2/ピース3
ぴかっ、と光って、ぼすん、と現れた。
金属の箱だった。
「それは、何だ?」
ご飯茶碗を掘り出してから五日目の昼下がり、天化の丘にて。本日も快晴、雲は海のずっと向こうに流れ、涼しげな風は絶えることなく吹いている。
柔らかい草の上に腰を下ろして、ディスは抽出した金属の箱を抱えながら答える。
「オーブントースターだね」
多くても一日十個までと決めたアクロの遺品は、これで合計三十二個目の発掘だった。
「よっ、いしょっと。なんとか、入る、かな?」
ディスは持参したナップザックにオーブントースターというものを詰め込んでいるが、流石のナップザックもすっかりぱんぱんになっている。今日の発掘はこれで四つ目だ。これ以上掘り出すのなら、ディスが手に持って帰れる大きさがいいだろう。
墓の下に埋まっているものは、まだまだたくさんあった。
とはいえ、五日で三十二個という数はなかなかの数に思えた。地中に埋まっているものの中には抽出に時間が掛かるものもあるし、小生が知らないものも結構あって、そういった遺品は元の形を特定しにくかったりもする。
それでも、ディスはこの墓に埋まっているものを掘り出したいらしい。
わざわざ埋めたものをなぜ掘り返すのか。小生は五日間ずっと考えていたのだが、結局は分からずじまいだった。犬は取ってきたエサを土の中に埋めて保存し、あとで掘り返したりするが、それと似たようなものなのだろうか。
「なあディス、そんなにたくさん掘り返してどうするんだ?」
ディスは振り向いて、
「どうするって?」
「いや、埋めたものをどうして掘り返すのかな、と思ったんだがな」
ディスは、予想以上に動揺した。
びく、と動きが止まった。まるまると太ったナップザックの紐をきつめに縛ったままの体勢で、死んだのかと思うほどに動かない。思わず小生も固まる。
息さえ吸いがたい長考の間をどうにか乗り越えて、ようやくぽつりと、
「必要なものだから。だよ」
次の疑問が湧く。
「必要って、何をするのに? ──いや、そもそも、そのオーブントースターというのは何なのだ?」
瞬間、さらなる動揺がディスを襲った。
よっしゃ、と小生は思う。あの得体の知れないオーブントースターという金属の箱は、おそらくディスにとって秘密の一品なのだろう。あまりの衝撃に後退ったその動揺ぶりがそう物語っている。だいたい見るからに怪しいと思っていたのだ。今まではコップや皿だったのに、急に金属の箱なのだから。
核心を突かれて、ディスの眉毛と眉毛の間にみるみるしわが出来る。
怪訝な目付きで小生を見る。
──どうして分かったの? その表情が、そう問うている気がした。小生は心の内でほくそ笑んだ。そんな見るも怪しい金属の箱に、小生が疑問を抱かないわけないのだ。
箱の右端には謎のダイヤルがついているし、そのダイヤルがなにやらとても危ない気がする。
たぶん、ひねると爆発する。
さあ、なぜそんなものを持っているのだ?
追求の目でディスを見る。ディスは真正面から小生を見返し、
「──ぷっ」
なぜか笑われた。
「ふっ、ふふっ、」
そして、こらえきれない、とでも言いたげにもう一笑された。
小生はなぜ笑われたのか分からなかった。わけが分からない感情は子供じみた怒りに変換されて、「むかついたぞ」という表情を作る。尻尾は左に、尻尾を振る大会でもあればチャンピオンを狙える速度でぶんぶん振れる。
眼力のある人が見れば、小生の全身からは「やんのかこら」というオーラが溢れていたに違いない。
笑いをこらえようとしているくせに、それでも表情に大した変化がないディスが憎らしい。通常の十二倍はバカにされている気がするのだ。
そんな小生怒り爆発五秒前も知らず、ディスは両手で口を押さえて笑いを殺して言う。
「シュシュってオーブントースターも知らないの?」
“も”は余計。
「しらん」
バカにされている明らかにバカにされている。極めて遺憾である。拗ねてやると心に誓った。明日の朝食がサンドイッチだったら、具だけ食べてパンは残してやる。おにぎりだったら、海苔だけ残してやる。
「なるほど。軍犬っていうのは、少し常識と外れていたりもするわけだね」
と、そんな小生の思惑をよそに、ディスの声は軽い。
小生は重い声で、
「──悪いか。軍犬は一般常識をある程度叩き込まれてるけどな、そもそも時代が時代だから必要な知識だって偏るし、そりゃあカバーできない範囲だってあるもんだ。人間が通う学校の仕組みとか知らないし、一般家庭の暮らしとか知らないし、」
「そう、まさにそこだよ」
不意打ち。
小生は思わず左右を見渡し、
「そこって、どこだよ」
ディスは小生の鼻っ面を指で差し、
「一般家庭の暮らし、ってところ。オーブントースターっていうのはね、食品を加熱する調理器具のこと。コンセントをつないで、つまみをひねって加熱時間を決めたら、あとは勝手に食品を温めてくれるの」
その、時間にしてたった十秒の説明は、小生の稚気を一発で霧散させた。
素直に驚いた。そんな便利なものがあるのか、と思った。戦争の頃なんて、調達した肉はすべて火で炙るという実に原始的な食卓だったというのに。
小生の興味がナップザックへと傾く。
すっかり肥満化したナップザックは、鼻で小突くとゆさゆさ揺れた。
「なるほど、それは確かに便利だし、必要なものだ」
なんとなく空を見上げて、
「しかし人間の技術というのはすごいな。こんなものが他にもあるのなら、うん、確かにがんばって掘り出さねばなるまい!」
もりもりとやる気が湧いてくる。この墓の下には、いまだ捉えたことのない未知が無数に埋まっているかもしれないのだ。そりゃあもう、きっとものすごいものが埋まっているに違いない。
オーブントースターが食品を温める機械ならば、食品を調理する機械が埋まっている可能性だって無きにしも非ずではないだろうか。ディスはサンドイッチとおにぎりくらいしか作れないから、そういう機械があればものすごく便利だと思う。
「ディス、まだ発掘するか?」
「──え? ああ、今日はもう、」
「そうかそうか、よしまかせとけ!なんかすごいものを掘り出してみせるからな!」
小生はむき出しの土に飛びついて鼻を利かす。墓の下にはまだまだ財宝が眠っていて、その数の多さに胸が激しく高鳴る。突然、頭の中に一つのイメージが湧き上がり、すぐに正確な位置を特定する。大きさ、重さ、材質を流れるように理解して、小生の頭の中には、一つのまるっこい時計がぽつんと出来上がった。
嬉々としてディスへと振り返る。
ディスはなぜか苦笑して、それから両手を合わせた。
緑色の淡い光。そして手の平の上には一瞬にしてあの時計の姿。さほど大きくはないが、腕時計というサイズでもない。偶然か必然か、はたまた小生がひどく無知なだけか、おそらくは後者だと思う。このような時計を、小生は目にしたことがない。
文字盤は普通の時計だった。一番上が十二で、一番下が六。右が三で左が九だ。文字盤を収めるケースはまんまるで、倒れないよう下部には二本の足がついている。この時点で懐中時計でも壁掛けでもないのは明らかである。
しかし、特筆すべきは上部だった。
なにやら垂れ耳のような半円の鉄板が二つくっついているのだ。見慣れぬものはその鉄板の間にもあって、今にも「横の鉄板を叩くぜ」という体勢の、T字型の突起もついていた。
総評──なんだこれは。
「目覚まし時計だね」
答えが下った。
ディスは、え? いう顔をした小生を覗き込んで、
「もしかして、これも知らなかった?」
「と、時計くらい知っている!」
ディスは一秒思考し、
「じゃあこれは?」
小生は十秒思考し、
「し、知らなくもない、こともない。かもしれない、」
「どっちよ」
「しらない」
笑われる、と思った。
しかしディスは笑わなかった。手の平の上の目覚まし時計を小生の目の高さまで持ってきて、時計の裏側を小生に見せた。裏側には、つまみが二つと、ふたが一つ。
「目覚まし時計はね、設定した時間に大きな音を鳴らして、寝てる人を起こしてくれる時計のこと。えっと、」
つまみの一つを指し、
「これね。これをひねって起こしてほしい時間を設定するの。設定したら、」
スコティッシュフォールドの耳を指し、
「このベルを、T字のハンマーが叩いて音を鳴らすの。何回も何回も叩くから、大きな音がじりじり鳴る。そうすると、うるさくて起きちゃうわけ。目覚まし時計は、そういう時計」
「──なるほど」
またしても、小生はあっけなく感心した。
睡眠から目覚めるとき、小生は指定した時刻に一秒も違わず起きることが出来る。だが、記憶の改竄と一緒で、それも小生の中身が機械であるからこそなのだ。
人間にはそんなことは出来ない。だからこそ、それに合ったよう工夫している。
「単純だがすばらしいアイディアだ。まったく、人間という生き物はすごい叡智を持って生まれるのだな」
そしてこの墓の下は、そういった工夫が詰まった、まさに叡智の穴だ。
「うんうん。人間はすばらしい。よし次掘るぞ」
言うや否や鼻を利かせる小生。ごちゃごちゃした土の中も、もはや宝の山にしか見えぬ。あれもこれも知らない、これは知ってるけど、こっちは知らない、こんな形は見たことない。想像力をくすぐるデザインが頭の中でぽんぽん弾ける。
あれも良いな、これも良いな。
「なあ、ディスはどんなものが良い?」
「もう持って帰れないよ。いっぱい掘り出したし」
ばっさり。
小生は顔を上げる。振り向く。ディスは右手を顔の前にやって、「もう無理ス」という感じで手を振る。小生は泣きそうな顔をしてディスを見る。ディスは冷酷で冷徹で冷淡で冷血に一言を放つ。
「おあずけ」
じとっ、とディスを見る。
ディスはそんな視線などそ知らぬふりで、目覚まし時計をポケットの中へと滑り込ませた。あのくらいのサイズなら、ディスが持って帰ることが出来るのだ。
──あ、そうだ。
頭の中で電球が光った。
目覚まし時計ならディスでも持って帰れる。
しかしこれ以上の荷物はもう持ち帰れない。
ならば、掘り出したものは小生が背負って持ち帰ればいいのだ。軍犬ならば10トン100トンなんのその。それに主人の家の位置を知っておくのも飼い犬として必要なことだと思うのだ。
「そうだ、小生がディスの家まで運ぼうではないか。それならば文句あるまい? 小生はすごいぞ。バスより速く走れるぞ」
それでもディスは頑として、
「だめ。シュシュはこの丘が家なんだから、無闇に家から出たらいけないの」
──大体、それもおかしいと思っていたのだ。
「飼い犬が主人の家に行くのは至極一般的なことだと思うぞ。──でなくとも、せめてディスの家の位置くらいは把握しておくべきだと小生は思うんだが?」
それでもディスが了承する気配はまったくない。
押し黙って、うつむいて、目をあわせようともしない。沈黙していればいつかは諦めるだろう、と思っているのかもしれない。まったくもって効果的。小生は沈黙に弱い。このまま十秒黙っていたら、耐えかねて諦めてしまうに決まっている。
だから、小生は突っついてみた。
「あれか。ホームレスか?」
ばっ、と顔を上げて、
「なっ──ち、違うもん!!」
と叫んだ勢いはみるみるしぼみ、今にも消え入りそうな声で、
「家は、ちゃんとある」
「ならば、飼い犬として小生を招いてほしい」
「だめ。却下です却下」
「なんで」
ディスは返答から逃げるように立ち上がり、またうつむいた。つま先でむき出しの地面をいじくりながら、そっぽを向いて答えた。
「理由は、言えない。とにかく、わたしの家には来ちゃだめ。後ろをついてくるのもだめ。においを辿ってくるのもだめ」
「どうしてもか?」
「──ごめん」
そこまで言われたら、何も言えまい。
こうも見事に「ダメ」と言われた飼い犬は、尻尾を丸めてそっぽを向くしかない。あとに残るのは釈然としない気持ちだけだ。「なぜ」と「どうして」が頭の中でかき混ぜられて、得体の知れない靄となって思考をかすませる暗い気持ちだけだ。
ともすれば思考もマイナス一直線で、脳味噌は消えた稚気を呼び戻した。もーいい拗ねてやる。あーくそ拗ねてやる拗ねてやる。そんなことを思っちゃう小生の頭の上に、
ぽん、と。
「ごめんね、」
ディスの手だった。
ふと、思った。
小生は軍犬で、軍犬というのは戦うための犬だ。戦いに必要なものは三つで、力こぶと、すばしっこさと、頭のよさだ。つまり、素早く動いて敵を倒すための強靭な肉体と、敵の位置や動き、仲間の状態を正確に把握し、処理するオツムのことだ。そして、その二つを併せ持つ軍犬の身体は、普通の犬よりも大きい。
頭の上に乗ったディスの手の小ささに驚く程度には、大きい。
ディスは、まだ子供だ。
そんな子供が、小生の頭を撫でながら、思いがけないほど大人びた口調で、こんなことを言うのだ。
「ここには、毎日来るから。わたしには、シュシュが必要だから」
風が凪いだ。
ディスの背中のずっと先に、海の青のずっと先に、沈む太陽が見えた。どこかのスピーカーが一瞬のノイズを吐き、もうじきバスが来るから帰る人は急げと告げる。日没の朱が草むらを琥珀色に塗り替えて、うそか幻のような草原には「英雄の黄昏」というBGMが鳴り響く。
ディスは、「帰るね」と言った。
ひとまずはこれでいいか、と小生は思った。