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南溟の艦隊  作者: 飛龍 信濃
プロローグ
3/66

第2話ワシントン軍縮条約締結 海軍休日の到来

と言うことで、問題の軍縮条約です

第一次世界大戦が集結してから3年がたった1923年の8月アメリカのワシントンにて、世界史史上初の軍縮会議が行なわれた。

なぜアメリカで行われたかと言うと、当時のアメリカ大統領ウォレンGハーディングの呼びかけによって行われたからである。

この会議におけるアメリカの全権代理はチャールズ エバァンス ヒューズ国務長官であった。

そして日本側は財部 彪海軍大臣、イギリスはアーサー バルフォア外務大臣が全権代理として会議に臨んだ。

そして会議の席上まず発言したのは、ヒューズ外務大臣だった。

彼は開口一番こう言い放ったのである。

「我が国は、大幅な軍縮を行う準備がある。」

そう言って彼は、その内容を提示したのだ。

そこには建艦中の艦の廃棄などが明記されていた。

なぜ彼が、ここまで思い切った提案をしたのか。それには合衆国の経済事情が関係していた。

アメリカは、大戦後貿易でかなりの収益を得ており失業者も大幅に減少していたのだ。

その為、なぜ金のかかる戦艦を作る必要があるのか?という声が高額納税者層を中心に巻き起こったのである。

その為ハーディング大統領は、他国と降りにならないように、軍縮会議を招集したのである。

これなら条約で定められた範囲内で、収めることができる。

そもそも、戦艦を多量に建艦したのは失業者対策の他に、大日本帝国や大英帝国の建艦に危機感を抱いたからであった。

だがここで、戦艦の保有量を決定してしまえば、歯止めをかけることが出来る、そう考えたのだ。

そして、その後彼は次のような案を提示した。

戦艦保有量アメリカ、イギリス10日本6イタリア、フランス3、5。

それが彼の提示した、条約案だった。

だがそこでアメリカは、日英両国からの激しい反発にあった。

まず反論したのは対米6割に抑えられた、大日本帝国全権代理財部 彪大将であった。

「なぜ我が国が、貴国の6割に抑えられなければいけないんだ?それを話し合いもせず勝手に決めようとするなど、道理が通って無いではないか?」

彼はやんわりとだが、力強く反論した。

「それは貴国の経済力などを、考慮に入れたからですよ」

「それはおかしいではないか?我が国の事情はアメリカには関係ないだろう」

その主張にさらに、大英帝国が同調したように言った。

「だいたいが、戦後の経済疲弊による負担増加と建艦競争に歯止めをかけるのが、本会議の目的でしたな。しかも貴国は対戦に全くと言っていいほど関わって無いではないか。そんな国に、勝手に比率を決められるとは、おかしいではないか!」

「ですから、その負担を減らすためにも経済力が低い日本は、低比率にしたほうがいいでは無いですか」

ヒューズ外務大臣は思わぬイギリスの反論に戸惑いながらも、即座に反論した。

なぜなら、イギリスをどう比率にすれば反論がくるのは、日本からだけそう考えていたのである。

「我が国が参戦し無かったのは、参戦するに足る大義がなかったからですよ」

彼は、内心なんで参戦し無かったんだと悪態をつきながらも、冷静な口調で言った。

「成る程、貴国の方が多大なる血を流した我が国や英国よりも、立場は上そう仰りたいのですか?そもそも我が国や英国はこの会議に参加する必要もないのに、わざわざ来たんですぞ!それなのに、なんですか?この扱いは?」

「まあまあ落ち着いてください。これはあくまで我が国が提案する内容ですから、詳細は会議によってけっていしましょう」

ヒューズ外務大臣はそう言って、会議を続行させた。

だがこの日は、アメリカが最初に出した試案が影響し、ただただ論争に明け暮れただけで、実りのないものに終わっていた。

特に日本、イギリス両国が反発したのが、同条約の試案に日英同盟の破棄が含まれていたことであった。

現在の日英関係は、蜜月関係と言って良いほど良好であったのだ。

また、戦勝国でもないアメリカが大きな顔をしているのにも、反発を強める一因になっていた。

その為、日英両国はアメリカが危険な国であるとの認識を強める事になり、より接近した関係を持つことになる。

そして、数日後第二回の会議が行なわれた。

その日は、開始直後にバルフォア外務大臣がまず発言した。

「この1点だけはどうしても排除して欲しい。それは日英同盟の破棄。という点だ。なぜ貴国に我が国と日本との同盟関係にまで口出しされなければいけないのかが、理解できない。

そもそも、我が国も日本も貴国と敵対関係にあるわけではないではないか?」

「そうと言われましても、緊張感が無いわけでは無い。それに代わりにアメリカ、イギリス、日本、イタリア、フランスの5カ国による5カ国条約を提案しているではないですか」

ヒューズ外務大臣は、こと何気にそういった。

それには、財部全権代理が反論した。

「それはそれで別個に結べば良いではないか?なぜ同盟関係を解消する必要がある?別に比率さえ変えてもらえれば、我が国は5カ国条約を批准していいのだぞ」

「比率の話は置いといてですね、別に同盟を破棄したからといって、関係が悪くなるわけではないでは無いですか?」

「それを貴国に言われるいわれはない!我が国がここまで不利になるような条約を締結する気にはなれない。最低でも日英同盟の継続と貴国との同比率は認めてもらいたい」

「ですが、それは我が国としても認められません」

結局この日も、この様な論争に終始することになった。

この調子で会議がしばらく続くことになってしまった。

その為結局、条約が締結されたのは、翌年の5月の事だった。

結局、日本側の要求が通った形となり、戦艦保有量はアメリカと同等の10割が認められたのである。

だが、空母の保有量は6割に抑えられたままだった。

それは日本側も、それほどの艦隊を維持する自信がなかったからである。

またここでは、2隻まで3万3000トンの空母の保有が認められた。

その枠を使い、日米は2隻の巡洋戦艦改装空母を建造することになる。

またこの条約では、日英米4隻の40センチ搭載艦の新たな建造もしくは、建造続行が認められていた。

そこで日本はすでに2隻の40センチ砲搭載艦を就役させていた為、計6隻の40センチ砲搭載艦保有することになった。

またアメリカも、すでにメリーランド1隻を保有していた。

その結果、未だ40センチ砲搭載艦を保有していなかった英国が、損をする羽目になったのである。

結局保有量は日英米50万トン+その範囲内で基準排水量4万トン程度の4隻の40センチ搭載艦となった。

すなわち、50万トンの中で新たに4隻の40センチ搭載艦を建造して良いのだ。

そうすると当然超過してしまうため、その艦が就役すると同時にその分の艦を削減する必要が出た。

そのためその超過分の艦も合わせて処分することになった。

その結果、日英米各国が条約締結時に保有する戦艦は次の通りである。

日本

35、6センチ砲搭載艦

巡洋戦艦「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」

戦艦「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」

40、6センチ砲(41センチ砲)搭載艦

「長門」「陸奥」

アメリカ

36、5センチ(14インチ)砲搭載艦

「ニューヨーク」「テキサス」

「ネバダ」「オクラホマ」

「ペンシルベニア」「アリゾナ」

「ニューメキシコ」「ミシシッピ」

「アイダホ」

「テネシー」「カリフォルニア」

40、6センチ(16インチ)砲搭載艦

「メリーランド」

イギリス

38、1センチ(15インチ)砲搭載艦

巡洋戦艦「レナウン」「レパルス」

戦艦「クイーンエリザベス」「ヴァリアント」「バーラム」「マレーヤ」「ウォースパイト」

「リヴェンジ」「レゾリューション」「ラミリーズ」「ロイヤル・サブリン」「ロイヤル・オーク」

それを条約調印前確認した財部全権代理は、ほっとしたように「何とか互角に引き上げられたか」と言ったという。

確かに隻数だけ見るならまだ日本が劣勢であったが、41センチ砲搭載艦の数では日本が一番であったし、排水量に余裕があるため、より強力な艦を送り出せるだろう。

また日本には一つの幸運があった。

現在建造中の巡洋戦艦「天城」が、それであった。

なぜなら、条約会議が始まる直前に進水していたため、1923年9月1日に起こった関東大震災の難を逃れていたのである。もし条約会議の開催が数ヶ月速まっていたなら、建造中断状態で船台上に放置されることになり、大震災に巻き込まれ大損害を被っていただろう。

そして日本は、その天城型巡洋戦艦の「天城」「赤城」の2隻と「加賀」「土佐」2隻の戦艦を建造していた。

これら天城型、加賀型は双方とも41センチ砲を連装5基計10門搭載しており最大の打撃力を持っていた。

さらに天城型巡洋戦艦は、巡洋戦艦と言いつつも長門型戦艦を上回る防御装甲を持っており、実質的な高速戦艦と呼べるものだった。

そして加賀型戦艦は、速力以外の面で天城型巡洋戦艦を超越しており、更にその重装甲にもかかわらず26ノットの速力を出すことができた。

そのため、日本海軍にしては中速艦である加賀型戦艦でも、フッド級やレキシントン級巡洋戦艦以外の艦の速力を大きく上回っており、高速戦艦と言っても過言ではない性能を持っていた。

また、天城型の3、4番艦「高雄」「愛宕」の2隻は、条約で許された空母へ改装されることになった。この2隻は、日本最初の空母である鳳翔の運用を基にして、改装されることになったが、イギリス空母のフューリアスを参考にしたために、3段空母という飛行甲板が3段ある形で就役している。

もっとも、のちに単段式に改装されている事からも使い勝手が良くなかった事が分かるだろう。

また、イギリスではこの条約を受けて就役中の「フッド」と建造再開された2番艦の「フランシス・ドレーク」の2隻を16インチ砲搭載艦に改造することに決定した。

また1925年には、新設計の16インチ搭載艦「ネルソン」「ロドニー」の建造を開始した。

この2隻は、艦の前部に9門の主砲を集中配置しており、後方に撃てない代わりに、前方の敵に全ての砲門を集中させることができた。

また、フッド級巡洋戦艦は当初の計画では、水平装甲があまりに薄かったため、水平装甲を100ミリに強化していた。そのため、最大速力が28ノットに落ちてしまっていた。

そのため、最大速力が30ノットを出せる天城型巡洋戦艦にすべての面で、水を開けられる結果となった。

だが、弾薬庫周りの装甲も同時に強化されたため、ユトランド沖海戦において、「インヴィンシブル」などイギリス巡洋戦艦3隻を襲った、弾薬庫誘爆による轟沈の危険はかなり低いものとなっていた。

そしてアメリカでは、コロラド級戦艦が残り2隻「コロラド」「ウエストバージニア」そして、レキシントン級巡洋戦艦「レキシントン」「サラトガ」の2隻が建造された。

そしてコロラド級戦艦は元が35、6センチ砲搭載戦艦として計画されていたため、装甲が計画ではそこまで厚くなかった。

そのため、大幅な装甲強化が行われた。そのため重量が増えたが、機関の出力を増すことによって21ノットの速力を保っていた。

またレキシントン級巡洋戦艦は水平装甲が薄いが、最大速力は33ノットと最も早く、対巡洋艦キラーや空母の護衛艦として期待されていた。

そしてレキシントン級4、5番艦の「コンスティレーション」「コンスティテューション」の2隻が空母に改装されることになった。

なぜ3番艦ではないのかと言うと、3番艦の「レンジャー」よりも、「コンスティチューション」の方が工事が進んでなく、空母への改装が容易であると海軍上層部が判断したためである。

この様に、各国はそれぞれの思惑の元で新戦艦を建造したのである。

そして、この一連の40、6センチ砲搭載戦艦が竣工してから、暫くは新戦艦の建造がなくその後海軍休日(ネーバルホリデー)と呼ばれることになるのである。

第2話完

と言う風に、どこの国も40センチ台の戦艦作りまくり?ます

次の投稿は明後日の予定です

遂に、彼女らに活躍の機会がー?

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