#019 累積赤字のセレナータ
夜、どこかで犬が吠えている。
イリオンシティ場末の倉庫街をリン・フェスタが行く。それはもう酷い千鳥足で。
「……ひっく」
飲みに飲んだフラクロ歓迎会から仮の我が家への帰り道。仮の、というのはもちろん、先々月に彼女自ら社屋兼自宅を月のあたりまで吹っ飛ばしてしまったからである。今はその跡地にテントを張って暮らしている。この季節、寒いことこのうえない。
しかも、都市の内部とはいえ治安が良いとは言えないこの時代にテント暮らしというのは考えものである。ではあるのだが、この二ヶ月、フェスタ姉妹のテントが人為的な被害にあったことはない。
なぜなら、焼け残った看板にキマニ・ムルガが一言付け加えて掲げたから。
Bounty Hunter
Festa Company
DANGER EXPLOSIVE
「賞金稼ぎ業・フェスタ社」までは今まで通りなのだが、続くのは「危険・爆発物」という火薬庫扱いの危険物表記。
この頃になると、その規模はともかくとして、フェスタ・カンパニーという名は業界や市内には馴染みのものとなっていた。なにせ、デビュー早々に無人兵器ツチグモを討ち取ったのを皮切りに、街の交易路を脅かしたダイナマイト・マック一味をも成敗したのだ。事情通たちの間では、ボーンヘッズの特攻隊長――剛腕のビッグ・ウィリーを獲ったのもフェスタではないかと噂されている。
だからといって、必ずしも高名好評というわけではない。
一部の社員が毎晩のように(時には昼間っから)酒場ホンキートンクに入り浸り、飲んだり暴れたりしているのはもはや常識。明らかにブラックな求人広告を恥ずかしげもなく出したり、人畜無害かつ強力無比なタコスケのウェルズに無謀にも挑みかかったり、しょっちゅう街の外で車を大破させレッカーされたりと悪評の枚挙にいとまがない。
そこにきて、社屋大爆発事件である。
もはや、イリオンシティやその賞金稼ぎ業界では「クレイジー」とはフェスタ・カンパニーの代名詞となっていた。
つまり、近づく者さえいないのだ。
市内で盗みを働く泥棒や強盗も例の看板を見て回れ右する始末であった。
ともあれ、そんなこんなで安全だけは確保できている仮の我が家にリン・フェスタは帰宅するのだった。
真っ暗な倉庫街ではドラム缶の焚き火が程よい目印となっていた。
深夜だというのに、テントの中からは灯りが漏れていた。夜更かしの苦手な、まだ幼いランが起きているのだろうか?
「ただいまー」
そーっと、テントに入ると、そこには文机のタイプライターの前で突っ伏して寝息をたてる妹の姿。髪を解き、パジャマに着替えたのに、遅くまで仕事していたのだろう。かろうじてタイプできたのは、
第一開拓銀行様
フェスタ・カンパニー事業再建計画の概要
というタイトルだけであったようだ。あとは、白いほっぺたに垂らしたよだれだけ。
ランがビジネスパーソンを志したのはいつのことだったか。姉のリンにも思い出せない。おままごとの年頃にはすでに仕手戦ごっこやM&Aごっこをしていたのだが。
姉の自分には似ても似つかない、妹のプラチナブロンドの髪を撫でる。
両親を失って六年。
リンは十八、ランは十二になった。ふたりして、社長と副社長で賞金稼ぎなんぞをやっている。父と母と同じ生き方。
この六年、リンは働き、ランを育て、賞金稼ぎとなる準備を重ねてきた。
だから、今が楽しくてしょうがない。
それに、今やリンがランに支えてもらっているくらいである。妹のソロバンとタイプライターがなければ、こんな馬鹿騒ぎは続けられない。
リンはこの頼もしい妹に――
「たーだーいーもーんーっ!」
とってもしんみりしたタイミングで例の嬌声がやってきた。アルコールの匂いをぷんぷんと振りまきながら、フラン・クローネの登場である。
「リンぺー! ランちん! フラクロ様のお帰りだぞー!」
断りもなく、さも当然のように(残念なことにテントは施錠できない)テントの中へ堂々かつふらふらと入ってくるフラクロ。
派手な赤いスーツも桃色のポニーテールも乱れに乱れている。頬は赤く、瞳は北極星のあたりを向いている。完全なる酔っ払い。
「ちょっと、フラクロ! なんでウチに来たわけ!?」
別に泊めてあげる約束などしていない。ただでさえ狭いテントに三人で寝るなんて嫌だし、それが酔っぱらったフラクロなら断固拒否である。
「えー! いーじゃーん! ほらー! だってー! 私んちレイクサイドシティだしー! 三人で仲良くアレの字になってねもろーよー!」
アレの字がどんな字なのか、表意文字も表語文字も使ったことのないリンには知る由もない。そのうえ、うるさい。声が大きい。
「あー、うるさいうるさい。何時だと思ってんの、バカ」
せっかくすやすやと寝ている可愛い妹を起こされたくはない。
「なにょをー! カバってゆー方がヒトなんだぞー!」
などと訳のわからないことを喚き散らしながら、そのままへなへなとリンの寝袋に潜り込むフラクロ。
「あーもーなんなのよー」
「よっぱにゃー」
「知ってる」
そういえば、ランが四、五歳にして本格的な仕手戦ごっこやM&Aごっこをしているとき、一緒になって遊んでくれたのはフラクロだった。姉のリンには彼女たちが何を話しているのかすらよくわからないほど、知識が問われるハードルの高い遊びだったのだ。
そんなことを思い出しながら、リンはランの小さな体に毛布をかけた。フラクロがリンの寝袋でごろごろして邪魔するものだから、そちらには蹴りをいれながら。
「あ、リンぺー」
「なに?」
ちなみに、フラクロはヒトサマの名前をあだ名で呼ぶ。勝手につけて、断りもなく。これまたすこぶる評判が悪い。
「タバコ吸っていい?」
「外行け、外」
実に冬らしい、澄んだ空気に晴れ渡る星空。フラクロの呼気と紫煙は闇夜を一瞬だけ白く染める。月は西の地平へと傾き、オリオンも手が届きそうなほど低いところに浮かんでいる。
「え? アンタ、寒くないの?」
毛布にくるまってテントから出たリンは体をぶるっと震わせた。一方、フラクロはドラム缶に薪をくべているものの、特にコートなども着ていない。
「寒くないよー。よっぱらいだからにゃー」
「あっそ」
呆れるしかない。
「ランちんは寝てる?」
「遅くまで仕事してたみたいだからね。さすがに疲れたんでしょ」
寒さを堪える小刻みな歩調でリンはフラクロに並んだ。
こうして同じ空を見上げるのは何年ぶりだろうか。
「六年ぶりだっけ? 七年ぶり?」
何がと言及するまでもない。彼女とはツーカーの仲なのだ。
「七年と三ヶ月と四、五日ぶりだにゃーん」
どんなにぐっでぐでのぐだぐだになって悪ふざけしていても数字に強い奴である。あの頃からちっとも変わっていない。
「そっか」
七年ぶりということは、父と母がどこかの賞金首に返り討ちにあったのはフラクロが引っ越してしまった後である。
「あの頃は楽しかったにゃー」
「まー、ね」
互いに視線を交わらせることもなく、フラクロは星空を、リンは焚き火を見つめていた。
戻ることを知らない時計の針も、あるいは夜のしじまに惑わされたのか。ふたりの想いは自然とあの頃へと至る。
「リンぺーさーあ? アレ覚えてる? アレ」
「どれよ?」
さすがにアレだけじゃあ、わからない。思い出には事欠かない少女時代だったのだから。
「男子とのケンカでさーあ? みんなで火炎瓶使って怒られたときのコト」
「使ったのはアンタでしょ」
即座にリンは突っ込んだ。だが、フラクロは記憶力もいい。
「でもでも、材料用意したのはシアぽんだしー! 作ったのはイオリーヌだもーん! それにそれに! そもそものそも、作戦立てたのはリンぺーだー!」
「そーだっけ?」
夜空に拳を突き出してまで主張するフラクロに対し、リンはそらっとぼけてみせた。もちろん、あの楽しかった日々を忘れたりはしない。近所の空き地が即席の火祭りとなり、男子たちは泣き喚き、大人たちが慌てふためいた光景は今もありありと思い出せる。
「それでそれで、先生に怒られたときにさーあ?」
「アンタが『いいえ、先生。コレはモロトフカクテルです』って答えて逆鱗に触れたのはしっかり覚えてるからね」
「アレめっちゃウケたー! 先生ちょー怒ってんだもーん!」
そんなことばっかりしてるから悪童ベスト5などと呼ばれたのだ。
「でもさ! 一番笑ったのはそのあとのシアの一言だよね!?」
「もっちもちのもち!」
話が弾むにつれて、ふたりは笑顔を向き合わせていた。
上品な友人の顔まで真似て、声を揃えるリンとフラクロ。
「そうですよね、カクテルだなんて私たちには早すぎます!」
「そうですよね、カクテルだなんて私たちには早すぎます!」
どちらがよりシア・クリスタラーに似ているかは判断の分かれるところだが、リンとフラクロは腹を抱えて笑った。齢十八にもなって、馬鹿みたいに。
冬の乾いた空気に、彼女たちの笑い声が染み入った。
「……ケンカの原因もさーあ? 覚えてる?」
夜風が白い息を払うのを待っていたかのように、フラクロはそっと訊ねた。
「んー? なんだっけ? なんかいじめられたんだっけ?」
東の空に瞳を向けてはぐらかすリン。愛用の黒縁眼鏡でいくら視力矯正しようとも、登る太陽はまだ見えない。
「ほら、アレだよ、アレ――」
フラクロはまるで北斗七星へと語りかけるように。
「――ランちんのこと」
言葉はそれだけで事足りた。意味は通じる。
「あー、そっか」
もとより、リンだって覚えていた。
「いい子に育ったよねー、ランちん」
「……うん」
「アレは将来、大物になるね! フラクロ様が保証する!」
よりにもよってトラブルメーカー保証とは、姉として認められない。
「アンタの保証なんてやめて、縁起でもない」
笑いながら、ふたりの時計はさらに遡っていった。
それは九年前。
季節は今と真逆のうだるような暑い夏。
「今でも思い出すにゃー。リンぺーがランちん連れてきた日のコト」
「そーお?」
九年前、リンはランの手を引いていつもの空き地へと向かった。そこには、フラクロ、シア、イオリといういつものメンバーが集まっていた。
見慣れぬプラチナブロンドの幼女を前に、一同は首を傾げた。
「コイツはラン・フェスタ! 今日からあたしの妹だから!」
フラクロがあの日のリンを真似た。先程のシアのモノマネ同様、大して似てはいない。
「あのときのリンぺーカッコよかったにゃー」
「うっさい」
名無しのミナシゴはその日からラン・フェスタとなった。友人たちはフェスタ家に何があったのか訊かなかったが、その日から悪童ベスト5にリンの「妹」が加わった。
「こう、なんてゆーの? キリってしててさーあ? ズバってゆーの! え、なにこれどこのイケメン? みたいな! きゃー! リンぺーかっくいー! ステキー! ダイテー!」
「だあ!」
黄色い声音を作ってまでからかうフラクロをリンは蹴り倒した。
「うひゃあ!」
「んもー! アンタってヤツはいつもいつも! もぉ寝る! 知らない!」
東の空がうっすらと白みを帯びる。気温はいよいよ低くなり、街のあちこちに人々の生活の音色が響き始めた。
過去へ向かった時計の針も、こうして新しい日を刻む。ちくたくちくたくと。




