#001 名無しの権兵衛
青年は困ってしまっていた。
「いやぁ、ははは」
にもかかわらず、笑顔で後頭部など掻いている。
「困ったなぁ、ははは」
砂塵舞う荒野の真ん中で、青年と機械は向かい合っていた。
黒い瞳にぼさぼさの黒髪。背格好は中肉中背。肌は白とも黄とも言えず、人種はわからない。年齢は十代後半にも三十代半ばにも見えるため、ここではひとまず青年と記す。
衣服は上下ともジャージ。靴はスニーカー。砂避けのストールを肩に、ゴーグルを首にかけている。手荷物はズダ袋ひとつ。長旅のせいか何れもくたくたのよれよれだ。
そして、なにより驚くべきことに彼は丸腰――武器を持っていなかった。このあたりの荒野を旅するのにこれでは自殺と大差ない。
「ははは、僕、死んじゃうかも」
まったくである。
苦笑いなどしている場合ではない。
何せ、彼の目の前にある機械は凶悪な兵器なのだから。
文明崩壊からかれこれ百年ほど経っている。だが、青年の目の前に立つ兵器のように、微妙に稼働している困りものが地球上のあちこちに残っている。
彼の目の前にあるのは、機関砲塔にカニのような足の着いた無人制御の四脚装甲車だ。全高は青年の倍ほど。恐怖を覚えるには充分だ。
何年もメンテナンスを受けていないから動きは緩慢。カメラによる敵味方識別の判断もだいぶゆっくりで、今も青年を見て、一生懸命に考えている。コイツは敵か味方か、と。
「さすがに兵站も死んでるから弾切れだと思ったのになぁ……困った困った」
四脚装甲車は近くを通りがかった青年に対し、曳光弾による威嚇射撃をしてきたのだ。おかげで青年も逃げるに逃げられない。逃げだそうものなら、限りなく敵に近い何かと認識してすぐに撃ってくるだろう。
この周辺はかつて街だったようで、荒野とはいえちらほらと建物の跡がある。だが、機関砲の口径は三五ミリ。劣化ウランだかタングステンだかの三五ミリ砲弾相手では、朽ちた鉄筋コンクリートなど盾にもならない。
青年の旅路において、この手の兵器は何度となく行く手を阻んだが、そのほとんどが弾切れであった。当然であろう。無人兵器の運用などそれこそ百年前のことなのだから。
だのに、この無人兵器はメンテナンスこそされていないが、しっかりと弾を補充しているようだった。いったいぜんたい、どういったカラクリだろうか。
「うーん、大ピンチだ」
機関砲と同軸のセンサーカメラがフォーカスを絞る。照準だ。青年を敵、または味方ではない何かと判断して攻撃しようというのだろう。
三五ミリの砲口が丸腰の青年を睨み付ける。
「さってっと……」
気の抜けた掛け声と共に、青年がストールの影から両手を出した。
まさに、そのとき――
「伏せてッ!」
少女の凛とした警告が荒野に響き渡ったのに続き、フィフティーキャルの軽快なドラムロールが轟いた。
「うひゃあ!」
一二・七ミリの徹甲弾が四脚装甲車に次々と突き刺さり、火花を散らす。青年はその場に伏せ、頭を抱えるだけで精一杯だ。立ち上がろうものなら首を持っていかれかねない。
百発を越える機銃弾を叩き込まれた四脚装甲車はその機能を失い、ぼすんとかくすんとか小さな爆発を起こした末、ぐってりと砂の上に倒れた。
「おっととととと!」
よりにもよって蹲る青年の方へと倒れてきたから、彼は四つん這いになってそれを避けねばならなかった。
「死ぬかと思った、ははは」
頬を引き攣らせながら砂まみれになって笑っていると、救世主がやってきた。
「あんた、大丈夫?」
太陽を背負い、腰に手を当てた少女はやけに姿勢がよかった。少女に対する青年の第一印象はそんなものであった。
「あたしはリン・フェスタ」
青年を救った少女――リン・フェスタは腰に手を当て、快活そうに名乗った。
「で、こっちが妹の――」
「ラン・フェスタです」
ラン・フェスタがぺこりと頭を下げると、彼女のツインテールはぴょこんと跳ねた。
「いやぁ、君たちのおかげで助かったよぉ。危うく死んじゃうとこだったや、ははは。ありがとうね、ふたりとも」
九死に一生を得たというのに笑いながら後頭部を掻く青年に、フェスタ姉妹はふたりして怪訝な顔をした。命の軽い時代とはいえ、自分の死は笑いごとではないだろうに。
リン・フェスタは十八歳。姿勢が良く、声の大きい、健康的なラテン系の少女である。黒縁眼鏡をかけているが、まっすぐ前を見る鳶色の瞳には似合わない。肩の辺りでざっくり切られた赤毛も、元気よく外側に跳ねている。
二度目の世界大戦あたりの軍服に似た黒いジャケットをぴっちり着こみ、うだるような暑さだというのにネクタイまできっちり結んでいる。短いスカートの上には女性が持つにはゴツ過ぎる銃嚢。足元は編み上げブーツと、臨戦態勢はばっちりだ。
一方、ラン・フェスタは十二歳。髪はプラチナブロンド、瞳は碧眼。リンの妹だというのにどう見ても北欧系である。同年代の少女たちと比べても小柄で活発そうには見えないが、ふたつに結わいた長い髪がぴょこぴょこと楽しそうに跳ねている。
古式ゆかしい白い水兵服を着ているが、これは極東の伝統に則った学生服である。暑いからかラフに着こなしていて、おへそがちらりと顔を出す。武器は持っていないが、スカートを押さえる腰のポーチからはソロバンが飛び出している。
髪は紅白、服は白黒。
元気な性格にお堅い服装、控えめな印象に崩した着こなし。
ふたりは明らかに似ていなかった。
「あ、まだ名乗ってなかったね」
青年はぽんと手を叩いた。
「僕は、そうだなぁ……」
それは名乗るというには不自然な自己紹介だった。まるで、いま考えているように。いままで名前などなかったかのように。
「ゴンベ、ゴンベでいいよ」
「ゴンベ?」
「うん、ゴンベ」
「変な名前」
聞き返しておきながら、リン・フェスタはさらっと言い放った。別段、侮蔑したり嘲ったりしたわけではない。だが、妹のラン・フェスタはすかさず姉を突っついた。
「ちょっとお姉ちゃん」
「ははは、大丈夫。僕もそう思うもん」
「だよねー」
などと言って、リンは悪びれる様子もない。
「もぉ」
頬を膨らませるラン。
共通点の少ないフェスタ姉妹だが、似ているところもある。
ひとつは、笑顔が自然である点。どうにも不自然な笑みを浮かべる青年――ゴンベに比べるまでもなく、彼女たちの笑いはごくごく自然なものだった。
いまひとつは、女性らしい色気に乏しいところだろう。ふたりして少年のような雰囲気を醸し出している。女としては発展途上といったところか。
ともあれ、旅の青年ゴンベとフェスタ姉妹はこうして出会った。
暑い、荒野でのことである。
フェスタ姉妹の車を見るなり、ゴンベは瞳を輝かせた。
「わっ、すごい! ワーゲンのタイプ2だ!」
それは三度目の世界大戦目前と言われていた頃(実際の三度目はその半世紀ほど後のことであったが)に欧州で作られた、とてもとても小さいバスである。
姉妹はその屋根に銃架を設け、M2機関銃を据えていた。これが先ほど、ゴンベを救った一二・七ミリ重機関銃だ。
「ゴンベ君、そーゆーの詳しいんだ?」
「ははは、まあね」
リンの問いにゴンベは曖昧に答えた。
文明崩壊後、人々は旧文明の遺産を活用して生き延びた。モノにしろ知識にしろ、すべてが失われたわけではないが、どちらも貴重なものである。
「ま、そんな知識より、ゴンベ君は銃くらい持った方がいいけどね。なくしたの?」
まさに、それもあって先ほど死にかけたのだから。
「いやいや、銃とか持ってないんだ」
「バカなの?」
リン・フェスタ、即ツッコミ。
「よく言われるよ、ははは」
「あんた、なんで今日まで生きて来れたの?」
「お姉ちゃん、私も武器とか持ってないからね!」
ランが小さな手をぶんぶん振ってアピールした。馬鹿にされたゴンベへのフォローだろう。
「あんたはいーのよ。ひとりじゃないんだから」
「むぅ」
などと言いながら、フェスタ姉妹はタイプ2に乗り込んだ。
「それじゃあ、ふたりともありがとう!」
ゴンベは笑顔で手を振り、荒野を歩き出した。
「またどこかでね!」
「え?」
「は?」
ランとリンはぽかーんとした。この男は何を考えているんだ、と。
「ちょっと待ちなさいって!」
「なあに?」
「あんた、そのまま歩いて行くつもり? 手ぶらで?」
くどいようだが、彼は先ほど死にかけたばっかりである。
「うん、そのつもりだけど」
「バカなの?」
妹のランも今度ばかりはフォローできない。リンの言う通り、これは馬鹿のしわざである。まともな人間の行動ではない。
「よく言われるよ、ははは」
「はははじゃないでしょ」
リンは頭痛を覚えた。すっかり呆れかえっている。
「バカ言ってないで乗ってきなさい。街まで乗せたげるから」
「無料でいいですよ」
姉の誘いに妹が付け加えた。冗談のようだが、なぜか真顔だ。
「あー、それは助かるなぁ!」
確かにこのご時世、好意というものの希少価値はうなぎ登りである。だが、フェスタ姉妹にはこれくらい自然に思われた。
「ありがとう! キミたち姉妹は僕の女神サマだよ!」
「はいはい、いーから乗った乗った」
「いやぁ、本当は急いでここを離れたかったんだよねー」
ランに席を譲られ、ゴンベはタイプ2に乗り込んだ。
「なんで? まだ日没までは時間あるでしょ?」
運転席のリンがミラー越しに後部座席のゴンベに尋ねる。こんな無防備な男、早いとこ街に向かった方がいいに違いないが、「急いで」「ここを」「離れ」るべき理由がよくわからない。
「ははは、さっきの子って子機なんだよね」
「え?」
「うん? 何の話?」
フェスタ姉妹はゴンベの話についていけていない。だが、なんとなく不穏な気配を感じ取っていた。
じりじりと暑い太陽に苛立ちを覚える。
「あのね、さっきキミたちが倒してくれた四脚装甲車なんだけど――」
ゴンベは笑顔のままつらつらと語り始めた。
「あれって文明崩壊前の無人兵器なわけだけど、マンパワーが減りすぎちゃってジリ貧になったトランスオクシアナ共同体地上軍が作ったWAV-38ってヤツなのね。モノそのものは汎用性あってリモート操作するバージョンとかもあるんだけど、さっきのは小隊無人誘導システム載っけてるから、近くに親機がいるはずなんだよね。で、たぶん、親機はWT-35っていうもっとガチムチの強いやつのはずなんだ。もちろん、あの子たちは戦術データリンクしてるっていうか、だから、無人誘導できるっていうか――」
「あのさ」
「なあに?」
ゴンベの話が長くなってきたうえに、このままでは終わらないことを察したリン・フェスタが遮った。それに、もっと慌てていい状況にある気がしてならない。
「それってつまり、もっと強い親玉があたしたちに気づいてる……ってこと? あってる?」
「ははは、リンちゃんは頭がいいなぁ! 話が早くて助かるよぉ! 僕はこうなんていうのかな? 口下手? よく言われるんだよね、ははは」
あんたは頭が悪い! しかも、話が長い! 遅い! くどい!
リンはそんな罵倒を飲み込んだ。否、吐き出せなかった。なぜなら、ランが震える声で姉を呼んだからだ。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「な、なに?」
「なんか、聞こえない?」
「なんか、って……」
ずしん。
ずしんずしん。
ずしんずしんずしん。
確かに、長年メンテナンスされていない暴走無人兵器の動きは鈍い。だが、先ほどのヤツだってひとたび火を噴けば人をボロ雑巾にするには充分な火力があったのだ。
ずしんずしんずしんずしん。
かつてはビルかなにかだったのだろう。辛うじて残った壁面は今や墓石のようだ。さしずめ、この荒野は旧文明の眠る墓地といったところか。
ずしんずしんずしんずしんずしん。
真っ昼間だというのに、とんだ肝試しになってしまった。
文明の墓石の間から現れたのは、八脚でザリガニのようにわしゃわしゃと歩き、必殺の一二〇ミリ砲塔を背負った――八脚戦車だった。
「で、でたっ!」
「お、お、お、お姉ちゃん! に、逃げなきゃ!」
「う、うん。そ、そう、よね」
弾種がなんであれ、あんな巨砲に撃たれたら装甲のないタイプ2など木っ端微塵だ。若きフェスタ姉妹の墓石の下へ埋めるべき棺桶は空っぽになってしまうことだろう。
「あっ」
「な、なに……?」
緊張に震えながらリンがギアをチェンジしていると、ゴンベが笑顔のまま呟いた。ただし、その頬はぴくぴくと痙攣している。
「目、あっちゃった」
「目なんかないでしょおおおおおおおおお!」
もはや緊張の限界だったし、八脚戦車に気づかれるのも時間の問題であった。叫びながら、ツッコミながら、泣くのを我慢しながら、リンはエンジンをかけた。
年代モノの一・六リットル空冷式水平対抗四気筒エンジンが、それはもうゆーっくりと唸り声をあげる。近所のご隠居のあくびの方がまだスピーディに思えた。
フェスタ姉妹はパニックになり、車内で走り出さん勢いだ。
「はやくはやくはやく! エンジン起きて!」
「お姉ちゃん! 砲塔! 砲塔こっち向いてる!」
「うーん、大ピンチだ」
「わかってるわかってるわかってるってば!」
「いやぁ、困ったなぁ、ははは」
「ゴンベさん、なんで笑ってるの!?」
「かかった! かかった! 行くよ!」
「あ、ああ! あああああああ! お姉ちゃん!!」
「なにっ!? 砂!? タイヤ空回りしてる!?」
「撃ってきた! 撃ってきたよ!」
「ははは、FCSかセンサー死んでるみたいだね」
「外れてる外れて――近くなってきたよ!」
「弾着修正してるんだね、ははは」
「あんた笑ってないでM2でも撃って!」
「やだなー、機銃弾じゃあの装甲は抜けないよ、ははは」
「だから、ゴンベさん、なんで笑ってるの!?」
「あぁんもぉ! なんであたしがこんな目にぃ!?」
「僕たち死んじゃうかも、ははは」
「ははは、じゃなああああああああああああいっ!」
その後、フェスタ姉妹とゴンベの乗るタイプ2は八脚戦車に三時間ほど追いかけ回された。その間、生きた心地のしなかったフェスタ姉妹は喉がかれるほど絶叫したという。
ともあれ、旅の青年ゴンベとフェスタ姉妹はこうして出会った。
熱い、荒野でのことである。
幾たびかの世界大戦、取り返しのつかない環境破壊、醜悪な異星人の侵略、数万年ぶりにがんばりすぎた太陽や地殻といったあれこれのおかげで、栄華を誇った人類の文明が崩壊しておよそ百年。いろいろと悲劇的な出来事もあったが、今もなお人類は生きている。
これはそんな人類の物語。
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