修理を早期に終わらせる見込みがついていた。
それは製造力でアメリカに劣る日本にとっては、僥倖といって差し支えないだろう。
戦艦でも、喫水線下に被害が及んでおらず、ドック入りまでは必要のない艦もあった。
そのため、何とかドッグに入りきらない艦の数はほんの一握りで済んだのだった。
おおよそ、主力艦級を収めることのできるドックは、国内に10基ほどあり、そのうち建造中が大和型2隻に雲龍型2隻の4隻だったから、6か所ほどは、すぐに使える体制だった。
1か所は不測の事態があった場合に備えて開けておくが、差し引いても5隻同時にドック入りできる体制ではある。
また巡洋艦の建造も進められているが、これらはワンランク下のドックももしくは、船台で行われているため問題ではなかった。
現在海軍が計画及び建造中の巡洋艦は、阿賀野型軽巡3隻と改鈴谷型重巡4隻である。
それらは、できる限りドックをふさがないよう建造計画が立てられていた。
そのため全艦が完成するのは、1945年の初めとなっていた。
また呉と横浜で建造中の大和型3,4番艦は1944年中期以降に竣工する予定である。
そのため全国の造船所は、艦艇の建造修理に大わらわの状態だった。
それは敵である米国とて同じはずであったし、逆に同盟国である英国は建造に注力してることだろう。
「「長門」が帰ってきたぞ」
見物人の一人が、呉の湾内に侵入してきた鈍い輝きを放っている武勲艦に向けていった。
「やっぱりやられたようだな」
そんなため息が聞こえたような気もした。
帰投してきた主力艦、「加賀」「土佐」「長門」「陸奥」彼女らは一様に艦上に被弾の後を、隠す気もないようにあらわしていたのだ。
だが、誰もこの程度で世界に誇れる艦艇が沈むとはつゆほども思っていない。
それは、皆が帝国海軍に抱いている信頼と変わらないことなのだろう。
だがやはり、そんな彼らが傷ついて帰ってきたことに、衝撃を少なからず受けているようではあった。
そんな傷ついた艦影をさらしている彼らも、修理がなれば再び出撃していく。
彼らに牙をむく敵を殲滅するために。
今はそれまでの一時の休憩だった。
それは、呉以外の横須賀佐世保舞鶴の各工廠でも見られた。
「これはまた、忙しくなりますね」
「ああ、これほど大規模な修理業務は平時には回ってこないからな」
「しかし、ドックが足りてよかったですね」
「これも佐世保と横須賀に新設されたドックのおかげだ。
横須賀のほうは110号艦が占拠してるが、その分ほかに戦艦の入渠を回せたからな」
「造船官として、各館の損傷状況を調べ上げねばならないですからね」
そう福井造船大尉は、牧野造船中佐に言った。
言動がそう固くないのは、長く一緒に仕事をしているだろう。
彼らは、損傷艦の被害状況の捜査及び、修理計画の概要の立案が求められていた。
理由としては、牧野が帝国海軍最新鋭の戦艦、大和型の設計に携わっていたからだった。
そして福井はその副官、という立場で派遣されていた。
まず彼らが向かったのは、日本最大の軍港である呉だった。
呉には、先に記したように、長門型以降の八八艦隊計画戦艦4隻が入港していた。
だがその中でも「土佐」は第3砲塔第5砲塔を失うという最大の被害を受けていた。
また、「長門」「陸奥」の両艦も、格上のノースカロライナ級と同等のコロラド級とあたったため、1基ずつ砲塔を破壊されていた。
唯一砲塔を破壊されなかったのは、「加賀」1艦だけというありさまだった。
「これは、八八艦隊計画が、未完に終わったことに感謝しなければいけませんね」
牧野に向けて福井がそう言った。
彼のいう通り、41センチ砲塔は、八八艦隊計画艦用に製作されたが結局建造中止に半分以上の艦がなったために、ストックが相当数あったのである。
そのため、ストックがなくて修理できないということはなかった。
これは、物がない日本海軍としては珍しい部類のことであり、ラッキーといっていいだろう。
だが、修理自体の時間が短くなるわけではないから、たちが悪かった。
砲塔が破壊されたということは、必然的に砲塔基部の部分もやられているということである。
すなわち給弾機が破壊されてるやら、艦体構造がゆがんでいるやらである。
それらを修理しなければいけないのだ。
だが、これは被害が浅ければドックに入ることまでは至らない。
艤装もしくは補修桟橋でも十分できる作業だった。
そもそも艤装工事はドック内では行わないのだから、当然といえば当然だった。
「その通りだが…これは大変なことになるぞ」
二人は現在、ドックに真っ先に入れられた「土佐」の最上甲板にいた。
そして目の前には破壊された、第3砲塔の姿があった。
もともと、鋼鉄製の装甲で周囲全てを固められていた砲塔は、比較的装甲の薄い天蓋をちぬかれたようだった。
だが距離は2万メートル前後であり、大落角弾ではなかったことが弾薬庫の誘爆という最悪シナリオを防いだようだ。
おそらく砲弾は、天蓋を貫き砲塔尾部の壁に当たった時に炸裂したようだ。
そのため、衝撃がほとんど抜けなかったため、内部構造物で原形をとどめているものはなかった。
全員戦死も、うなずける惨状だった。
これでもしもっと、敵弾に角度がついていたら、被害は拡大していたに違いなかった。
弾薬庫に誘爆まではいかないものの、砲塔基部へのダメージは広がっていたはずだ。
それよりはましとはいえ、基部への被害がないわけではないのが厄介だった。
それに被害は、砲塔周りだけにとどまっているわけがなく、艦全体に被弾痕が広がっていた。
それは直撃弾のもたらした被害だけでなく、至近弾の断片被害もあった。
また木製甲板は、無傷な個所がないのではないか、そう思えるほどいたるところがささくれたったり、めくれあがったりしていた。
これほどの被害はやはり海戦が壮絶なものであったかを、最前線に出ていない造船官二人に認識させるに十分だった。
もう日露戦役を経験してるものはほとんど海軍に残っていなかったから、当然といえる。
「もし艦隊が被害を恐れ、遠距離砲戦を行っていたら、もっと被害が広がっていたでしょうね」
「その分、舷側に相当被弾してるから一概には言えないが、貫通されてない分そっちの修理のほうが手間がかからないのは確かだ」
「しかし、貫通されていたら最悪の事態もあり得た。
そういうことですね?」
「そうだ。
だが、「土佐」でさえ、この被害だ。
よくもまあ、長門型がやられなかったな」
「しかし、長門型は加賀型より装甲が劣るとは言いますが、41センチ砲艦にしては薄すぎるということもなかったはずです」
「その通りだが、やはり加賀型にはどうしても劣ってしまうからな。その点むしろ被害が少ないっていうんだから、相手が下手だったのかもしれないな」
それは一概に違うとは言えなかった。
相手は、ポスト条約戦艦のワシントン級であり格上といって差し支えない相手だったのだから。
砲門数でもすでに1門のハンデがあるのだ。
それでも被害の少なかったのはやはり練度の差としか言いようがなかった。
話を「土佐」に戻す。
幸いにも、舷側装甲を射抜かれたわけでなかったため、比較的修理はスムーズに進みそうだったが、それでもほかの第一戦隊の両艦よりは時間を食うのは確実だった。
どう頑張ったところで、年末いっぱいは、修理だけで終わる。
それは決定事項だった。
だが正確にどこまで掛かるかは、全艦の調査が終わらないことには何とも言えないところがあった。
どの艦に資材を、集中するのかなどの問題である。
特に時間がかかるのは、複数の砲塔を失った艦たちである。
だが、どんなにかかっても来年の6月にはすべての艦の修理を終えろ、という命令は来ていた。
それは、それまでにアメリカは戦力の回復させ、さらに充実させるだろうというのが確実だったからだ。
そのころはまだ、大和型3,4番艦は竣工しない。
すでに最大限急いで進めるようにはしていたが、それでも、一番早くて、1944年の初めであり、確実なのは1944年の6月ごろだという。
そのため、武蔵の後1943年中、日本海軍は新戦艦を補充できないのだ。
これでは、アメリカに差を広げられてしまう一方だ。
そのため修理を急ぐ必要があるのだ。
「ここは、イギリスさんに頑張ってもらう番ですね」
福井は、そう言った。
同盟国であるイギリスの力を頼れば何とか1943年の危機も乗り切れるだろう。それは、海軍の希望のようなものでもあった。
なぜか、イギリスはすでに、キングジョージ5世級を5隻建造し終わっているからだった。
すなわち、クイーンエリザベス級以降の艦だけで21隻という恐るべき数の戦艦を、保有しているのだ。
さらには、16インチ3連装3基搭載のオライオン級戦艦の建造も、進められているという。
確かに、米国艦隊がいつ本土に来襲するかわからない状況であるし、ドイツとも何があるかわからない状況であったが、現在の4隻から、もっと東洋艦隊に回す艦を増やしたとしても問題はないように思われた。
すでに米軍の太平洋艦隊は壊滅しているといっても過言ではないのだ。
確かにいつ戦力が回復するかわからないところであったが、新鋭戦艦は5隻しか残っていない。もうすぐ就役するアイオワ級を含めてもだ。
さらに、モンタナ級の建造を進めているとはいえ、そちらの就役にはまだ時間が必要だろう。
ということは、旧式戦艦を繰り出すにしても、まさか太平洋に戦力を回さないということはりえない。
最低でも、10隻あれば事足りるのではないかというのが、軍令部の考えだった。
だからイギリス本国の考えは、足りないと考えてるのかもしれなかった。
またドイツ、イタリア艦隊に対する備えといわれれば、10隻では不安が残るところである。
だから現在水面下で、最低でも中立条約の締結に向けた交渉が行われている。
それがなれば、少なくともヨーロッパ大陸に対する備えは、最低限で済むようになる。
もし軍事同盟まで行ければ、むしろビスマルク級やヴィットリオ・ヴェネクト級などの、ドイツ、イタリア、の有力艦が味方に入ることも考えられた。
それがなれば、大平洋に大戦力を送ることも可能ではないかとも考えられた。
また、連合艦隊と軍令部の今日の考えとしては、クイーンエリザベス級戦艦5隻を回してほしいというものだった。
それが来れば、既存の4隻と合わせて、東洋艦隊だけで、9隻の戦艦があるということになる。
また日本海軍の即時稼働可能な、5隻と合わせて14隻の艨艟どもが稼働可能となれば十分米海軍を圧倒でき、損傷艦の修理にも余裕ができると考えらえていたからだ。
アメリカ海軍の最大戦力は、新鋭艦で見ると9隻、旧式艦は10隻、合わせて19隻というところだろう。
やはりトラック沖海戦で、6隻もの戦艦を失った事実がさすがのアメリカにも重荷となっているようだ。
だが新鋭戦艦はまだ追加建造の可能性もあるため、油断はできなかった。
だが、イギリスは現状で21隻もの戦艦を保有し帝国海軍も、5隻の艦が即時可能でった。
合わせて26隻という、数である。
最早どうあがいても、イギリスが負ける道理はなさそうだった。
いえるのは、16インチ砲艦が、本国にないのが不安要素であるぐらいだろう。
ならば、ならば、東洋艦隊に9隻派遣しても12隻は残るのだ。
それだけの艦を回す余裕は、米軍にはないはずだから、強く要請すれば可能だろう。
「イギリスが同盟国でよかったと、思いますよ」
福井は、英海軍の艨艟たちを思い浮かべながら、いった。
「すでに4隻が東洋艦隊にあるからな。
しばらくは戦力面での不安はないだろうな。
いくらなんでも、アメリカも36センチ砲艦を主体に攻めてくるということはしないだろうからな」
牧野はそう、自分に言い聞かせるように言った。
もしかしたら安易な、修理簡略化を行わないための、自戒のようなものだったかもしれない。
それほど彼らは、敵におびえていたともいえた。
呉の4隻が終われば次は、距離が近く「大和」が入港した佐世保に向かわなければならない。
彼らの仕事はまだ、始まったばかりなのだ。
第60話完
次の戦いに向けて、みたいな話です
のんびりとした更新ですけど、見守ってもらえると嬉しいです
エタル気はないので安心してください
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