#010 始まりの終わり
「それは、旧軍のシステムが乗っ取られたということでしょうか?」
空中に漂ういくつもの仮想ディスプレイに向かって、女は問い返した。
「そうではない。そうではないのだ、同志フォクシー」
「然様。違うのだぞ、同志フォクシー」
「如何にも。これは乗っ取りではないぞ、同志フォクシー」
「何もわかっとらんのじゃな、同志フォクシー」
いくつものディスプレイから一斉に返答。ポテトヘッズたちにはラジオヘッズの使者として恐れられる疫病神のフォクシーもここでは畏まらざるを得ない。
「申し訳ございません。まだまだ不勉強なものでして」
仮想ディスプレイの淡い光以外なにもない室内で、疫病神のフォクシーは頭を垂れた。
ディスプレイの向こう側には、巨大盗賊団ボーンヘッズの幹部――ラジオヘッズたちがいるのだから。
「乗っ取っておったのは我々の方なのだ、同志フォクシー」
「然様。我々の方が乗っ取った側なのだぞ、同志フォクシー」
「如何にも。これはより大きな問題なのだ、同志フォクシー」
「こんなこともわからんのじゃな、同志フォクシー」
方法は定かではない。だが、ラジオヘッズの科学技術力によって、ボーンヘッズは旧文明の遺産を利用することで勢力を維持している。
現代社会に対する荒々しい盗賊行為と同時に、裏では旧文明に対する頭脳と技術による盗賊行為を行っている。
妖艶な唇をなめ、フォクシーは導き出した答えを口にした。
「つまり、本来の管理者にシステムを奪還された、と?」
いくつかのディスプレイから感嘆の声が漏れる。
「そう、奪還され、機能を停止させられてしまったのだ、同志フォクシー」
「然様。全て死に絶えたはずの軍人によってなのだぞ、同志フォクシー」
「如何にも。これは憂慮すべき事態なのだ、同志フォクシー」
「やっと理解できたのじゃな、同志フォクシー」
あり得ないことが起こった。文明崩壊は今からおよそ百年前。正しい管理者権限を持つ者など、ラジオヘッズの言うように生きているはずがない。
仮に生きていたとして、権限も方法もあるのであれば、その人物は世界を支配できるはずだ。
それなのに、一時的にシステムを掌握し好き勝手すると、機能を停止してしまった。フォクシーにもラジオヘッズにも目的がわからない。
「いったい誰がそのようなことを……ログにはなんと?」
思わず身を乗り出したフォクシーの目の前に、一枚の仮想ディスプレイが現れた。そこには、ログの解析結果が表示されている。
User : 2LT Nameless
「名無しの少尉……?」
確かに、システム上はすべての将校が戦死した場合、少尉といえども最先任将校となりうる。だが、それも百年前の話。そのうえ、このふざけた名前。
これは何者なのだろうか?
仮想ディスプレイの向こうはざわざわとざわざわと、ラジオヘッズたちの興味は尽きないようだった。
百イリオン・エスクード紙幣が、少女の目の前に積み上げられていく。
合計五十枚。
少女――フェスタ・カンパニー副社長ラン・フェスタはよだれを垂らしそうになったが、一流を自認するビジネスパーソンとして踏み留まった。
イリオンシティ賞金稼ぎ協同組合事務所。その裏口からしか入れない応接室でのこと。
表の窓口ではできない話や取引に使われるその部屋を、ラン・フェスタとゲン・オシノは訪れていた。
「五〇〇〇、っと。これでぴったし。確認してくれ」
組合長は信頼できる男なのだが、ランは札束を三度数え直した。
「はい、確かに五〇〇〇エスクード受領しました」
「なんつーか、大したモンだな。お前さんたちは」
そそくさと札束をポーチにしまい込むランを見ながら、組合長は感嘆半分呆れ半分といった口調で呟いた。
「まさか、ビッグ・ウィリーを……ボーンヘッズの賞金首を獲っちまうなんてな」
最大手の盗賊団ボーンヘッズに手を出す賞金稼ぎなど、最近はとんと見かけない。誰もが報復を恐れているからだ。
それ故に、賞金の支払いはこの部屋で行われ、検分役も組合長自身が請け負った。ほとぼりが冷めるまではフェスタ・カンパニーが討ち取ったというのも秘密である。
「恐れ知らずもほどほどにするんだぞ?」
「へへっ、ありがとうごぜぇやす、旦那」
組合長はたしなめたつもりだったが、ゲンは照れ笑いなどしつつ頭を下げた。大金を受け取った副社長の護衛らしいが、本当に彼で大丈夫なのだろうか?
「まぁ、ボーンヘッズもしばらくは大わらわって話だからな。いろいろ大丈夫だろうよ」
「何かあったんですか?」
「アイツらが使ってたアジト、いくつかがダメんなったらしいぜ」
プラチナブロンドのツインテールをぴょこんと揺らし、首を傾げるラン。
「昔の軍事施設のシステムが急にアイツらに楯突いたって話でな。お前さんたちが攻め込んだとこだけじゃなくて、このあたりの全部っぽいんだ、これが。荒野の勢力図も変わるかもなぁ」
ランも社員や姉の土産話から、それはどうやらゴンベのしわざらしいとは聞いている。だが、よもやそれが現実というのも、ましてやそれほど大きな話というのもにわかには信じられない。
あの荒野を手ぶらで歩き、死地にあってもへらへら笑っている非力な青年が大きな力を持っているなんてランには想像できない。
だからこそ、吹聴する気にもなれなかった。
「そ、そうですか……それなら報復の心配も――」
「そんならいっそ、連中の本丸にカチコミかけてぇぐらいですな、カシラ!」
「副社長って呼びなさい」
血気盛んなヤクザ社員はさておくとして。
「ところで、社長さんはどしたんだ? てっきり今日も来るもんだと思ってたんだけどよ」
リンのこともランのことも幼い頃からよく知っている組合長である。フェスタ姉妹を褒めたり叱咤したりしたかったのだが、ここにリン・フェスタの姿はない。
「お姉ちゃんは――社長は別案件で、ちょっと出ていまして」
ランの碧い瞳がどこか遠くを向いていることに気づくも、それ以上は組合長も訊かなかった。
イリオンシティの西の外れ。
沈みゆく夕陽が荒野を真っ赤に染め上げている。
労働者が帰ったガス田はその動きを止め、最終便が出発したバス停は閑散としていた。
そんな街外れの景色を、青年は黙って通り過ぎるつもりだった。
「ははは、よくわかったね?」
青年――ゴンベは夕陽に向かって言った。いつもの笑顔のまま。
「ひとつ、アンタは東から来た」
ハザンポート行きの最終バスを見送ったリン・フェスタはゴンベの前に立ち塞がった。夕陽を背負って。
「だから、西に行くと思ったの? すごいな」
行く手を遮られたゴンベは歩みを止めた。
「ひとつ、アンタは秘密を明かそうとはしない」
リンは腰に手を当て、ゴンベの瞳を見据えて言った。
「だから、黙って今日にも出発するって?」
ゴンベはリンに微笑みかけた。
「ひとつ、単なるカン」
リンは自嘲気味に笑った。
二人の不器用な笑顔が交差する。
夕陽の眩しさに眼を細めるゴンベへ、今度はリンが語りかけた。
「……こないだ、わざと捕まったでしょ?」
「うん、ごめんね。外からはアクセスできなかったから」
「ツチグモを止めたのもアンタね?」
「リンちゃんの作戦、うまく行くかなって思ったんだけどね」
「うっさい」
刻々と、徐々に陰が伸びていく。
日が暮れようとしている。
「……あの日、あたしたちが出逢ったのは偶然?」
ため息混じり。リンが訊く。
「ははは、それだけは偶然だよ」
珍しく、本当におかしそうに、ゴンベは笑った。
「リンちゃん……」
呼びかけながらも、言葉をどう続けようか、ゴンベは悩んでいるようだ。
ただ夕陽を見ながら、ゆっくりと歩き出す。
「ひとりで旅するにはあまりにも広いんだ――」
ふたりはすれ違った。
「――この星はね、とっても広いんだ」
東の空には夜の帷が下り、微かな星々の瞬き。
夜気の尖兵を吸い込み、リンは呟いた。
「行くの?」
「うん」
「ひとりで?」
「一緒に来る?」
思わぬ誘い。いや、本当に思わぬことだったろうか。どこかでそれを望んでいなかったか。だから、自然とリンは振り返り、ゴンベの背中を見つめた。
しかし、答えは決まっている。
「んーん」
「だよね」
「あたしにはこの街がある」
「みんながいる」
「そーよ」
沈む夕陽は最後に強く輝くという。ふたりの赤らんだ頬を、世界が隠した。
「……でも、たまには帰ってきなさいよ」
リンは当然のように言った。
「そのときは家に泊めてくれるのかな?」
「ガレージならね」
「やっぱり」
ふたりの笑顔に、日の光はもう当たらない。
「……輝いてよ、リンちゃん」
「なにそれ?」
ゴンベの唐突な願い。
「旅人は星を見るんだ」
ツチグモを倒したあの日も、彼は夜空を見上げていた。
「星空にはたくさんの伝説が詰まってるんだ。これからみんなで、伝説を作って空に打ち上げてよ。人類には、リンちゃんには、それができる。できるはずなんだ」
笑顔でもない。
微笑みでもない。
ただ柔らかい素顔を晒すゴンベと名乗る青年。
「……じゃあ、もし、あたしたちが、遠くのあんたに見えるくらい輝く伝説打ち立てたら、この街に帰ってきて――」
まるで銃口を向けるように、賞金稼ぎリン・フェスタはゴンベを指差した。
「あんたの本当の名前、教えなさい」
こうして、ひとりの青年がイリオンシティを後にした。このとき、少女と青年が約束以外に何かを交わしたかどうか、それは読者諸氏の想像に任せることとする。
これは、人類の新たな伝説の始まりの終わり。
Chapter1 Gonbe the Nameless THE END