第58話エニウェトク環礁沖海戦
これにて第1章終了です
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調子によりますが、夏休み中は、2~3日ごとに更新できるといいなと思ってます
「ようこそいらっしゃいました提督」
そう、1航戦の僚艦「愛宕」に降り立った、南雲を艦長が迎え入れた。
第一航空艦隊首脳部は、敵機による空襲終了後飛行甲板を破壊され戦闘不能に陥った、「高雄」から司令部移乗を行う決定を下した。
移乗先の艦艇はすぐに決定された。
だが、敵機や潜水艦に対する警戒の必要から、今まで遅れたのだ。
議論が開始された当初は、「高雄」の損傷が少なかったため、わざわざ司令部を移す必要はないのではないか?との意見も強かった。
しかし、戦闘可能な艦にいたほうが、素早く指示を出せること損傷が予期せぬところまで広がってしまってる恐れもあったため、結局司令部を「愛宕」に移すことに決定したのであった。
そして、内火艇に司令部要員が乗り込み、「愛宕」に向かったのである。
「ご苦労だった。
しばらくの間ここにいさせてもらう。
今までいなかったから突然のことで戸惑うかもしれないが、元旗艦がこの様子だからな…」
「いえ、気になさらず。
むしろ、第一航空艦隊の司令部を迎え入れる機会があるとは思ってもいなかったので、光栄です」
そう、愛宕艦長の横川市平大佐は言った。
これまで、「愛宕」は1航戦の2番艦の座に甘んじてきたのだから、当然かもしれなかった。だが、しれ部員が増えるということはその分、指揮系統がややこしくなるかもしれなかったが、そこまでは考えていない。
「「翔鶴」も「高雄」もやられたが、沈没しなかっただけましか…」
南雲はそうつぶやいた。
彼の視線の先には、傾斜を起こしながらも艦隊に追走してくる「翔鶴」の姿と、黒煙をたなびかせている「高雄」の姿があった。
どちらも、敵機の攻撃によって深く傷つけられたが、応急修理が功を通し残存していた。
「しかし、その分艦隊行動が制限されてしまいますが」
参謀長の草鹿が言った。
そのころ第一次、第二次攻撃隊はともに艦隊への帰途についていた。
当然第一次攻撃隊のほうが、距離は近い。
どちらも、九七式艦攻を大分失っていた。
第一次攻撃隊として飛び立った72機の、九七式艦攻のうち帰艦への徒を歩んでいるのは、30機程度に過ぎなかった。
半数を超える機が敵戦闘機の邀撃と敵艦による対空砲火の餌食となった。
それで与ええた損害は、4隻に対する撃破のみである。
撃沈した艦はなさそうだった。
いや確認する暇を与えてくれなかったというべきか。
帰途についた機もほとんどが被弾しており、主翼外板がめくれ上がっている機、胴体に描かれた日の丸の部分が貫通され、大半を消し飛ばされている機、などなどであった。
よく飛んでいられるなと、思わないでいられない機も少なくなかった。それは、この空襲が以下に激戦であったかを表しているようでもあった。
そして護衛の零戦も、数を減らしている。
96機がとびだったうち、70機ほどが、帰艦していた。
だがやはり、軽快さが売りの零戦だけあって被害はワイルドキャットとの空戦によって被ったのがほとんどだった。
いくら零戦が格闘性能に優れていようと、それは極限まで重量を削った結果であり、その分打たれ弱くなってしまっているのだ。
それでも十分だろう。
それに敵艦隊に機銃掃射を仕掛けた零戦隊だって、無傷ではない。
合わせて20機少しと言うのは、上出来と言えるのではないだろうか。
そんな零戦たちも激戦の傷跡を残している。
そのため、出撃していった時のような華麗な編隊を組むということはできておらず、3機小隊のはずが2機になっていたり、その幅が極端に大きくなってしまっていた。
また全機がそこにそろっているわけではない。
1機はぐれ先行したり、遅れてしまっている機や、小隊ごと別行動をとっている場合も散見された。
それは、機動部隊同士が激突した場合の航空機の損害が生半可なものではすまないことを示していた。
中には帰艦の徒についているものの、今にも力尽きそうになっている機もあった。
そのころ、第二艦隊旗艦「天城」の艦橋では、敵艦隊を追撃すべきか否かの議論が行われていた。
すなわち、敵艦隊は撤退するのか否かである。
「敵艦隊、うち空母1戦艦1を撃破したと報告書にはある。
ということは、夜戦もしくは上陸作戦を挑んでくるとは考えづらいが」
そう近藤司令官はいった。
「しかし、肝心の輸送船弾は無傷ですぞ」
だが、参謀長が異論を唱える。
確かにそれはそうだった。
「利根」1号機は、機動部隊だけでなく区報を行く輸送部隊も発見していたのだ。
しかし追撃を行うにしても、戦力は巡戦4と重巡部隊程度しか残っていない。
敵に豊富な補助艦艇が残っている以上、機動力の高い艦艇を、むやみに突っ込ませることに対するメリットは少なく感じられたし、無用な損害を出すことも危惧された。
結局のところ、敵に十分な戦力が残っている以上、むやみに突撃するのは、駄作ではないかという意見が台頭してきた。
せっかく敵に大きな損害を与えたのにもかかわらず、欲張ってまでやることと思えなかったのだ。
特に、イギリスと同盟を結んでいるといっても、イギリスはイギリスで、ドイツと緊張状態にあるため、特に補助艦艇の面の援護はそれほど期待できないと思われた。
なぜか、ドイツ海軍が通商破壊を主な戦術としているために、輸送船を護る駆逐艦や軽巡が重要だからである。
そしてすでに開戦状態にあるアメリカは、ほとんどの全力を太平洋に集中していた。
特に条約明けの新戦艦は存在しなかった。
そのため、開戦自体していないドイツに対するけん制として戦艦群をスカパフローに置いておくのは、ただの飾り物になってしまうのではないか、せっかく国家予算を大量につぎ込んで整備した意味はあるのか、という疑念が出てきたのだ。
ならば少数でもいいから、日本に援軍として派遣すればいいのではないかという考えになるのは、自然なことだった。
幸い、アメリカ海軍は日本との戦いの備えで、大西洋の戦力は薄くなっていた。
だが、駆逐艦などはというと、前述の理由からそう多くは期待できなかったのである。
「撤退する」
最終的に、近藤第二艦隊司令官がそう命令を下し、その話は片が付いた。
それによって、トラック、エニウェトク環礁周辺に集っていた、日米双方の全力である黒金の大艦隊、そのすべてが、進撃を停止し、自衛行動のみに専念することになったのである。
結局、アメリカ軍の上陸作戦は敢行されることはなかった。
トラックは健在であった。
ここにすべての戦闘が終わり、3海域で起こった海空戦終幕を迎えることになったのであった。
日米双方の思惑がまともに正面から衝突した結果、日米戦争の初戦は世界開戦史上空前の規模のもと行われた。
だが、戦力がほぼ拮抗していたためか、やや日本が優勢だが、全体的にはほぼ引き分けという煮え切らない結果になった。
だがもっと視点を大きくすれば、米海軍の上陸作戦を完全に打ち破った、日本海軍の勝利と言えるだろう。
ここに、まれに見る海空戦の連続となる、太平洋を舞台とした戦いが始まったのである。
「日本海軍が、米海軍を打ち破った」
そのニュースは、すぐさま全世界に広まった。
「日本について、今のところは正解だったようだ」
そう首相官邸で、キィストンチャーチル英大統領は言ったという。
それは、日英双方の関係をより深いものとした。
今や、イギリス全土が、日本海海戦の大勝利以来の友邦の勝利に沸き立っていた。
「日本が勝ったのか…」
そうイギリスと決定的な断裂はしていないものの、緊張状態にあるドイツ第三帝国の総統ヒトラーはつぶやいた。
今は、アメリカとの距離を縮めようと画策していたが、ドーバーを挟んだ反対側にある、海軍国と対立すべきではないと思い始めていた。
今は勝ち馬に乗るべきではないかと。
すでにソ連という強大な敵と戦ってはいたが、海軍らしいものを持たないソ連相手には、海軍兵力特に戦艦などは無用に近いものになっていたのだ。
海軍国としてはまだ二流でしかないドイツにとってそれ自体は幸運であったが、今度は戦艦無用論のようなものが出てきたのだ。
戦艦に燃料を使うのなら、陸軍に回せである。
だが、そこまでのことはヒトラーが完全に阻止していた。
なぜか、目の前に世界三大海軍の一角を占めるイギリスがいたし、隣にはリシュリュー級等の艦を持つフランスがいるからだった。
そのころ、ホワイトハウスの主人であるルーズベルトは、顔色を悪くしながら海軍長官の報告を聞いていた。
出撃したのは、全部隊合わせて、戦艦13隻、空母3隻、重巡10隻、軽巡11隻、駆逐艦72隻、軽09隻を数える威容であった。
だがそのうち、「コロラド」「カリフォルニア」「インディアナ」「ニューメキシコ」「ミシシッピ」「アイダホ」の6戦艦、重巡「ボストン」駆逐艦複数が沈没し、残存するすべての戦艦、空母「エンタープライズ」重巡「インディアナポリス」など多数の艦艇が損傷をこうむった。
流石のアメリカ合衆国にしたところでこの打撃は小さくない。
それに、敵国にはアメリカとも同等の海軍力をもった、イギリスが全くの無傷で残っている。
日本海軍には相応の打撃を与えたようだが、敵戦艦を沈めたとの報告はない。
完全にアメリカの敗北といってよかった。
せめてもの救いは、工業力という面で敵国をはるかに上回っているということだろう。
すでに損傷間の修理のための資材収集が開始されていたが、来年の初めにはほぼ全艦の修理が負えられるとの試算が出ていた。
さらに新造艦もアイオワ級2隻をはじめ、16インチ砲12門を搭載するモンタナ級4隻の建造も進められている。
またモンタナ級に関しては、更なる建造も考えられていた。
だが航空母艦はというと、最低限ということでエセックス級4隻が計画されただけだった。
というのも、空母では選管は沈められないということが分かったため、日本海軍と対抗できる数をそろえられればいいという考えになったからだった。
また、巡洋艦はセントルイス級軽巡とボルチモア級重巡の2形式が建造されることになった。
駆逐艦は、フレッチャー級のみである。
そうすることで最大限の高率で建造を推し進めようと考えたのだ。
だが、今すぐにこれらの艦ができるわけではない。
しばらくは今ある戦力をやりくりしながら、戦線を守り切る必要がありそうだった。
「勝ったか…」
島田繁太郎連合艦隊司令は、そう戦果報告を聞きながらつぶやいた。
だが油断しては勝てない相手だということもよく分かっていた。
だから彼としても手放しで喜ぶことはできなかった。
すでに大本営発表というかたちで、全国民に今回の戦勝は伝えられている。
すでにちょうちん行列を行っているところもあるくらいだ。
海戦があったのが、8月28日であり今は翌日の29日である。
だが、島田としては少々発表の威勢が良すぎたのではないかと思っていた。
敵はかの日露戦役の時に勝利を収めたロシアと比べても強大だ。
しかも、バルチック艦隊のように敵艦隊を一網打尽にできたわけではない。
絶対に戦力を整えて襲い掛かってくるに決まっていた。
確かに同盟国として、イギリスが日露戦役の時同様にあったが、主体はあくまで日本海軍であるし、イギリスとしても本土の守りを大名草理にしてまで駆けつける義理はない。
なんせ相手はあのアメリカだ。
物量作戦で右に出るものはない。
それは世界三大海軍国のうち2国を敵に回したところで変わらないだろう。
よって、彼としては戦果よりも戦力の消耗が少なかったことにまず安堵していた。
いくら戦果を挙げたとしても、こちらの被害も多いのでは本末転倒であるからだ。
こちらも、機動部隊に所属した、「天城」「赤城」「霧島」「比叡」以外の艦はすべて何らかの損害を受けていた。
また空母は、「高雄」「翔鶴」の2隻が損害を受けただけだったが、航空隊は大きな消耗を強いられていた。
だが、沈没艦がなかったことは、空母の新造が、雲龍型2隻しかない今ではちょうどよかった。
どちらにせよ、すぐに新たなる作戦を開始することはほぼ無理だった。
だが、戦艦「武蔵」現在訓練中であり、遅くとも12月には戦力化のめどが立つだろうということだった。
時期作戦では、イギリス東洋艦隊が参戦するという約束をすでに、イギリス本国と交わしていた。
だが残念なことに作戦目標の策定の段階で会議は紛糾しそうだった。
なんせ開戦があまりに性急だったからだ。
まだ戦備計画すら立てきれていない。
幸い連合艦隊は何があってもいいように有事に備えていた甲斐があり、勝利を飾れたが、それもかなり危うい橋を渡っていたのだ。
現在は、大本営にて海軍陸軍双方が、会議を戦わせる時だった。
またすぐに作戦が建てられたとしても、連合艦隊委それにこたえられる戦力もなかったから、それはそれでよかったのかもしれなかった。
今はトラックに、損傷のなかった、「霧島」「比叡」「天城」「赤城」の4巡戦と、「飛龍「蒼龍」2隻の航空母艦をはじめとする艦隊が、臨時で配備されているに過ぎない。それらの艦にしたところで、しばらくアメリカの動きがなければ、水雷戦隊クラスの戦力だけを残して撤退することになっていた。
それは乗員の疲労や、危機の損耗は避けえない事象であるからだ。
「飛龍」「蒼龍」2隻の航空母艦にしたところで、撤退するほかの母艦から艦載機を移動させることで何とか、機数を確保しているありさまだった。
空母に関しては、艦載機の消耗がこの2隻のみの残留を決めたのだ。
そして、日英、米各国は新たある作戦に向け、消耗した戦力を立て直すため、積極的作戦にしばらく出ることはなかった。英に関していえば、新たなる作戦に向けという部分のみが当てはまる。
それはすべての艦艇に当てはまり、艦艇が海中に永遠の眠りにつくことも、ほとんどなかった。
トラック沖、エニウェトク環礁沖の大海戦からしばらく、太平洋は不気味な静けさに包まれることになる。
そのことをのちに、静かなる戦い《サイレントウォー》と呼ぶことになる。
しかし、その期間が終わると同時に、太平洋は新たなる戦火に包まれることになるのだ。
それがいつになるのかは、時期作戦要綱が完成するまで誰にもわからなかった。
だがその代わり諜報戦は、静かにだが激しく行われており、そのことだけが軍関係者に対し戦争が続いていることを認識させていた。
第58話完
第1章トラック沖海戦完
ほぼ1年をかけた第1章、ようやく終わります
ここまで読んでくださった皆さんありがとうございました
これからもよろしくお願いします




