3/彼方を想う2
軍犬四匹──黒疾風、白雷、空翠、静紅──の突進に機兵は完全に反応した。それどころか対応した。音さえ遥か彼方の魔術行使、障壁展開、四匹すべての攻撃が薄緑色に輝く壁の前では塵と化す。
機兵にとって、それさえ右腕だけの魔術行使。
左腕、魔術反応、同時に発動、同時に発射、ほぼ同時に着弾。
機兵の脇を抜けようとした味方への攻撃。機関銃を構えて走るマルセルとジェットは最後まで気付かなかった。アレキアの怒鳴り声も届くことはなく、ただ光があった。瓦礫ごと吹き飛ばされ、アスファルトがごっそり剥がれ、二人は死体もよく分からなくなった。
それでも軍犬たちは起き上がる。二度目の攻撃を仕掛けようと散開する。一秒ですら惜しいほどに時間がないのだ。アレキアもカズラも軍犬たちも、次の攻撃でこの機兵の通せん坊をどかさなければ術陣の完成は阻めないと直感している。
静紅が、疾った。
脚力に負けて地面が砕ける。弾丸のような突進、機兵の真正面よりやや右側、障壁を展開した腕を狙った至近距離からの大加速。
それでも、無機的な目は正確に照準してみせた。
完璧なタイミングで魔術反応。空気と空気がぶつかり合う凄まじい音と同時に静紅の攻撃は見事に防がれ、跳ね返った衝撃が大量の水飛沫とともに静紅を弾き飛ばす。
一匹の力ではどうあってもあの機兵の障壁を破ることなど出来ないのだ。
静紅一匹の力では。
──疾れ!
轟音が続いた。連続する衝撃を殺しきれずに機兵が一歩後退する。障壁に弾かれた静紅は見上げていた、自分とまったく同じ軌道で突進した白雷の姿、一点のみに集中させる仲間の意思。
それでもなお健在し続ける薄緑色の魔壁。
静紅と白雷の力でも破れない。
まさに無敵と呼べるその盾を展開させておきながら、決して表情のない機兵の顔には明らかな驚愕の色。無機の瞳に映る三匹目の軍犬。
続く、轟音。
犬の姿をした稲妻のようだ。六匹中最速、空翠の姿は残像さえ残さない。三度目の突進がまったく同じ一点を突き刺し、防壁を貫通する衝撃に機兵の身体がさらに後退し、同時に機兵の反応が追いついた。
冷たい殺意が小生を射抜く。
機兵の右腕に魔術反応。
四発目をぶち込もうとする小生の踏み込み速度を機兵の一撃は遥かに凌ぐ。確実に小生の額を貫く照準線、避けようのない一瞬、神経が加速したようなスローの世界。ゆっくりと魔法回路を走る魔力が見える、小生を殺そうとする力の流れが見える。しかし、その流れよりもさらに早く、機兵の右腕に牙を突き立てたやつがいた。
隠れていた灰斬だった。
勝機が転がり込んできた。
刹那の中で生まれた死に対する回避感情が刹那の間に消え去った。躊躇いも容赦もない、力の限り地面を蹴りつけた小生が、六匹中最強の破壊力で障壁に突っ込んだ。
そして、静紅の一撃から、ちょうど一秒。
小生の目は、破壊された機兵の障壁を見た。
衝撃が完全に貫通し、機兵の身体が後方へ大きく倒れかかり、分厚い装甲が軋んで、隠れていたもう一匹──蒼焔が飛び出して横合いから殴りつけた。
自分の体重の百倍以上ある相手が瓦礫と雨粒を蹴散らしながら軽々と吹っ飛んでいく。
何もかもが砕けたような激しい音。
しかし、障壁が死に、右腕を軍犬に噛み砕かれ、バランスを失ったまま瓦礫の中に吹き飛ばされて、それでもあの鉄の悪魔は健在だと全員が悟っていた。静紅、蒼焔、空翠、白雷、灰斬、五匹の軍犬たちは油断も隙もなく、機兵がうずまる瓦礫の山へと走る。
残ったのは、小生とアレキアとカズラだけだ。
一散に機兵を討たんと駆ける軍犬たちを視界の端に捉えながら、小生たちは正面の敵を殲滅しにかかる。
敵の元まで距離にして五十メートル。アレキアたちがそれをゼロにする前に、半数の魔法使いが攻撃魔法をランさせる。術陣は複数の魔法使いが一つの魔法を使うための陣形であり、小生の目は十人で組んだ簡易的な陣を七つ捉えていた。
その七つすべてが攻撃態勢。
遮蔽物のないこの場所でそんなことをされたら死ぬに決まっていた。
それでもアレキアとカズラは疾走する。
なんの小細工もない真正面からの突撃は、それだけ小生を信頼しているからに他ならない。小生も仲間の軍犬たちを信頼し、この二人を信頼している。だから小生も走った。アレキアより速く、カズラより速く、敵の猛射より早く。
最短距離の陣に食いつき、視界が血の一色に染まる。それでも敵の攻撃を止められない。叫ぶ、人間の言葉ではなく、犬の声で叫ぶ。ばかな一組がその咆哮に怯んだ。小生は決してそれを見逃さない。そいつらが小生の姿を認識する前に殺した。
敵の攻撃はそれでも止められない。瞬く間に弾幕射撃、人間では避けられないはずの無数の銃火、その中をアレキアとカズラは走り抜けている。小生が殺した二組の穴を絶対的に信頼して、一秒後には地に伏していてもおかしくない魔術の火線を突破する。
敵のどよめき、アレキアの怒号、二人の戦士が魔法使いの群れに突っ込む。
小生は爪と牙と嵐のような運動エネルギーを振り回し、アレキアとカズラは一心不乱に周りにいるものすべてを切り伏せる。敵もただではやられない、一部の魔法使いたちが退避しながらまるで銃弾のような魔法を行使する、小生が五人殺し、十人殺し、そこで魔法使いの銃弾がカズラの右腕を撃ち抜いた、アレキアが何かを叫びながら敵の喉を切り裂き、小生が走り、間に合わず、魔法使いの銃弾はカズラの右足と胸を抉り、鮮血の赤が泥にまみれた地面を彩り、カズラは地に膝を突かずに戦い続けた。
魔法使いたちのウォークライ、爆音、静紅たちの戦闘音、アレキアの息遣い、小生の耳は戦闘中でもいくつもの音を捉える。そのいくつもの音の中の一つが、不意に消えた。
カズラの心音だった。
アレキアの雄叫びを雨音が掻き消していく。
それでもアレキアはカズラの方を見もせずにブレードを振るい続ける。おそらくもう腕もろくに上がるまい。いつ死んだっておかしくない。アレキア自身だって腕も足も打ち抜かれている、それでも戦う。だから小生も戦った。軍犬は主人が戦う限り走り続けるものだ。たとえあの機兵と戦っている仲間の鼓動が既に三つ消失していようと──仲間が何匹死のうと、アレキアが戦い続ける限りは殺し続ける。
ついにブレードが折れ、その隙を突いた三発の弾丸が身体を貫通し、アレキアはなお突進する。死に体とは思えぬ獅子奮迅。小刀を抜き放ち、首か心臓だけを狙って殺す、走る、殺す。
いきなり背後で岩を砕くような音。
軍犬と機兵が再び大通りに転がり込んできた音。
血だまりの中、小生は方向を反転させて音の方を向く。機兵と軍犬の姿、機兵はもう穴だらけの傷だらけだが、軍犬は死に息の蒼焔しか残っていない。あのままでは、もういくらも持つまい。
「黒疾風ェ──ッ!!」
小生は爪を振るいながら聞いていた。
「犬を援護しろ! 機兵を殺せ!」
そのときのアレキアの言葉を、小生は「自殺」だと判断する。五十以上が残る魔法使いを相手に、今度は軍犬の援護もなしに戦うなんて無茶もいいところだ。ただでさえ一握りもない生存の可能性を、ここで自ら叩き潰してどうするのか。
だが、それでも従った。
軍犬にとって、主人の命令は絶対だから。
小生は泥を蹴り、雨粒を跳ね飛ばして逆走する。
アレキアとすれ違い、蒼焔の元へ走った。
大通りに戻ってきたと思った機兵と蒼焔は既に廃屋を突き崩しながら路地の奥へ奥へと進んでいる。機兵が振るった一撃が雑居ビルを砕き、両者は別の大きな通りへと躍り出た。瓦礫を飛び越え小生がようやく追いつく。
もう鉄くずとしか思えない機兵はそれでも小生たちより速く動いてみせた。
蒼焔は半分以上が発狂した状態で、爆発じみた速度に任せた一心不乱の攻撃を繰り返す。その馬鹿正直な攻撃を利用して小生は背後に回るが、機兵は小生の攻撃を読んでいるかのように片腕だけで軍犬二匹の攻撃を捌きに捌く。
蒼焔は幾度となく殴り飛ばされながらも機兵に噛み付き、何度目かの挑戦でついに四本の犬歯が装甲を貫いた。そこからありったけの魔法術式を流し込んでやろうと試みるが間に合わず、機兵の三つ指は軟体動物のように動いてあっけなく蒼焔を捕らえた。
蒼焔の咆哮が雨に濡れた廃屋の外壁を震わせる。
軍犬の断末魔。
小生はその右腕を喰い千切ろうと必死に食いつくが、装甲を破り、神経を貫き、骨格をへし曲げても機兵の腕はびくともしない。どうしようもない死の一秒が、粘性を持ってどろりと世界を流れた。
機兵の腕に蒼焔を殺す力が込められ、
その一瞬、
『離れろ』
頭の中に響いた蒼焔の声が、小生をその場から退避させた。
それは、仲間の声を信頼する、などというものではなく、原始的な恐怖による逃走行為でしかなかった。
身体中の魔法回路に火をつけ、肉体を翡翠色に発光させた蒼焔の姿が小生の瞳に映っていた。千分の一秒の世界ですべての魔法を発動させ、発動した魔法が片っ端からチャージされていく。溜め込まれた莫大なエネルギーは蒼焔の死と同時に制御を失い、破壊の乱流となって解き放たれるだろう。
その結果を一瞬先に控え、蒼焔は、
『拙生、務めを果たそう』
事も無げに、笑った。
直後、透明な爆発が起きた。
ひしゃげた蒼焔の肉体からとんでもない衝撃がはじけ、降りそそぐ雨粒を押し上げ、アスファルトをひっぺがしながら泥を巻き上げ、廃屋の壁を砕き、さらなる瓦礫を生み出しながら通りを貫いた。
巨大な砂煙が舞い上がる。それすら、激しい雨の前ではあっという間に押し潰される。戦闘音の失せた大通りに降りそそぐ雨はやむことを知らずに降り続ける。
雨と煙。
その中に、もう機兵の影はない。
仲間の影も。
爆風に吹き飛ばされた小生は、重い身体を引きずるようにして立ち上がった。
大通りを雨が支配している。残った犬は泥だらけの小生一匹。
世界の半分を白く煙らせるほどの雨の中、戦闘音の残響を聞きながら小生は歩き出した。暗く静かな戦場は海の底のようだった。冷酷で容赦がない。累々と転がる人間の死体、犬の死骸、機兵の残骸。大通りへと戻り、
「くろ、はやて」
ほんの微かなアレキアの声。
「生きて、いるのか、……生きて」
小生はそのわずかな音源を探って直ぐにアレキアの元へ駆け寄る。
「……敵、は……撤退、した」
虫の息だった。身体中に穴が開いていて、こんなになっても生きていられるのか、と思うほどだった。それでも、確かに生きていた。言葉を発せられる力が残っている。
傷だらけの顔を舐めてやると、アレキアはゆっくりと手を伸ばして、小生の顔を撫でた。
そこから先のアレキアの言葉は、もう声にはならなかった。
ただ口だけが動き、小生はそれを必死に読み取った。
今すぐグレイまで戻れ。
全力で走れ。
クロガネはもう落ちた。
仲間達は橋を渡れるだろう。
お前もグレイを越えろ。
犬だけならきっと間に合う。
お前もシロガネへ行け。
生きろ。
「それは、主人としての命令か?」
アレキアは深く息を吸い、真っ黒な暗雲が支配する空を見上げ、降りしきる雨の粒に眉を顰めながら、タバコの煙を吐くように息をつく。未練も執着も何もかもが抜け落ちた顔をして、アレキアの最後の言葉は、はっきりと声になって小生の耳へと届いた。
「──戦友としての、祈りだ」
それから何分後にアレキアの命が終わったのか、小生は知らない。
あるいは何秒後だったのかもしれないし、何十分後だったのかもしれない。しかし知る由もない。その頃の小生はアレキアが言ったとおり、この身に残るすべての力を出して走り続けていたから。
走る速度は、自分でも驚くほど遅かった。
グレイにたどり着くまで、小生は仲間たちのことを思った。ついさっきまで生きていたものたちがみんな動かなくなる、そんなことなど小生は何度も経験している。なのに今の小生は、その"さっき"を苦しいほどに懐かしく思った。
けれど小生は軍犬で、軍犬は敵を屠る者で、そのためには仲間の死などにいちいち動揺してはいけない。
生き死にを憂うならば、それはいつか敵を殺すことに躊躇いを生むから。だから、死なんてものは摂理のほんの一部でしかないと思い続けるべきなのだ。さっきまで生きていたものが死ぬ、それは、小生にしてみれば話し相手が一人減った程度のこと。
昔、小生が生まれた施設で、白服の男たちがよく口にしていた言葉がある。
『生を軽んじてこその軍犬だ』
『何かを守るための戦いは隙だらけ』
『自らを機械の部品だと思え』
『死を哀しむことも、恐れることも間違いだ』
洗脳じみたそれらの言葉を、小生は正しいと思っている。なぜって、その言葉が正しかったからこそ、小生は今日まで生きてこられたのだから。
戦争の夢は、そこまでだ。
夢は唐突に終わり、小生は一瞬で目を覚ます。戦禍の空気が、乱層雲の空が、身体を打つ大粒の雫が、終点の見えぬ巨大な連絡橋が、想う間もない速度で消えてなくなる。
仕掛けた二つ目のアラームが、小生の身体を叩き起こした。




