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2/ピース1


 解除キーは、『おはよう』


「おはよう」

 その一言で小生はサスペンドから復帰する。魔法と機械が押し込められた小生の体内に力が漲り、寝ぼけとは無縁の目覚めを提供してくれる。

 背中に雑草の感触、視界いっぱい緑。朝の風は夜の風より冷たくて、小生は身体を震わせながら身体を起こした。スピーカーから録音放送が流れている。ノーヴェの町でよく耳にするという、『夜明けの英雄』だ。

「おはよう、ディス」

 午前九時三十二分二十九秒。

 天化の丘前バス停は一日にたった三本しかバスがない。すなわち朝、昼、夜である。朝の発車予定時刻は九時三十分だ。ディスはそのバスに揺られてやって来る。

 昨日、ディスは小生の飼い主になったくせに、「残念だけどうちで飼うことは出来ない」と言った。部屋が狭いのか、犬猫禁止のアパートか、ダニがたくさんいるのか、お隣にべっぴんの雌犬でもいるのか。

 ディスは顔をしかめる小生の鼻っ面に人差し指を突きつけて、

「今日からシュシュの家は、」

 真下、大地を指差し、偉そうに言った。

「この丘ぜんぶ。どう、広いでしょ?」

 いや、確かに広いのだけれども。

 つまりそれは、飼い主がいても野良犬と大差ないのでは、と思う小生であった。

「なあに、いきなり飼い主にほったらかされて、拗ねてるの?」

 ぬ。

 心の中を読まれた気分。

「安心して、シュシュはわたしの飼い犬だよ。飼い犬の世話くらいしっかりするから。野良犬と比べたらシュシュの待遇はロイヤルスイートなんだから。ほら」

 よいしょ、と小生の隣に腰を下ろしたディスが、大きなナプキンを被せたバスケットを地面に置いた。

 なんだこれは、という顔を小生はする。が、中身は匂いで分かる。マスタードとマヨネーズとソースとロースカツときざみキャベツを食パンで挟んだもの。いわゆるカツサンドと言うやつだった。

「朝食だけど、」

 不審げな目でこちらを見、

「……軍犬って、ごはん食べるの?」

 よく訊かれる疑問である。

 軍犬というのはつまりサイボーグ犬であって、サイボーグと聞くと、大抵の人間は動けばウィーンガッションで足音はガキンガキンというものをイメージする。それがたとえ写真、あるいは実物で目にした軍犬がごく普通の姿をしていても、だ。

 中身はがっちがちの機械仕掛けで、食事は電気か魔力。そういうイメージはなかなか離れないらしい。しかし、

「食事は必要だ。けど、普通の犬よりカロリー摂取量は少ない」

 身体を動かすのは小生自身の肉体で、いじくられた部分はあくまでも補佐的な役割しか持たない。そして、軍犬の中身は機械仕掛けというより、むしろ魔法仕掛けが占める割合の方が大きいのだ。

 その方が重量も軽くなるし、メンテナンスにかかる費用や時間を大幅に削減できる。魔法仕掛けなら故障する心配もなく、破損したときの修理費も安い。加えて機械仕掛けよりはるかに大きなパワーを出せるのだから、あえて機械に頼るところを大きくする必要もあるまい。

「そっか、よかった」

 ディスは頷き、バスケットの上のナプキンを取り払う。

 中から現れたのはやはりカツサンドだった。一緒に入っていた水筒のふたを開け、小さな手でカツサンドをつまみ、ディスは厳かに告げる。

「それでは、いただきます」

 小生は五秒の「まて」の後、

「いただきます」

 ジューシーでスパイシーなひとときは三十分ほどで終わった。

 たらふく食べた。小生は、あのカツサンドにかかっていたソースがたまらなく気に入った。ディスに聞いてみたら、あれは肉屋「マサムネ」の店主の妻がじっくりと時間をかけて熟成した特製スペシャルソースであるという。小生のグルメファイルに新たな名が刻まれた瞬間であった。

 小さな手で後片付けをして、ディスは厳かに告げる。

「ごちそうさまでした」

 小生は尻尾を振りながら、

「ごちそうさまでした」

 満腹になると眠たくなるのは人間も軍犬も同じ話である。とりわけランチのあとの眠気といったら強烈極まりない。おのれ草原め、一面が雑草なもんだから、どこでだって眠れてしまうではないか。それから太陽め、紫外線とかガンマ線に加えて、ぬくぬく光線や催眠光線も放射しているのではと思う。

 ああくそ、眠い。

 さっきのカツサンドに睡眠薬が入っていたのではと疑ってしまわずにはいられない。しかし催眠薬ごときを軍犬が見破られないわけはないので、つまりこの眠気は正真正銘、小生の怠慢に由来するものというわけであった。

 屈辱である。眠気をノックアウトするべきである。そのためにはこんな所でぼけっとしていてはいけないのである。

「よし。散歩でもしよう、ディス」

 原っぱに寝そべっていたディスは面倒くさそうに起き上がり、あくび一つ、

「ふぁ、散歩? ──食後は、あまり運動しない方がいいんだよ」

「なんでだ?」

「消化してる最中に動いたら、身体が消化に集中できないから」

 小生は一考し、

「──ならばひとりで待ってるか?」

「いく」

 天気は相変わらずの晴れだ。

 野花を眺めたりしながら二人で歩いた。第六区画だけでも結構な広さで、散歩程度ならここらで足りてしまいそうである。草原の中には林があり、森があり、くねくね曲がった石畳の細い道がその中を通っていたりする。

 小川の上をちいさな石橋がまたぎ、苔の上でカエルが鳴き声を上げる。それを飲み込むほどの海鳴りは、しかし森の中へとすぐ溶けて消える。あとに残るのは潮風が木の葉を撫でる音だけで、第六区画にある英雄の墓石を二桁年月で蝕みながら丘の上を滑るように吹き抜けていく。

 そんな午前十時十五分、人間の気配は、殆どない。

 ふと、小生はあることに気付いて足を止めた。

 ディスは三歩先で振り返り、

「どしたの?」

「──広いな」

 とことこ戻ってきて、ディスは周囲をぐるりと見渡した。疑問の顔の眉間にしわ。

 首を傾げて、

「なにが?」

「墓同士の間隔が」

 小生は右にある墓から左にある墓へと視線をめぐらした。

「丘」と言う印象が強すぎたせいで意識できないでいたが、ここの本質は墓場だ。

「墓場というのは、もっと墓石が密集しているのはないか?」

 ここは、どの墓を見ても隣の墓まで軽く10メートルくらいの間隔があいている。そりゃあこれだけ広い場所なのだから、そういう使い方をしても土地に困ることはないだろうとは思うのだけれど。

 小生は疑問の視線をディスに向ける。

 ディスは頷き、

「そっか、シュシュはこの丘のついてのことを詳しく知らないんだっけ」

 右の墓へとディスは視線を移し、

「それはね、術返りが、骨も残さずに人間を消しちゃうからだよ」

 天化の丘に埋葬される者は、その殆どが術返りの被害者。

 そして、術返りとは魔法使いを消滅させる現象。

 消滅、というからには肉体も残らない。魔法使いの遺体はエアーケースという棺に入れるのが一般的なものとされているが、そもそも収めるものが術返りの後には一つも残らないのだ。

 小生はディスにならって右の墓へと目をやる。

 その墓には“Don Altman”という名が刻まれている。墓の下にはドン・アルトマンの骨も遺灰もないくせに、墓石にはかつての英雄の名が刻まれている。

 ──墓の下には、何が埋まっているのだろう。

 ディスは、するり、と左の墓へ視線を移して、

「だけど、遺骨もないんじゃお墓に埋めるものがなんにもなくなっちゃうでしょ。その代わりに、魔法使いのお墓の下には何を埋めてもいいという決まりになったの。写真に日記、自転車や自動車。さらには家を埋めたっていい。だから、お墓同士がこんなに離れているの」

 見れば、墓の近くには不自然な草原や、土がむき出しになった場所がある。

 こういったものは、すべて遺品を埋めるために掘った跡ということなのだろうか。小生はひとつの墓に近づいて、いくつかの“魔法”で地中を軽く探ってみる。

 土の中は押し鮨みたいになっていて、複雑な形状が累々と組み合わさり、あるものは砕けていたり、あるものは奇跡的に原形をとどめていたりする。

 そんな中で、小生の脳味噌が最初に像を結んだ遺品は、二つあった。

 ──写真立てと、耳かき。

「耳かき?」

 小生の独り言に、ディスが小首を傾げ,

「耳くそでもたまってるの?」

「いやいやちがうちがう。このアルトマンという人間の墓に埋まっているものだ。耳かきらしきものが埋まっているんだが、遺品として耳かきなんてわざわざ入れるものなのか?」

 ディスは「珍しいことでもないよ」と言う。

「何を埋めたっていいもんだから、生前愛用していた品でもそうじゃなくても、節操なしになんだって埋めちゃうものだよ。耳かきくらい、」

 そこで、何かに気付いたように言葉を止めた。

 遠くの景色でも見るような目で、曖昧に小生を見た。その目が、ゆっくりと小生の双眸にピントを合わせてくるのを感じる。ディスの両目に、通常らしからぬ力を感じる。

 そして、迷うような間が、三秒。

 ディスはちいさく深呼吸し、慎重な声で訊ねてきた。

「シュシュ、分かるの?」

「耳かきくらい分かるぞ」

「ちーがーう!」

 ずびし、とチョップを喰らった。痛い。

「馬鹿犬っ。そうじゃなくて、地中に埋まっているものが何なのか、シュシュには分かるのかってこと!」

 きーっ! と拳を振り上げるディスに、思わず尻尾をまるめてしまう。

 今さらかもしれないが、ディスって暴君だな、と小生は思うのであった。

「わっ、まてまて。分かるぞ、地中に埋まっているものっ」

 拳を下ろし、

「どんな風に?」

「大きさやかたち、色も重さも分かる。砕けたりしてばらばらになっているものでも、破片の情報を元にイメージを構成したりできるぞ」

 ディスは、ふっ、と表情を緩めて、

「チョップしてごめん」

 小生は心底安心し、はたはたと尻尾を右に振る。ディスは小生の頭をゆっくりと撫でて、「シュシュはすごいね」と言った。ドン・アルトマンの墓は大きな木が近くにあって、それが影を作っていた。草花は冷たく、風も涼しく、ディスの手はほんのりと暖かい。

「でもね、」

 小生の頭を撫でる手はそのままに、ディスがつぶやく。

「人の墓を勝手に暴くのは、やっちゃだめ」

「──なぜだ?」

 即答、

「それが人間のルールだから」

 言ったきり、ディスは黙る。

 ディスが話さないから、小生もずっと黙っていた。

 そのまま、一時間も二時間もすぎたように思う。何もしない時間はとても長く、時間が止まったようにさえ錯覚する。その錯覚を引き戻すのは、絶えず響く波の音である。浸るように、小生はその波音に耳を寄せてみたり、木漏れ日の遥か彼方に浮かぶ雲を眺めてみたりした。

 やがて、ディスが静かに立ち上がった。

 うつむいたまま、一言。

「来て」

 そして有無を言わさず歩き出す。

 ご主人が来いと言うのだから、小生にそれを拒否する理由はない。トコトコ、ちいさな背中の後を追う。

 森を抜け、石畳の道からはずれ、林をすぎると、ふたたび海が見えた。

「こっち」

 右へ曲がる。大きな岩がある。その岩の近くに、中くらいの岩やちいさい岩がいくつも並び、大きな岩へ登るための階段を形成している。最初の広場の大岩である。

 ディスは淡々とその階段を上る。大きな岩の上はディスの胸あたりまでをすっぽり覆ってしまう背の高い草が支配していて、その先にはひとつの墓石があった。

 墓石には“Acro Maymerry”とあった。

 ディスはくるりと振り返り、

「あのね、シュシュ──」

 そこに小生の姿は見えなくて、

「に、逃げた!?」

 いやいや、逃げたわけじゃなくて。

 小生の身体は、背の高い草にすっぽり埋まって見えないらしい。ディスからすれば消えたも同然である。小生が軽くジャンプして存在を示すと、ディスはほっとした表情をしてくれた。

「シュシュ、おいで」

 そう手招きされて、小生はディスの許へ行く。

 墓石のすぐ傍は草が生えていないから、二人でそこに腰掛けた。すぐ傍の草むらで虫が鳴き、少し離れた海でウミネコが鳴いていた。

 ディスが静かに口を開いた。

「この墓はね、わたしの父親の墓なんだ」

「わかる。姓が同じだった」

 間が空く。

 ディスは黙っている。

 十秒くらい経過したところで、沈黙に耐えられなくなった。

「どうして小生をここに?」

 答えはなく、またもや間が空く。

 ディスは動きもしない。

 十一秒くらい経過したところで、沈黙に耐えられなくなった。

「襲っちゃうつもり?」

 ぼかん、と頭を殴られた。

 わびしく尻尾を丸め、耳をたたむ小生。ディスは殴っただけで、何を言うわけでもなかった。ふたたび間が空くが、今度は五秒と耐えられそうにない。

 そう思っていたら、ディスが唐突に、

「頼みが、あるの」

 そっと息をのむ気配。

「シュシュに、ここに埋まっているものを調べてほしいの」



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