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1/運河と天化の町3

 

 あの船頭が言っていたように、やはり名前ぐらいは知っていた。

 天化の丘。

 そこは魔法使いたちが眠る地なのだという。

 現代において、魔法使いの死因の約九割以上が「術返り」という現象によるもとされている。術返りに襲われた魔法使いの肉体は、跡形も例外もなく消滅する。

 しかし地位ある者、賢明な者、信心ある者はこう言うのだ。

 ──英雄に畏敬を捧げよ。

 そして人々は右へ倣って英雄信教。肉体は滅びても魂が滅びることはないという教えに頷き、天化の丘がいつか世界を救ってくれると信じて疑わない者の数は決して少なくない。

 そう、天化の丘は、魔法使いたちの魂が眠る丘だ。

 彼の地に宿った魂魄は未来永劫滅びることがなく、丘の頂上より天へと昇り、世界を見守り続けるのだという。鎮魂の丘とも、慰霊の丘とも、千里の丘とも呼ばれるが、いずれにせよ多くの人が神聖視している特別な場所である。

 どこぞの教えによれば、やがてその魂の集積はひとつの塊となって世界を救いへと導くらしいのだが、詳しいことなど今の小生には知る由もない。

 というのも、世界中の名所という名所に関する情報は記録された片っ端から削除しているからだった。

 小生は身体の中身が機械であるから、脳に記録された記憶を自由にいじくりまわすことが容易に出来る。

 特定の記憶を一時的に凍結することも出来るし、五感による刺激をパスとして解凍するよう仕組んだりもできる。例えば、『ノーヴェの町で「天化の丘」という言葉を聴かなければ、天化の丘に関する情報を思い出すことが出来ない』という風にだ。

 前のご主人が言うには、普通の生き物ではこういう真似が簡単にはできないらしい。

 小生の中身が機械であるからこそなのだそうだ。

 さて、

「あと1.5キロか」

 もうひと踏ん張りだ。

 看板から離れ、大きなカーブを描く坂の頂上へと向き直る。

 陽だまりの道を歩く。

 バスしか通らないくせに、車道はなぜか二車線もあった。

 バスも通らないくせに、小生は律儀に歩道を進んだ。

 歩道には黄色い点字ブロックと長方形のブロックが敷き詰められおり、ブロックの隙間からは野花や雑草たちが驚くべき生命力で顔を出していて、陽の光を存分に浴びていたりする。思わず寝転がりたくなるほどに暖かいブロックの歩道は、小生の肉球に心地良く、自然と足取りが軽くなる。

 歩道の外側には土手があった。

 一面を草と花に支配された土手だ。

 緑一色と思いきや、花々の黄色や紫の勢力は思いのほか強い。すこし背の高い花の近くをトンボが飛んでいて、小生は飛びつきたくなる衝動を静かに抑えた。

 小生は大人なのだ。トンボなんかではしゃいだりしないのだ。

 その土手のさらに外側には、海があった。

 潮の香りは土手の向こうから届いてくる。土手の上に登れば、そこからは海が見えるはずだ。もう、だいぶ上の方まで歩いてきた。小生が一歩を踏み出すにつれて、潮の香りは、まるで砂時計が砂を落とすように刻一刻と膨らんでいった。

 頂上は近い。

 土手の高さが、ゆっくりと移ろう景色に合わせて引いていく。

 それに合わせて、風の強さもまた、ゆっくりと増していった。

 アスファルトで舗装された道がようやく終点を迎えたのは、雑草生い茂る土手の高さがゼロになった頃である。

 舗装された道はまるで滑走路のように空へ向かって真っ直ぐ伸び、そして途切れていた。土手の雑草はそのまま草原となって広がっていて、機能しているかも怪しい“天化の丘前”のバス停に置かれたベンチをすっかり侵食している。

 天化の丘へ向かう道はというと、バス停の真正面にあった。

 木立の中に隠れるようにして、未舗装の小さな道がでこぼこと続いている。

 先へ進もう。

 頭上を覆う木の枝たちが作る木陰と、道の先から吹く風は、太陽の下を真っ黒な身体で歩いてきた小生にはかなり気持ちが良い。肉球に伝わる感触は、ひんやりとした砂粒だ。

 小道はぐねぐねと曲がっているが、そう長い道ではなかった。連なる木々の向こうに、光と、海と空と、丘の緑が見えた。

 そして、視界が開けた。

 見渡す限りの広い丘。

 しかしその雰囲気は、さっきまで歩いた陽だまりの坂道とは程遠い。閑散としていて、だだっ広い空間に流れる大きな風は冷たく、その寂しさは墓地のそれだ。天化の丘の別名のひとつ、慰霊の丘という名が頭をよぎる。

 小生は丘に踏み入り、首を巡らして辺りを窺った。

 丘には森があり、岩場もあり、果てには断崖があり、そして海がある。人工のものといえば大きな案内板があり、慰霊碑があり、電話ボックスがあり、詰め所らしき小屋がある。そして、丘全体にわたって、無数の墓標がある。

 人の気配は、殆どない。

 小生はまず、丘の入り口付近に立てられた案内板に目を向けた。

 ゴシック体で「天化の丘案内板」と書かれたその看板は、どうやら“どの町の人はどこにいるのか”を示した地図であるらしかった。つまり、町別に大まかな区画に分けて埋葬してあるのだろう。

 術返りで死亡した人数は、現在で五百人を超えている。それだけの墓標があり、これだけの広さを持つ墓地であるなら、整頓も必要になるというわけだ。

 ノーヴェの町で亡くなった者の墓地は、第九区画、南西の方角にある。

 特に急ぎもしなければ五分もかかるまい。林をひとつ抜け、小道を少し行くと、岩のような石があちこちに点在する場所に出た。すぐそばには石碑があって、こんなことが書かれている。

『英雄慰霊。肉体は空に、魂は天に』

 冷たい風が吹く。

 坂道の前で聞こえた波音と同じ音が、すぐ近くから聞こえる。耳の奥で残響するその音は、べたつく潮風に乗って冷気を丘全体に吹き付けていく。

 丘を緑色に塗りたくる雑草の群れは、風の始まるところで途切れていた。その先にあるのは、空と海だけの世界だ。

 小生は端まで歩いていき、海を眺めた。

 そこから下を覗き込むと、断崖に打ち付ける波と白いあぶくが見えた。

 その様はとても激しく、小生を強く惹きつける。

 波とあぶくをうっとりと観察していると、このまま三週間ぐらい見ていられそうな気さえしてきた。のだけれど、ずっと下を覗き込んでいては首が痛いし、誰かに見られたらちょっと恥ずかしい姿である。

 しかし小生、細かいことは気にしない。

 前のご主人は、小さいことにこだわっていたらでっかいオトコになれないぞ、と言っていた。小生はでっかいオス犬なので、小さいことにはこだわらないのだ。

 腰を据えて、思う存分に波を見るとしよう。

 と思った矢先、

「あなた、こんなとこで何してるの?」

 背後から声がかけられた。

 小生、びっくりした。

 びっくりして、飛び上がりそうになって、落ちそうになって、おもわず犬の声が出た。

「わふっ」

 なんとなく恥ずかしくなり、照れ隠しに大慌てで背後を振り返る。小生は全身が毛で覆われているので、顔が赤くなってもばれない。

「あなた、軍犬だね」

 背後にいたのは、女の子だった。

 太陽の光も反射しそうな金髪に、澄みきった湖を覗き込んだような青の瞳。身長と顔立ちの幼さから年齢はおそらく十歳前後だと推測する。くりっとした大きい両目の中に、驚き覚めやらぬ小生の顔が映りこんでいた。

 女の子はいきなり手を伸ばしてきて、

「おて」

 ──?

「お手」

 小生、固まった。

 女の子は一考し、眉根を寄せ、

「あまり賢くないね」

 聞き捨てならぬ。

 小生は電光の速度で右前足を差し出した。姿勢も正しい立派なお手である。

「おかわり」

 なめるなっ。

「よくできました」

 女の子は小生の頭をがしがし撫でると、ポケットからビーフジャーキーを取り出して小生の口につっこんだ。

「ご褒美だからね、よく噛んで食べなさい」

 ビーフジャーキーを噛み噛みしている間、女の子はずっと小生の頭を撫で続けていた。それをやられると眠くなるのでやめてほしかったが、小生はビーフジャーキーを噛み噛みするので精一杯であったため、おとなしく撫でられることにする。

 変わった子だな、と思った。

「どうして干し肉なんて持っているんだ?」

 噛み噛みし終えた小生は、顔を上げて訊ねた。

 女の子は表情をまったく変えない。まるで石像かと思うが、動くから石像ではないのだろう、女の子はビーフジャーキーをもう一本取り出し、それに噛みついた。抑揚のない声で一言、

「おやつ」

 そして、ビーフジャーキーがさらにもう一本現れた。いったい何本持っているのだろうか、もしかしてこの女の子はビーフジャーキーを司る神様なのではないだろうか、小生の興味は尽きない。

 女の子はそいつを小生の前に差し出し、

「ほしい?」

 返答に窮した。

 女の子は、さらにさらにもう一本追加し、こう言った。

「ほしかったら、わたしの話し相手になって」

 返答に、窮した。



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