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 ぱちり。

 うなされていた輝久の目が開いたのを見て、桜麟は大きく息を吐いた。

「ああ、よかった……」

 悪い夢を見ていたのだろう。苦し気に何度も何度も呻いていた。「籠目、籠目……」とうわ言のように呟く姿は、とても痛々しくて見ていられなかった。

 身体に障るかもしれない。そう思うも、苦しみから解放してあげたい気持ちが勝り、桜麟は輝久の名を呼んだのだった。

「……どこだ?」

「いつもの奉行所ですよ」

 桜麟は茶碗に水を用意してから輝久の枕元に座る。それを飲ませながら、九兵衛の屋敷での顛末を話した。

 屏風の妖魔が倒れると、その霊力に煽られて暴れていた他の妖魔も大人しくなった。妖魔の心配がなくなれば、町火消は存分に力を発揮できる。幸いにも大火になることはなく、長屋を二つ、三つ焼いたところで止めることができた。

 妖魔の霊力で手傷を負った輝久は、付喪神奉行所へ運び込まれた。すぐに医者が呼ばれて火傷の治療が行われ、命にかかわるものではないと聞いて安心したものだ。ただ強力な妖魔の霊力を浴びてしまっていたので、しばらくは注意したほうがいいということだった。

「――そんなわけで、輝久様は絶対安静でお願いします。重傷でないのは幸いでしたけど、体力的には相当落ちているはずなので」

「九兵衛はどうなった?」

 説明を終えた後の質問に桜麟は顔をしかめた。安静にと告げた矢先にこれだ。仕事のことは忘れていてほしいのだが。

「火事を起こしてしまったということで、人間の奉行所のほうに引っ張られていきました。錯乱していて話が聞ける様子ではないようですけど、何かわかったら情報は流してもらえるようですよ」

「そうか……」

 安堵したように輝久が大きく息を吐く。そのまま眠るかと思いきや、天井を見ていた視線が桜麟の方へ向いた。

「ところで、お前はどうしてそんな格好をしているんだ?」

「これですか?」

 桜麟は自分の姿を見下ろした。白無地の小袖に浅黄色の裃。

「まるで、今から切腹でもするように見えるのだが……」

「え、その通りですけど」

 桜麟は姿勢を正すと、その場で深々と頭を下げた。

「主の命令を聞かずに勝手な行動を取ったあげく、怪我までさせてしまいました。この罪は万死にも値するもの。輝久様が目覚めたら、きっとすぐに切腹を申し付けられると思い、こうして準備していたのです」

「…………」

 微妙な空気が流れた。

 あれれ、と桜麟は顔を上げた。何か間違っているだろうか。胸元から懐刀を取り出して、ちゃきっと抜いて見せる。

「こちらも、準備万端です。わたしも覚悟はできています。後は輝久様の一言があれば、見事に切腹して元の斬妖刀の姿に戻ります。後は適当に捨ててください。これで許されるかはわかりませんけど、少しは輝久様のお怒りが収まればと……」

 話しているうちに輝久の眉間に皺が寄り、それがどんどん深くなっていった。何をどう間違ったのだろう。切腹の作法は左近に聞いたから、完璧なはずなのだけど……。

「……あのな」

 輝久の右手が布団から出て、ちょいちょい、と桜麟を手招きした。

(あ、ご自分の手でやりたいのですね)

 確かにそのくらいは怒っていて当然だろう。桜麟は膝を進めて近づくと、懐刀の柄を輝久へ差し出した。

「さあ、一息にどうぞ。急所は人間と変わらな……あああっ!?」

 次の輝久の行動に桜麟は驚いた。何しろ懐刀を受け取ったかと思うと、庭へそれを放り投げてしまったからだ。綺麗な放物線を描いて、植木の近くにぐさりと刺さる。

「て、輝久様、一体なにを……わぷっ」

 取りに行こうとした桜麟の手が掴まれた。意外に強い力で引き込まれ、そのまま彼の隣に倒れ込んでしまう。

「切腹させるつもりなら、そもそも助けるわけがないだろう。阿呆!」

 耳元で怒鳴られ、うひゃぁ、と桜麟は首をすくめた。

「ええと……許していただけるのですか? だって、命令違反に油断。申し開きの余地もありません。わたしの完全な自業自得ですよ?」

「許すも何も……」

 呆れたような気配。恐る恐る顔を上げると、間近に穏やかな輝久の顔があった。

「お前が無茶をするのは予想ができたことだ。それを許した俺が悪い。護り手の不始末は、主が責任を取るものだからな。何よりお前に怪我がなくてよかった」

「輝久様……」

 不意に桜麟は目の前が滲んだ。慌てて顔を布団に押し付けると、その後ろ頭に輝久の大きな手が乗った。

「本当にお前は、ときどきとんでもないことを言うな」

 口を開いたら泣いていることがバレてしまう。桜麟は無言で首を横に振った。

 ――死んでお詫びをするしかないと思っていた。

 輝久が自分を庇って傷を負った時、何か大切なものを失ってしまうようで恐ろしかった。護り手でありながら自分の行動が原因で、主を危険に晒してしまった。奉行所の付喪神にも申し訳が立たない。

 人知れず果てようかと思ったが、それを思いとどまったのは輝久のことが心配だったからだ。せめて目覚めるまでは見届けたかった。

「お前は斬妖刀の付喪神だが、本当は妖魔を倒せないのだろう?」

 何気ない調子でそう問いかけられ、桜麟はぎくりと肩を震わせた。

「無理はせんでいいぞ。弱そうだとは言ったが、それはお前の性格だ。少し脅せばすぐに凹んで逃げ出しそうに思えたからな。だが、霊力は弱くはない。むしろ強いくらいだ。特殊な霊力とはいえ、それだけの力がありながらあの屏風の妖魔ごときに負けはせんだろう」

「はい……。隠していてすみません」

 とうとう見抜かれてしまった。桜麟は観念して頷いた。

「わたしは神社に奉納されていた斬妖刀なのです。だから実際に使われたことはなくて……霊力の性質もですけど、付喪神に『成った』過程が影響しているのだと思います」

「というよりも、そういう場所に供えられていたから、お前の霊力の質が決まったのだろうな」

 的確な輝久の指摘に、その通りだと桜麟も頷いた。

 斬妖刀が付喪神に『成る』ことは少ないと徳次郎から聞いていた。なぜなら斬妖刀は戦うための武器。いくら手入れが行き届いていても、戦闘中に損じる機会は山ほどある。

 そんなわけで、徳次郎が桜麟を手に入れた時、これは高く売れると皮算用をしていたのだ。だが、目覚めた桜麟は、妖魔を倒すことはできなかった。力の扱いが未熟だった時は、逆に妖魔に力を与えてしまう始末。あてが外れた徳次郎は落胆して、どんどん桜麟への当たりが強くなっていった。

「どう頑張っても、妖魔を倒せない護り手なんて……必要ないですよね」

「そうだな。不要だな」

 あっさりと言い切られ、止まっていた涙が再び溢れそうになる。この人に選んでもらいたいと思うのに、それは絶対に叶わない願い。

 どうして自分の力は妖魔を倒すには向いていないのだろう。

 いや――それは言い訳だと桜麟は知っている。

 何しろ自分は斬妖刀の付喪神。少し霊力の扱いを変えれば、きっと妖魔を退治する力も得られるはずだ。

 それができないのは己の心。

 妖魔も付喪神も、元を辿れば同じ存在。だから妖魔は倒したくない。そんな風に考える自分を、今だけは嫌いになりそうだった。

「――だがな」

 布団にうつ伏せになって沈黙する桜麟の肩に手が当てられる。顔を見せるように言われ、のろのろと顔を上げた。

「それはお前が護り手に向いていないだけのことだ。一つのことで価値がないからといって、そのように世も終わりといった顔をするんじゃない」

「輝久様……」

 自分のことを慰めてくれている。別の道もあるのだと示唆してくれている。

 だけど――

 桜麟は目を閉じると、無言で輝久の胸元に顔を埋めた。

 ――それでもわたしは、あなたの護り手になりたいのです。


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