study love
[一]
「ねぇ、山田君こっち見てなぁい」
「いやぁよ恵ったら。気のせいよ」
「なによぉ、典子だって顔真っ赤じゃない」
英語の授業中である。ただでさえ大嫌いな授業だというのに、こうやかましく後ろで騒がれてはあまりの苛立たしさでたまったものではない。第一山田は窓側の一番端の一番前の席で、廊下側の一番端のしかも一番後ろの席であるお前たちを見れるわけないだろう。
恵と典子が一緒になると必ずこうなる。二人がくっつくと所構わず延々と話し出す。声が無駄にでかいから、周りの人間はいつも迷惑をする。特に彼女らの前の席に座る俺なんかは。
話の内容は主に山田の寝顔やら山田の弁当の中身やら山田の靴のサイズやら・・・とにかく山田のことならなんでも話す。「山田のファン一番隊」とまで名乗るほどの山田好きで、それはこのクラスの奴らなら知らないものはなかった。それでいて、当の山田は「恋愛よりも外の景色を眺めるほうがずっといい」と言っているからどうしようもない。我々山田と彼女2人を除くクラス一同は「さっさとくっついちまえよ」とただただ願うばかりだ。といっても、どっちかがくっつけばケンカになるだろうし、やっぱり結局はどうしようもないのか。
そんなことを考えているとノートに書く英単語がギザギザになる。ようは腹が立ってペンを握る手が自然と力んでしまうのだ。英単語は見るからにお粗末で、消しゴムで消して書き直そうとしたら消しゴムが真っ二つに裂けてしまった。
「ねぇねぇ、山田くんを熱く見つめてどっちに応えるか試してみようよ」
俺の後ろの席に座る恵の声が聞こえた。「いいわねぇ」と間を空けずに典子の声も飛んでくる。
ここで、俺は左隣の席を見た。そこには、愛美さんが座っているのだが、彼女は黙々とノートに板書を写している。うるさい中よく集中できるなぁ。俺は心底感心した。
愛美さんは、このクラスの中でアイドル的存在である。「現世のかぐや姫」と陰で囁かれているほどで、「かぐや姫が竹から生まれたのなら、愛美さんはひまわりの種から生まれた」というありもしない誕生説をクラスの男子達は説いている。俺もそのなかの一人だ。
愛美さんは恵や典子とはまったく違っている。根本的に。たとえば、典子と恵がうるさき女子であるのに対して、愛美さんは語らぬ聖女である。たとえば、典子と恵がクラス庶民から給食にでるデザートを次々と奪い取るイジワル皇帝なら、愛美さんは貧しき我々庶民にデザートを分け与えてくれる英雄なのだ。このことからして、どう考えても雲泥の差がある。
そんな愛美さんを、俺はこっそりと眺めている。横顔が美しい。見ているだけで、俺の腹立たしさは癒されていった。癒されすぎて「もう授業なんてどうでもいいや」と投げ出してしまうほど、彼女の癒しは絶大だった。
「好きな人を落とすにはやっぱり見つめることが大事よね」
「私もそう思う。目で語るっていうやつ?」
「恋は目で語ってなんぼよ!!」
相変わらず後ろからは声が飛んでくる。いつもうるさいヤツがなに言ってるんだ。俺は一瞬吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。しかし、一方では「なるほど」と考えてみたりもする。あくまでちょっとだけ。
彼女ら曰く、恋愛成就の秘訣は「目で語ること」らしい。なんでも「目で語ること」は我が母国日本特有の意思表現で、この国だからこそできる会話なのだという。目は言葉以上に気持ちを表現し、どんなに緊張して相手と上手く話せなくても、目で語ることによって喋る必要がなくなり、ストレートに気持ちが伝わるからどんな恋愛も成就するんだとか。
おそらく出鱈目だろう。しかし、人間とは面白い話にはつい乗ってしまう生物だ。この時ばかりは俺の耳が一回り大きくなったかもしれない。
目で語る。猛烈に熱い気持ちを込めて愛美さんを見つめたら、この恋は成就するんだろうか。そんなことを思ったら顔があっつくなった。おまけに心臓までもがドキドキしてる。これはもう英語の授業どころではなかった。
やってみよう。そう決意するのに時間は掛からなかった。俺は愛美さんを見つめた。心にある気持ちをすべて目に託して。顔があつい、胸が痛い、体中の血液がすごい勢いで体を駆け巡る。俺はもう気が気じゃなかった。好きな人を見つめるというのは尋常なものではない。
もしもこれで何もおきなかったら、きっと俺は典子と恵を鍋で煮るだろう。鍋で煮て金魚の餌にしてやる。そう思ったとき、
愛美さんと俺は目が合った。
[二]
「ねぇねぇ、山田くんを熱く見つめてどっちに応えるか試してみようよ」
相変わらず声が大きいな。私の席の後ろから、恵と典子の声が聞こえます。できれば授業に集中したいのですが、彼女達の声がとても大きいので集中できません。それに、もともと私は英語嫌いだし・・・自然と彼女達の声に耳が傾いてしまうのは仕方がないことでしょう。先生の熱心な授業には関心しますが、つまらないものはつまらないのです!
典子と恵の恋に対する気持ちは、とても純粋でした。おそらくこの世の中で彼女達ほど純粋な恋の気持ちの持ち主は他にいないのではないでしょうか。
彼女たちは、心の内にある恋する気持ちというものを、言葉にして体外に出さなくてはとても生きていけないのです。ええ、私にはわかります。山田君に対する気持ちが、心の中をいっぱいいっぱいにしているのです。もしもこの気持ちを言葉にして出さなければ、たちまち彼女達の心は破裂してしまうでしょう。みなさんにはわかるでしょうか。
私はそんな恵と典子を羨ましく思いました。自分の好きな人を自信をもって言える、こんな素敵なことが他にありますでしょうか。もちろん私にも好きな方がいます。だけど彼女達のように、とても好きな方の名前を言葉にできません。見習いたいとは思うのですが、どうも恥ずかしくって・・・いざ言おうとすると顔があっつくなるのです。
「好きな人を落とすにはやっぱり見つめることが大事よね」
「私もそう思う。目で語るっていうやつ?」
「恋は目で語ってなんぼよ!!」
恋は目で語ってなんぼよ。私の後ろの席の典子が言いました。2人でこんなにもたくさん話しているというのに目で語るって・・・思わず吹き出しそうになって慌てて口を押さえました。
彼女達曰く、恋愛成就の秘訣は目で語ることが大事とのこと。嘘か本当かは判断つけがたいですが、もしも本当ならこんなにも良い話はありません。好きな方と上手く喋れない私にとって、このアドバイスはまさに天の声でした。
あの人を見つめたら私の気持ちをわかってくれるかな。カレの笑顔を想像したら、顔が猛烈にあっつくなりました。胸が高鳴り、血がお祭り騒ぎをしています。思わずニヤニヤしてしまい、私はもう気が気ではありませんでした。
ふと、私は机に広げたノートを見ました。授業を真面目に受けていると見せかけて、実はノートには英単語の1つも書いていません。わたしわるいこ!
そのかわりに、ある文字が書かれていました。彼の名前とその後に「好き」という文字。
私は覚悟を決めました。「あの人を見つめよう」
これでもしも何もおこらなかったら、私は発狂して彼女達に掴み掛かるかもしれません。金魚と一緒に川に泳がせるかも。そう思いながら、すこしずつ好きな方に顔を向けたときです。
私とカレはばっちりと目が合いました。
[三]
窓の外に大きな木がある。俺はその木の名前を知らない。木には葉が青々と茂っていて、時々風が通ると気持ち良さそうに揺れていた。
こんなにも美しい光景をどうして他の者はわからぬのだろうか。もはやこの光景を前にして、英語の授業などやっている場合ではない。
確かにその光景は、驚くようなことではない。ただ木の上部を覆う葉が風にあたってそよそよ波を作るだけである。一見すればただそれだけ。
しかしそこが良いのだ。その光景は、この学校が平和であるということを物語っているのである。もしも学校が戦争を始めたら、葉はこんなにも心地よい波をつくらないだろう。荒れに荒れて、木はなぎ倒されてしまうかもしれない。そう考えると、このなんでもない光景に感動を覚えるのだ。
俺の名前は山田だ。この名前を心底ありがたくおもう。俺は自然というものが好きだ。愛すら感じる。
以前、クラスのある男子にこんなことを言われたことがある。
「お前、そんなにモテているってのに、彼女つくらんの?」
俺は心の底から腹が立った。どうして人間の彼女など作らねばならぬのか。俺は一蹴してやった。
「恋愛よりも外の景色を眺めるほうがずっといい」
このときから、その男子とは仲が悪い。しかし小さな事だ。遥か広大なこの地球の大地に比べれば、人間同士のケンカなどどれだけ小さいことか。
ああ、俺は残念に思う。人間というちっぽけな存在に生まれてきたことを。惑星になりたかった。大きな存在になりたい。大きな存在でいたい。
ものごごろついたときから、俺は心に固く決意していることがある。
「せめて心だけは広大でいよう」
窓の外に大きな木がある。俺はその木の名前を知らない。
俺はあんな木になりたいと思った。なんだか後頭部に視線のようなものを感じて、それがとてつもなく熱かったが、俺はもう動じない。どうしたら広大な自分になれるだろうか、そのことばかり考えていた。