第7章:王国騎士団の恥辱と聖域の確立
「……しまっ……!」
拠点である氷の館の静寂は、突如として空間を切り裂き現れた鋼鉄の殺戮者たちによって破られました。漆黒の甲冑を纏ったキラーナイト5体、そして多脚を異様に駆動させる殺人兵器、キラーマシン5体。
迎撃に動いたダグラスとトビーでしたが、キラーマシンの機動力は想定を遥かに超えていました。超高速で駆動するブレードが、防御に回る一瞬の隙を突き、二人の両腕を鮮やかに切り飛ばしました。
「ぐあああああッ!」
「ダグラス! トビー!」
血飛沫が舞う中、崩れ落ちる二人。しかし、その刹那、エリンとセーラの瞳に鋭い光が宿りました。
「……逃がさないわ。この氷からはね!」
エリンが地面に掌を突き立てると、館の床一面が瞬時に凍りつきました。超高速で移動していたキラーマシンの脚部が氷に捕らわれ、キラーナイトの足首も床と完全に一体化して機動力を喪失します。
「セーラ、二人を! ここは私がやる!」
エリンはアイテムボックスから氷のグレイブを抜き放ちました。機動力を奪われ、ただの的と化した鋼鉄の塊を、彼女のグレイブが次々と粉砕していきます。キラーナイトの甲冑を断ち割り、キラーマシンの核を正確に貫く。10体の殺戮兵器は、エリンの苛烈な攻めの前で物言わぬガラクタへと変わり果てました。
エリンはそれらの中心部から淡く輝く高純度の魔石をすべて回収し、すぐさま仲間の元へ駆け寄ります。
その傍らでは、セーラが迅速な処置を行っていました。彼女は地面に落ちたダグラスとトビーの腕を拾い上げ、切断面を精密に合わせると、間髪入れずに『ヒールバレット』を接合部へ向けて至近距離から連射しました。
「繋がって……! お願い!」
セーラの指先から放たれる救済の弾丸が、二人の肩口と切断された腕を光で包み込みます。高密度の癒やしの魔力が血管、神経、そして魔力回路を強引に繋ぎ合わせ、細胞を活性化させていきました。通常なら再起不能となる致命傷ですが、絶え間なく打ち込まれる『ヒールバレット』の奔流が、失われた組織を接合し、傷跡を塞いでいきます。
「……ふう、ふう……。大丈夫、繋がったわ。動かしてみて」
セーラの呼びかけに、ダグラスが痺れる指先をゆっくりと動かし、自分の腕を見つめました。
「ああ……助かったぜ、セーラ。……エリン、すまねえ。不覚を取った」
「……いいわ。それより、無事でよかった」
エリンは回収した魔石をパスカルに手渡し、静かに立ち上がりました。最強を目指す彼らに突きつけられた、予期せぬ強襲。しかし、腕を失っても即座に接合し、敵を殲滅できる今の「銀の牙」の連携は、さらなる高みへと達しようとしていました。
ギルドの受付カウンターに積み上げられた漆黒の装甲と、異様な光を放つ多脚マシンの残骸。それらを前にした鑑定士の顔は、驚愕で土気色に変わっていました。
「……キラーナイト5体に、キラーマシン5体。これほどまでの高純度魔石と希少部位を、一度に持ち込まれるとは……。一体、何者なんだあんたたちは……」
鑑定士の震える声を余所に、パスカルは淡々と査定を待っていました。
提示されたのは、普通の冒険者が一生かかっても手にできないほどの莫大な報酬でした。パスカルはその全額を金貨と預り証に変え、アイテムボックスへと収めました。
「これで、必要な資金は十分に確保できましたね」
パスカルが静かに告げると、両腕を治療したばかりのダグラスとトビーが、自らの腕を確かめるように強く握りしめました。
「ああ、手間をかけさせたな。……次は、あんな鉄屑ごときに遅れは取らねえ」
ダグラスが低い声で言い、トビーもまた、自身のランスの柄を静かに指でなぞりました。
「エリン、セーラ。二人の機転と治療がなければ、素材を売りに来るどころではなかった。……恩に着るよ」
トビーの言葉に、170cmの長身を誇るエリンは、グレイブを背負い直しながら冷徹なまでに落ち着いた声で返しました。
「礼なら、次の実戦で完璧に動いて見せて。私たちは、常に最強でなければならないのだから」
セーラもまた、慈愛に満ちた、しかし戦士としての鋭さを失わない瞳で微笑み、二人の無事を改めて確認しました。
ギルドを出た五人は、その圧倒的な威圧感で道行く人々を自然と左右に割らせながら、街の雑踏を通り抜けました。背後に残された冒険者たちは、ただ呆然と彼らの背中を見送るしかありません。
「さあ、帰りましょう。手に入れたこの資金で、館の魔力供給源をさらに安定させ、次の段階へ進む準備をしますよ」
パスカルの先導で、五人は再び自分たちの研鑽の場である「氷の館」へと帰還しました。
拠点である氷の館の周囲を、重厚な金属音が包囲しました。ギルドに持ち込んだ希少素材の噂を聞きつけ、その利権を独占しようと目論んだ王国騎士団3000人が、傲慢な態度で乗り込んできたのです。
「この館にある素材と魔石はすべて王国の管理下に置く! 抵抗する者は反逆者と見なし、即刻処刑する!」
先頭に立つ騎士団長が高圧的に叫びますが、パスカルは館のバルコニーから冷ややかな視線を送るだけでした。
「……身の程を知らない方々ですね。エリン、セーラ。殺す必要はありません。すべて捕縛し、無力化してください」
パスカルの静かな号令と共に、五人は一斉に動きました。まず、エリンが地面に掌を突き立て、館の周囲数キロメートルに及ぶ大地を瞬時に凍結させました。
「『アイスバインド』……。一歩も動かせないわ」
極低温の氷が騎士たちの足を地面に縫い付け、3000人の軍勢は文字通り氷像のように固定されました。パニックに陥る彼らに追い打ちをかけるように、セーラが指先から光の弾丸を放ちます。
「『ヒールバレット』……いえ、これは『麻痺の付与』を混ぜた特殊弾です。眠っていてください」
降り注ぐ光の雨を浴びた騎士たちは、次々と意識を失い、雪の上に崩れ落ちていきました。抵抗を試みた騎士団長には、ダグラスとトビーが神速で肉薄します。
「威勢がいいのは口だけか? 鎧ごとへし折ってやろうかと思ったが、パスカルの命令だ。大人しくしてな!」
ダグラスが騎士団長の首根っこを掴んで地面に叩きつけ、トビーがその周囲の武器を電光石火の速さで叩き落としました。わずか数分。3000人の精鋭騎士団は、一人も殺されることなく、完全に無力化されました。
「……煩わしいですね。今後の見せしめも含め、すべて没収します」
パスカルの指示で、エリンたちは意識を失った騎士たちから、王国製の高品質な鋼鉄の鎧、盾、そして剣をすべて剥ぎ取りました。3000人分の武具がアイテムボックスへと次々と吸い込まれていきます。
「おい、こいつらパンツ一丁になっちまったぞ。まあ、自業自得だがな」
ダグラスが笑いながら、丸裸にされた騎士たちを氷の縄で一纏めに縛り上げました。五人はそのまま、没収した大量の武具を街の武器屋へと持ち込みました。
「こ、これは……王国騎士団の制式装備じゃないですか! しかも3000人分!? 一体、どこでこんなものを……」
驚愕する武器屋の主人に、パスカルは淡々と告げました。
「落ちていたものを拾いました。すべて買い取ってください。代金は、あの村の自警団の新しい装備と、私たちの館の維持費に充てます」
王国最強を謳われた騎士団が、パンツ一丁で野ざらしにされているという噂は、瞬く間に近隣諸国へと広まりました。新生「銀の牙」の名は、今や抗うことのできない「災厄」あるいは「守護神」として、世界にその轟きを轟かせようとしていました。
王都の酒場という酒場は、かつてないほどの爆笑と嘲笑に包まれていました。
「おい、聞いたか! 王国最強を自称していた騎士団様たちが、たった五人の冒険者に身ぐるみを剥がされたんだとよ!」
「ああ、森の中に三千人の男たちが下着一丁で転がっていたそうじゃないか。まるで、むしられた鶏の群れだったって話だぜ!」
民衆の口を塞ぐことはできません。この前代未聞の失態は、吟遊詩人の歌よりも早く、そして残酷に王国の隅々まで広まりました。騎士団の権威は地に堕ち、王家の威光は「パンツ一丁の騎士たち」という滑稽なイメージと共に泥に塗れたのです。
これに激怒したのが、王都の最奥に鎮座する国王と、怜悧な頭脳を持つ宰相でした。
「おのれ……『銀の牙』だと? 我が国の精鋭三千人を玩具のように扱い、あまつさえその装備を武器屋に売り飛ばすとは……! 王家に対するこれ以上の侮辱があるか!」
玉座の間で国王が吼え、豪華な絨毯を激しく踏みつけました。傍らに立つ宰相は、冷徹な瞳の奥にどす黒い計算を秘め、静かに進言しました。
「陛下、これはもはや単なる不祥事では済みませぬ。放置すれば、近隣諸国は我が国を『五人の冒険者に屈する弱小国』と侮るでしょう。武力による制圧はもはや現実的ではありませぬ。三千人が赤子のように捻られたのです。ここは……絡め手を用い、事態を収束させるべきかと」
「……王名だ。何としてでも奴らを捕らえ、あるいは懐柔せよ。失敗した者は、あの騎士たちと同じ末路を辿らせると思え!」
王都の騒乱を他所に、拠点である氷の館では、五人が没収した武具の売却益を整理していました。
「ふん、王都じゃ今頃、俺たちの噂で持ち切りだろうな」
ダグラスが氷のジョッキを傾け、豪快に笑いました。横ではエリンがグレイブを、トビーがランスを、それぞれ氷の魔力で微調整し、その鋭さを研ぎ澄ませています。彼らにとって、武器は自らの魔力で生み出し、最適化し続けるものであり、店で買う必要など微塵もありませんでした。
「煩わしいことにならなければいいけれど。次に乗り込んでくるのが、あの情けない騎士たちよりもマシな連中であることを祈るわ」
エリンは冷徹な瞳で、自らが生み出した氷の刃を見つめました。セーラもまた、窓の外に広がる静寂の森を見つめながら、いつでも『ヒールバレット』を放てるよう、魔力の流れを整えています。
パスカルは、手に入れた莫大な資金を館の防衛結界の維持と、さらなる魔力回路の増幅設備へと淡々と充当しながら、背後に迫る王国の影を予見していました。
「……王と宰相が動き出しましたね。権威を傷つけられた彼らは、なりふり構わず『正義』という名の牙を剥いてくるでしょう」
パスカルの切れ長の瞳が、闇の奥を見据えます。
「ですが、私たちはすでに、一国が掲げる法や軍隊という枠組みを超えています。次に誰が来ようとも、私たちは私たちの流儀で、その『身の程』を教えて差し上げましょう」
王都に渦巻く屈辱の炎は、さらなる暴挙を呼び込みました。国王の密命を受けた王室専属の隠密部隊、通称「影の処刑人」たちが、音もなく氷の館を包囲したのです。
しかし、彼らが館の敷地に一歩足を踏み入れた瞬間、勝負は決して(決して)いました。エリンの索敵魔法『氷華の触手』が、微かな体温の変化すら見逃しません。
「……鼠が紛れ込んだわね」
エリンが静かにつぶやくと同時に、館の庭から無数の氷の鎖が噴出しました。隠密たちが反応する間もなく、鎖は蛇のように彼らの四肢を絡め取り、そのまま館の地下に新設された「氷の監獄」へと引きずり込みます。音を立てる間もなく、王国の誇る影たちは一人残らず捕縛・拘束され、外部との接触を完全に断たれた氷の檻に監禁されました。
「さて、影が消えれば次は光の軍勢というわけですか」
パスカルの予見通り、地平線の彼方を埋め尽くしたのは、前回の十倍にあたる三万人の王国騎士団でした。大地を震わせる軍靴の音、太陽を遮る無数の旗印。それはまさに、王国の総力を挙げた威信の行進でした。
「三万人か。少しは掃除のしがいがあるぜ!」
ダグラスが氷の大槌を肩に担ぎ、トビーと共に館の前に立ち塞がります。三万の軍勢が一斉に突撃を開始しましたが、エリンとセーラが同時に魔力を解放すると、広大な森一帯が瞬時に絶対零度の氷原へと変貌しました。
「『氷河監獄・万象拘束』」
エリンの声と共に、地面から巨大な氷の壁が迷路のように隆起し、三万の騎士団を小グループごとに分断。そこへパスカルが放った『アイスバレット』が空中で拡散し、騎士たちの足元を凍らせて転倒させ、立ち上がろうとする者から順に、氷の魔力によって生み出された自動拘束具がその身を縛り上げていきました。
数刻と経たぬうちに、森には三万体の「氷漬けの騎士」が並ぶという異様な光景が広がりました。死者は一人もいません。しかし、抗える者も一人として存在しませんでした。
「煩わしさは変わりませんね。……今回も、すべて回収します」
パスカルの冷徹な指示により、五人は三万人分の武具を魔法的に一括回収しました。最高級のプレートアーマー、魔力付与された長剣、儀礼用のマント。それらはすべてアイテムボックスへと吸い込まれ、再び街の武器屋へと持ち込まれました。
「ま、またあんたらか! しかも今度は……三万人分だと!?」
武器屋の主人は腰を抜かし、店中の金貨をかき集めても足りないほどの物量に震え上がりました。結局、王都に流れる物資が不足するほど大量の武具が市場に放出され、結果として王国の軍事力は経済的にも物理的にも完全に無力化されました。
下着姿で森に監禁・放置された三万の騎士たちの噂は、もはや笑い話の域を超え、王権の崩壊を予感させる恐怖の象徴として世界に響き渡りました。
王宮の会議室は、まるで墓場のような静寂に包まれていました。
豪華な円卓を囲むのは、国王と宰相、そして残された数少ない軍部の上層部。しかし、その全員が力なく項垂れ、視線は手元の無益な資料に落とされたままです。三万の軍勢が武器も鎧も、そして騎士としての誇り(衣類)までも剥ぎ取られ、森に転がされたという報告は、彼らの理解の範疇を完全に超えていました。
「……解決策はないのか」
国王の掠れた声が、虚しく響きました。かつての威厳は影を潜め、その肩は絶望の重みで小さく震えています。
「陛下、もはや武力行使は不可能です。国内の予備兵力をかき集めたところで、三万の精鋭が手も足も出なかった相手に何ができましょう。しかも、没収された武具が市場に溢れたことで、我が国の軍事機密は安値で売買され、経済も軍事バランスも崩壊の危機にあります」
宰相は苦渋に満ちた表情で答えました。知略を尽くしてきた彼でさえ、これほどまでに「個」の力が「国」を圧倒する事態は想定していませんでした。
「懐柔はどうだ? 爵位でも、領地でも、金でも何でも望むものを与えよ。奴らを王国の守護者に据えれば、この恥辱も『試練』であったと言い張れる」
「……すでに使者を送ろうとしましたが、館に近づくことすら叶いません。隠密部隊も未だ戻らず、おそらくは監禁されているものかと。彼らは我々の法も、権威も、価値観も、一切必要としていないのです。彼らが求めているのは、ただ静かな研鑽の場のみ。それを我々が土足で踏みにじった……それが今の結末です」
会議は紛糾するどころか、沈黙が深まるばかりでした。攻めれば裸にされ、放置すれば笑い者にされる。王国の威信は、五人の「銀の牙」の気まぐれ一つで左右されるまでに墜ちていました。
「宰相……私はどうすればいい。王として、この国をどう守ればいいのだ」
国王の問いに、宰相は深く息を吐き、震える指先で眼鏡を直しました。
「……誠心誠意、謝罪するしかありません。それも王としてではなく、ただの無知な隣人としてです。陛下自ら、身分を捨ててあの館へ赴き、彼らの静寂を乱した非を認める。それが、この国が存続を許される唯一の道かと」
王宮の窓の外では、没収された騎士団の武具を買い叩こうと、各国の商人がひしめき合っています。かつて最強を誇った王国は、今や五人の若者の影に怯える、裸の王様の国へと変わり果てていました。
王宮が未曾有の混乱に陥っている一方で、拠点である「氷の館」には、かつてないほど穏やかで濃密な静寂が流れていました。
パスカルは館の最上階にあるテラスで、温かなハーブティーの湯気を眺めながら、遠く王都の方角を見据えていました。彼の傍らでは、エリンが自らの魔力で精錬し直した氷のグレイブを、一切の曇りもなく磨き上げています。
「……王宮は静かになったわね。三万の騎士を裸にして放り出したのが、よほど堪えたのかしら」
エリンが冷徹な、しかしどこか楽しげな声で言いました。170cmの長身を椅子に預け、その長い脚を組む仕草には、一国の軍勢を退けた者特有の余裕が漂っています。
「無理もありません。彼らにとって、数と装備こそが権威の象徴でしたから。それを一瞬で無力化され、さらにその象徴(武具)を市場に叩き売られたのです。今頃は、自分たちの無力さと、崩壊した経済の立て直しに奔走していることでしょう」
パスカルは淡々と答えました。彼らにとって、王国との諍いは目的ではなく、あくまで「静かな研鑽」を邪魔されたことへの正当な対処に過ぎません。
階下の広場では、ダグラスとトビーが、新しく接合された腕の馴染みを確認しながら、模擬戦に興じていました。
「おいトビー、腕の調子はどうだ! 以前より魔力の伝導率が上がってやがらねえか?」
「ああ、セーラの治療のおかげかな。キラーマシンの速度にも、今なら生身で追いつける気がするよ」
二人の動きは以前よりも鋭さを増し、氷の床を蹴るたびに鋭い衝撃波が周囲を震わせます。彼らは王国の対策会議など微塵も気に留めていません。自分たちの限界をどこまで超えられるか、その一点のみに全神経を集中させていました。
セーラは館のキッチンで、近くの村から届いた新鮮な食材を使い、夕食の準備をしていました。
「ふふ、王様たちも大変ね。でも、私たちの生活を乱した罰だもの。しばらくは反省してもらいましょう」
彼女は慈愛に満ちた微笑みを浮かべつつ、大きな鍋に『ピュリフィケーションバレット』を微弱に撃ち込み、食材の旨味を最大限に引き出していました。
「……さて、王宮が次に選ぶ道は『全面降伏』か、あるいは『自滅』か。どちらにせよ、彼らが私たちの領域に土足で踏み込まない限り、こちらから動く必要はありません。彼らが自分たちの『無知』を認め、相応の誠意を持ってこの館の門を叩くのを、もう少し待つとしましょう」
パスカルの言葉通り、五人は王国の動向を静観することに決めました。
館の周囲に広がる森は、エリンが展開した強力な結界によって守られ、もはや一兵卒たりとも近づくことはできません。王国の使者が白旗を掲げて現れるのか、あるいは絶望の果てに自壊するのか。
数日が経過し、王宮が沈黙を守り続けていたある日の午後、エリンの索敵魔法が館の結界に接触する「意志」を捉えました。それはかつての軍勢のような殺気ではなく、ひどく弱々しく、迷いに満ちた気配でした。
「……使者が来たわ。たった一人で、白旗を掲げてね」
エリンがテラスから冷徹に告げると、パスカルは本を閉じ、静かに立ち上がりました。
「ようやく、話をする準備が整ったようですね。通しなさい」
館の重厚な氷の門が音もなく開き、一人の老使者が震える足取りで広場へと足を踏み入れました。かつて王国の威光を背負っていたはずの男は、今や五人の若者が放つ圧倒的な魔圧に圧され、その場に跪くのが精一杯のようでした。
「お、お初にお目にかかります……『銀の牙』の皆様。私は国王陛下より全権を委任された使者にございます」
パスカル、エリン、セーラ、ダグラス、トビーの五人は、広場に設えられた氷の椅子に腰を下ろし、無言で使者を見下ろしました。170cmの長身を誇るエリンとセーラの冷ややかな視線は、それだけで使者の心胆を寒からしめるに十分でした。
「用件は何ですか。三万の騎士を失い、武器まで売り払われた報告なら、すでに知っていますが」
パスカルの淡々とした問いかけに、使者は額を地面に擦り付けました。
「ははっ……! 陛下と宰相閣下は、これまでの非礼を深く反省しておられます。皆様の研鑽を邪魔し、あまつさえ武力で制圧しようとした愚かさを、骨身に沁みて理解いたしました。つきましては……捕縛された隠密部隊の解放と、これ以上の経済的・軍事的制裁の停止を、伏してお頼み申し上げたく……!」
「制裁? 私たちはただ、邪魔者を排除し、不用品を売却しただけですよ」
ダグラスが鼻で笑い、氷のジョッキを置きました。
「お前たちが勝手に突っ込んできて、勝手に裸になっただけだろ?」
使者は顔を上げられず、さらに声を震わせます。
「左様にございます……。陛下からは、謝罪の証として、この館の周囲一帯を永久的な『聖域』として認め、王国の法が一切及ばない完全自治権を付与する旨の親書を預かっております。また、没収された武具の売却益で生じた損失も、すべて王家が補填し、皆様には今後一切の干渉をせぬと誓いましょう」
パスカルは差し出された親書を一瞥もせず、冷徹に告げました。
「法や自治権など、最初から私たちには必要ありません。私たちが求めているのは『静寂』。それだけです。王に伝えなさい。次にこの館に土足で踏み込む者が現れたなら、その時は騎士だけでなく、王都そのものを氷の底に沈めると」
使者はその言葉に宿る、一国を滅ぼしかねない強大な魔力の波動に、失禁せんばかりの恐怖を感じました。
「は、ははっ! 肝に銘じます! 二度と、二度とこのような過ちは……!」
五人は使者の様子を冷めた目で見送りました。監禁していた隠密部隊は、すでに魔力を封じられた状態で門の外へ放り出されています。
「……これで少しは静かになるかしら。王都の連中も、自分たちの『無知』がどれほどの対価を払うことになったか、ようやく理解したようね」
エリンがグレイブを消し、静かに立ち上がりました。セーラもまた、穏やかな微笑みを浮かべながら、夕食の準備に戻るべく席を立ちます。
「さあ、煩わしい客も帰りました。私たちは私たちの研鑽を続けましょう」
王宮の謁見の間は、氷点下を思わせる冷気と、耐え難いほどの重圧に包まれていました。
戻ってきた老使者は、王と宰相の前で崩れ落ちるように跪き、震える手で親書を握りしめたまま、その額を冷たい石床に幾度も叩きつけました。その後ろには、氷の監獄から解放された隠密部隊の面々が立っていましたが、かつての精悍さは微塵もありません。魔力を根こそぎ封じられ、その瞳には底知れぬ深淵を覗いた者特有の、拭い去れぬ恐怖が焼き付いていました。
「……報告せよ。奴らは、我が提案になんと答えた」
国王の掠れた声が響きます。使者は涙と汗を流しながら、途切れ途切れに言葉を紡ぎました。
「陛下……『銀の牙』の方々は、陛下がお認めになった親書に、一瞥だに……一瞥だにされませんでした……! 彼らにとって、王国の法も、自治権も、爵位も……砂粒ほどの価値もありませぬ。ただ『煩わしい』と……そう仰せになりました」
「見向きもされなかった、というのか。我が国の全土を揺るがす特権を差し出したというのに……!」
宰相が驚愕に目を見開き、手にした杖を激しく震わせました。彼が積み上げてきた権力という名の論理が、五人の若者の前では紙屑同然に扱われたのです。
「パスカルと名乗る者は、冷徹にこう告げました……。次にこの館に土足で踏み込む者が現れたなら、その時は騎士だけでなく、この王都そのものを……氷の底に沈めると。それは決して脅しではなく、彼らにはその力があるのだと……私の魂が叫んでおりました……!」
使者の言葉に、その場にいた重臣たちは一斉に沈黙しました。三万の軍勢を裸にし、隠密を玩具のように閉じ込めた彼らにとって、王都を凍土に変えることなど、容易いことなのだと、誰もが本能で理解してしまったのです。
「陛下、もはや交渉の余地すらありませぬ」
宰相は力なく椅子に崩れ落ちました。
「彼らは我々の価値観の外側にいます。我々が守ろうとしている権威も、国境も、彼らにとってはただの雑音に過ぎない。隠密たちが解放されたのは、慈悲ではなく、単なる『ゴミの片付け』に過ぎないのです」
国王は玉座で深く息を吐き、自らの王冠の重みに耐えかねるように頭を垂れました。一国の主として、これほどの屈辱を味わったことはありません。しかし、同時に理解していました。ここでさらに「王の意地」を見せれば、この国そのものが地図から消えるということを。
「……布告せよ。氷の館を中心とした半径五十キロメートルを『絶対不可侵領域』とする。理由を問うな。一兵たりとも、一民たりとも、その境界を越えることは許さぬ。これは王の命令……いや、この国が生き残るための、唯一の掟だ」
王宮からの使者が持ち帰ったのは、和解の約束ではなく、圧倒的な絶望と、二度と触れてはならない神域の存在でした。
王都の喧騒を他所に、再び平穏を取り戻した氷の館では、エリンがテラスから遠ざかる使者の気配を見送っていました。
「……これで少しは、静かな夜が戻ってくるかしら」
彼女は冷たく澄んだ瞳で、夕闇に染まる森を見つめました。五人は、王国の怯えなど最初から興味がありません。彼らは再び、自分たちが掲げる「最強」への研鑽を再開するために、静かに館の奥へと戻っていきました。
王宮の会議室は、かつての絶望を遥かに凌駕する、底冷えのするような沈黙に包まれていました。
「……周辺諸国が、動いたか」
国王の掠れた声が、虚空に消えていきました。
報告によれば、王国の東境には帝国から十五万、西境からは公国連合の二十万という、未曾有の軍勢が集結しつつあります。彼らは、王国の誇る三万の騎士団が無力化され、さらにその武具が市場に叩き売られて軍備が瓦解したという事実を、これ以上ない「好機」と捉えたのです。
「陛下……もはや言い逃れはできませぬ。彼らは我が国の弱体化を確信しております。国境を守るべき兵は鎧も剣もなく、騎士たちの誇りは下着姿で森を彷徨ったあの日、完全に砕け散りました。今、攻め込まれれば、王都までは一週間も持ちますまい」
宰相の手元にある地図には、王国を包囲するように赤い矢印が幾重にも書き込まれていました。かつての最強国家は、今や飢えた狼たちに囲まれた、手負いの獲物に過ぎませんでした。
「……『銀の牙』だ。奴らを、奴らをどうにかして味方につけられぬのか! 領地でも、金でも、私の王冠でもいい! 奴らが動けば、三十万の軍勢とて一瞬で……!」
国王が狂乱したように叫びましたが、宰相は静かに首を振りました。
「陛下、お忘れですか。彼らは使者の親書に目もくれず、ただ『煩わしい』と吐き捨てたのです。彼らにとって、我が国が滅びようが、他国が興ろうが、知ったことではないのです。我々が差し出せるものは、彼らにとって価値のないゴミに等しい」
王都の民衆も、国境に迫る軍勢の気配に怯え、パニックに陥っていました。かつて「銀の牙」を笑い草にしていた者たちは、今や自分たちが蒔いた種(傲慢な騎士団の派遣)が、国家の滅亡という最悪の果実を結ぼうとしていることに、震えながら気づき始めていました。
一方、その「嵐の目」である氷の館では、五人がいつもと変わらぬ静寂の中にいました。
エリンの広域索敵魔法は、当然ながら国境の異変を捉えていました。
「……外が騒がしくなってきたわね。今度は数十万規模の『殺気』が、この国を取り囲んでいるわ」
170cmの長身を翻し、エリンが冷徹な瞳で遠くの空を見つめました。しかし、その声に焦りは微塵もありません。ダグラスは氷の大槌を磨き、トビーはランスの先端を魔力で研ぎ澄ませています。
「数十万か。……まあ、この館の庭に踏み込んでこない限りは、俺たちの知ったことじゃねえな」
ダグラスが鼻で笑い、セーラもまた、穏やかな手つきでハーブティーを淹れていました。
「ええ。私たちは私たちの研鑽を続けるだけ。……でも、もしあの王様が、今度こそ『全て』を捨てて、一人の人間として助けを求めに来たとしたら……パスカル、あなたならどうする?」
セーラの問いに、パスカルは静かに本を閉じ、窓の外に広がる氷の結界を見つめました。
「国という枠組みが消えるのは、歴史の必然です。しかし……もし彼らが、自らの無力さを心の底から認め、守るべき民のために頭を垂れるのであれば、その時初めて、交渉のテーブルに着く価値が生まれるかもしれません」
王都に迫る滅亡の足音。そして、それを見下ろす最強の五人。王国の運命は、かつて踏みにじろうとした若者たちの指先一つに委ねられていました。




