第3章:超越する肉体と無限の収納
修行が佳境に入ったある日、パスカルは全員を氷の広場の中央に集めました。
「基礎的な戦闘技術は身につきました。次は、水魔法を応用した索敵技術を共有します。空気中の水分や地面の湿り気に自身の魔力を乗せ、その振動を読み取るんです。これにより、視界の外にある敵の鼓動や、わずかな筋肉の動きさえも把握できるようになります」
パスカルが教える「水網索敵」のコツを掴むため、全員が目を閉じ、体内の水分を周囲の環境と同調させました。すると、彼らの肉体に劇的な変化が起こり始めました。
魔力吸収によって無限に取り込まれた高純度の魔力と、水魔法による細胞レベルの活性化が、彼らの肉体を「理想の形態」へと強制的に再構築し始めたのです。
最初に出現したのは、ダグラスとトビーでした。彼らの骨格はより逞しくなり、全身の筋肉は鋼のように硬く、かつしなやかな筋骨隆々の肉体へと進化しました。さらに、野性味のあった顔立ちは、彫りの深い、誰もが見惚れるような超イケメンへと劇的な変化を遂げました。
「おい、トビー……お前、その顔……なんだよ、その輝きは」
「ダグラスさんこそ! 筋肉のキレが信じられないことになってますよ!」
互いの変貌ぶりに驚愕する二人。しかし、驚きはそれだけではありませんでした。エリンとセーラの二人もまた、魔力の奔流の中でその姿を変えていました。
エリンとセーラは、モデルのように手足が長く伸び、背格好も以前より高くなりました。ただ背が伸びただけでなく、ウエストは限界まで引き締まり、逆に胸と尻は驚くほど豊満な、圧倒的な曲線美を描く肉体へと進化したのです。そしてその顔立ちは、既存の美の概念を覆すような、神々しいまでの超美人に変化していました。
「……私の体が、勝手に……」
エリンが自身の長い脚と豊かな胸元を見つめ、信じられないといった様子で声を震わせます。セーラもまた、自身の掌を見つめながら、陶器のような肌の質感に言葉を失っていました。
「これは……『魔力操作』と水による肉体活性が、皆さんの潜在的な理想像を引き出した結果ですね。皆さんが本来持っていた輝きが、形になったんです」
パスカルは淡々と、しかしどこか満足げに解説しました。五人が互いの顔を見合わせると、そこには以前の面影を残しつつも、完全に別人と見紛うほどの美男美女が集まっていました。
「……これ、街に戻ったら大騒ぎになるんじゃないか?」
ダグラスが整った顔を少し引きつらせて呟き、トビーは「もう前の自分には戻れそうにないですね……」と頬を染めました。
「見た目だけではありません。その肉体は、今の皆さんの強大な魔力に耐えうる、最高の『器』です。さあ、その新しい体で、索敵魔法の精度を確かめてみましょうか」
パスカルの促しに、驚きを抱えながらも全員が再び集中を始めました。進化した肉体と無限の魔力。もはや「銀の牙」は、外見も実力も、人の常識を遥かに超越した存在へと至ったのでした。
新たな肉体と力を得た五人の前に、森の深部でも一際獰猛な捕食者として知られる「ファングベア」が十体、牙を剥いて姿を現しました。かつての彼らなら、これほどの巨体と数に囲まれれば死を覚悟する状況でしたが、今の「銀の牙」に動揺の色は一切ありません。
「……来ます。皆さん、練習通りに」
パスカルの静かな合図と共に、超美人と化したエリンとセーラが前へ出ました。彼女たちは杖も詠唱も必要としません。ただ、地を蹴るファングベアの足元にある水分へ、自身の魔力を同調させました。
「『アイスバインド』」
二人が同時に掌を地面にかざすと、凍てつく波導が地面を走り、十体の巨獣の足元を一瞬で氷の拘束具へと変えました。突進の勢いそのままに、ファングベアたちは足首から先を分厚い氷の中に封じられ、身動きを封じられました。
そこへ、稲妻のような速さで飛び出したのは、筋骨隆々の超イケメンへと変貌したダグラスとトビーです。二人は『身体強化アクセル』で加速し、重力を感じさせない身のこなしで宙を舞いました。
「はあああぁっ!」
ダグラスの大剣が、そしてトビーの直剣が、魔力操作によって極限まで研ぎ澄まされた光の刃を纏います。彼らが交差した瞬間、十体のファングベアの首が、まるで羽毛を断つかのように軽やかに宙を舞いました。抵抗する暇さえ与えない、完璧なまでの同時一閃でした。
「お見事です。では、解体も自分たちの魔力で行いましょう」
パスカルの指導の下、四人は自らの魔力を『ウォーターカッター』の糸へと変質させ、倒れた獲物に向けました。数日間の修行で叩き込まれた精密操作により、十体の巨躯は瞬く間に、皮、肉、骨、そして魔石へと、一切の無駄なく分別されていきました。
「本当に、ナイフ一本使わずに済むなんてな。これならどれだけの収穫があっても困らねえ」
感心するダグラスに対し、パスカルは四人の前に進み出ました。
「皆さんに、新たな力を授けます。これがあれば、どれほどの荷物も持ち運べるようになるはずです」
パスカルは一人一人の掌に手をかざし、自身の魔力を核として、彼らの内側に独立した高次元の収納空間を構築し、定着させました。
「『アイテムボックス』です。一人ひとりに授けました。今、皆さんが解体した資材を思い浮かべてみてください。それだけで、空間の中に収納され、自由に出し入れできるはずです」
四人が自身の意識の中に新しく生まれた広大な空間を感じ、念じるだけで目の前の大量の資材が次々と吸い込まれていく光景に、驚きを通り越して歓喜の声を上げました。
「これなら、商隊の護衛どころか、自分たちだけで一つの都市の物流を支えられそうね」
エリンが自身の長い脚を運び、収納の感触を確かめながら呟きました。
「魔力は尽きず、資材はいくらでも持ち運べる。……パスカルさん、私たちは本当にとんでもない領域に来てしまったようです」
セーラの言葉に、パスカルは満足げに頷きました。美男美女の集団となった「銀の牙」は、最強の戦力と完璧な自給自足能力、そして無限の収納力を備えた、大陸でも類を見ない「魔力操作者集団」へと至ったのです。
修行を終えた「銀の牙」の一行は、静かに森を後にしました。かつてこの街の門を潜った時とは、その立ち姿も、纏う空気も、そして何よりその容姿さえもが劇的な変貌を遂げていました。
門番が呆然と見惚れる中、五人は堂々とした足取りで冒険者ギルドの重厚な扉を開きました。夕刻のギルド内は多くの冒険者で賑わっていましたが、彼らが入った瞬間に、まるで作られたような静寂が広がりました。
「……おい、あの一行を見ろよ。何者だ?」
「信じられん、あんな美男美女のパーティー、聞いたこともないぞ」
ざわめく周囲を余所に、一行は受付カウンターへと向かいました。かつて「銀の牙」をよく知っていたはずの受付職員も、目の前に立つ筋骨隆々の超イケメンとなったダグラスと、女神のごとき美貌を湛えたエリン、セーラを見て、頬を赤らめながら言葉を失っています。
「あ、あの……ご用件は……?」
「ああ、素材の売却をお願いしたい。修行の成果をまとめて持ってきたんだ」
ダグラスが低く響く魅力的な声で告げると、パスカルが一歩前に出ました。
「ここで全て出すと溢れてしまいますね。……倉庫を借りてもよろしいですか?」
パスカルの提案に、混乱した職員は導かれるまま裏手の広大な査定倉庫へと彼らを案内しました。そこは大型の魔物を十数体並べても余裕のある広さでしたが、パスカルが掌をかざすと、その空間は一瞬で埋め尽くされました。
「アイテムボックス、解放」
パスカルに続き、ダグラス、エリン、セーラ、トビーもまた、自身の空間に収めていた素材を次々と取り出しました。山をなす最高品質の「ファングベア」の毛皮、純白の「骨」、そして数百個に及ぶ「魔石」。さらに、完璧な解体魔法によって部位ごとに美しく分別されたフォレストボアの肉や、希少な薬草類が整然と並べられていきます。
ギルド長までもが奥から飛び出し、並べられた素材の「断面の美しさ」に驚愕しながら、数時間かけて査定を行いました。パスカルは冷静にその様子を見守り、査定が完了すると同時に静かに口を開きました。
「金額を確認したいので、詳細な査定見積書を出していただけますか?」
差し出された見積書には、項目ごとに驚くべき数字が並んでいました。
査定見積明細書
フォレストボア一級肉(部位別・洗浄済): 金貨 10枚
ファングベアの極上毛皮(10体分): 金貨 30枚
ファングベアの牙・爪・骨一式: 金貨 15枚
ゴブリンジェネラル魔石(特級): 金貨 5枚
中級魔石(計200個): 金貨 20枚
希少薬草類(保存状態:極): 金貨 10枚
解体・分別・洗浄技術特別加算: 金貨 10枚
合計:白金貨 1枚(金貨 100枚相当)
「……査定額は白金貨一枚。ギルドの規定に基づき、これほどまでに完璧な状態の素材には最大級の評価を付けさせていただきました。いかがでしょうか」
「ええ、妥当な金額です。ありがとうございます」
パスカルは平然とそれを受け取り、再び仲間たちと五等分に分けました。一人あたり金貨二十枚という大金を手にした彼らは、一度酒場の円卓へと戻りました。
「さて、これで当面の活動資金には困りませんね」
パスカルがそう言うと、ダグラスは自分の逞しくなった腕を見つめ、新しく手にした力に思いを馳せました。
「ああ。だがこれだけの大金、急にどう使うかも迷うな。これからの動きをじっくり話し合う必要がありそうだぜ」
五人は、ギルド中の羨望と驚嘆の視線を背に受けながら、次なる一歩をどう踏み出すか、まずはゆっくりと議論を始めることにしました。
ギルドで得た報酬を五等分し、一人あたり金貨二十枚を手にした一行は、まず街の市場へと繰り出しました。パスカルの提案により、今後の活動を見据えて大規模な備蓄を確保することにしたのです。
「パンを二千人分、それからエールを二千樽。あるだけすべて買い取ります。足りない分は予約で」
パスカルがそう告げると、商店街はひっくり返ったような騒ぎになりました。パン屋の主人は腰を抜かし、酒問屋の店主は慌てて帳簿を捲ります。パスカルは先ほどギルドで受け取ったばかりの金貨を机に積み上げました。白金貨のような高額硬貨ではなく、確かな重みのある金貨の輝きに、商人たちは目の色を変えて「すぐに揃えます!」と叫び、街中の在庫がかき集められました。
次々と運び込まれる焼きたてのパンと、山のようなエールの樽。それらは一行が手をかざすたびに、それぞれの「アイテムボックス」へと吸い込まれ、瞬時に片付いていきました。
次に訪れたのは、街外れにある腕利きの鍛冶屋です。
「特注の調理器具を作ってほしいんです。焼肉用の厚手の鉄板、それに網。深めのフライパンと、大型の鍋もいくつか。これを」
パスカルが詳細な図面を提示すると、頑固そうな鍛冶屋は鼻を鳴らしましたが、金貨の束を積まれると態度は一変しました。「……これほどの厚みの鉄板か。面白い、熱が逃げねえ最高の一品を叩き出してやるよ」と、火花を散らして作業に取り掛かりました。
しかし、街を歩けば歩くほど、隠しきれない彼らの「容姿」が周囲を狂わせ始めました。
「ねえ、そこの綺麗なお姉さん! 冒険者だろ? 俺たちと一晩遊ばないか?」
「おいおい、そんな最高の女、放っておけるわけないだろ!」
超美人と化したエリンとセーラの周りには、下卑た笑みを浮かべた男たちが次々と群がってきました。エリンは冷ややかな、しかし蠱惑的な微笑を浮かべて指先で魔力を弄び、セーラは困惑しながらも、その神々しいまでの美貌で男たちを文字通り「骨抜き」にしていました。
一方、筋骨隆々の超イケメンとなったダグラスとトビーの前には、街中の女たちが鈴なりになっていました。
「ちょっと、そこの素敵な騎士様! どこから来たの?」
「その筋肉、触らせてくれないかしら……? お礼にいいものあげるわよ」
あまりの猛攻に、ダグラスは「おいおい、勘弁してくれ……」と整った顔を引きつらせ、トビーは顔を真っ赤にして後ずさりしています。
「……皆さん、人気者ですね」
パスカルが少し離れた場所で苦笑いしながら見守っていると、エリンが男たちを冷たくあしらって戻ってきました。
「もう、パスカルのせいよ。こんな姿になっちゃって、買い出し一つまともにできないわ」
「そうですよ、パスカルさん。皆さんの視線が熱すぎて、少し落ち着きません……」
セーラも頬を染めて、パスカルの背後に隠れるように寄り添いました。それを見た周囲の男たちが、パスカルを嫉妬の炎で焼き殺さんばかりに睨みつけますが、当の本人はどこ吹く風です。
「それだけ、皆さんが強固な『器』を手に入れたということです。……さて、特注品が出来上がるまで、一度落ち着ける場所へ移動しましょうか」
五人は、騒然とする街の喧騒を背に、自分たちの新しい姿がもたらす影響を肌で感じながら、次なる準備を進めることにしました。
街で最も格調高いとされる高級宿のスイートルーム。ふかふかの絨毯に贅沢な羽毛のベッド、豪奢な装飾に囲まれた一夜を過ごしたはずの五人でしたが、翌朝のロビーに現れた彼らの表情は、どこか優れないものでした。
「……肩が凝って仕方ねえ。あの柔らかすぎるベッドはどうも性に合わねえな」
筋骨隆々の超イケメンとなったダグラスが、窮屈そうに首を回しながらこぼしました。トビーもまた、逞しい肩を揉みながら力なく頷きます。
「僕もです、ダグラスさん。枕が高すぎて、どうにも首の収まりが悪くて。森の氷のベッドの方が、魔力の膜が体に吸い付くようでずっと安眠できました」
超美人と化したエリンとセーラも、重い溜息を吐きながら合流しました。彼女たちの透き通るような肌は相変わらず完璧ですが、その足取りはどこか重そうです。
「同感だわ。部屋の空気は淀んでいるし、窓を開ければ街の騒音。パスカルが作ったあの透き通るような氷の館が、いかに清浄で快適だったか思い知らされたわね」
エリンが不機嫌そうに髪を払い、セーラも同意するように、少しだけ寂しげな微笑を浮かべました。
「ええ。高級なリネンよりも、パスカルさんの作ってくださった水のマットレスの方が、魔力と水分が同調して体が休まりました。……もう、あそこが私たちの『家』のような気がしてしまいます」
パスカルはそんな仲間たちの様子を見て、苦笑しながらも頷きました。
「皆さんの肉体が魔力操作に適応しすぎた結果、不純物の多い街の環境よりも、私の魔力で構築された環境の方が適合するようになったのでしょう。……さて、注文品を受け取りに行きましょうか」
一行は、相変わらずの美男美女ぶりに道行く人々が足を止める中、まずは酒屋へと向かいました。二千樽という膨大なエールの受け渡しは、店舗の裏手で行われました。店主が圧倒される中、五人は手際よく「アイテムボックス」を起動させ、山のような樽を次々と空間に吸い込ませていきました。
続いて訪れた鍛冶屋では、約束通りの品が揃っていました。
「待ってたぜ。あんたらの注文通り、最高の鋼を叩いて鍛え上げた逸品だ」
差し出されたのは、ずっしりと重厚な焼肉用の鉄板に、精密に編み込まれた網。そして、厚みのあるプロ仕様のフライパンと、大家族の食事も一度に作れる特大の鍋。パスカルはそれらを一つずつ手に取り、その重心と熱伝導率を魔力で確かめると、満足げに微笑みました。
「素晴らしい。これなら、あのボアの肉を最高の状態で調理できそうです」
鍛冶屋に代金を支払い、すべての道具をアイテムボックスに収めたところで、ダグラスが待ちきれないといった様子で拳を打ち鳴らしました。
「よし、道具も酒も揃ったな! こんな窮屈な街とはおさらばだ。さっさとあの森へ帰って、パスカルの氷のベッドで爆睡してえぜ!」
「賛成です! それに、新しい鉄板で焼いたお肉も楽しみですし」
トビーの言葉に、エリンもセーラもようやく明るい表情を取り戻しました。五人は、都会の喧騒と贅沢に別れを告げ、自分たちが真に心安らげる場所――あの静謐な氷の館が待つ森へと、足早に向かうことにしました。
街の門へ向かう道すがら、パスカルは足を止め、色とりどりの食材が並ぶ市場の活気を見渡しました。
「肉とエールは揃いましたが、これだけの長期滞在となると、やはり野菜と調味料が欠かせませんね。栄養の偏りは魔力操作の精度にも影響しますから」
パスカルの提案に、昨夜の宿で「首が凝った」「肩が凝った」とぼやいていた四人も、一気に表情を明るくしました。肉料理を最高に引き立てる脇役たちの重要性を、彼らもまた熟知していたからです。
一行はまず、街で一番大きな青果問屋へと向かいました。
「この店にあるジャガイモ、玉ねぎ、人参、キャベツ……すべて二千人分ずつ買い取ります。あと、今の時期に一番瑞々しい季節の葉物野菜も、あるだけ全部ください」
パスカルがそう告げると、店主は持っていた帳簿を落とし、あんぐりと口を開けました。超美人のエリンとセーラが「お願いね」と微笑み、筋骨隆々のダグラスとトビーが金貨の詰まった袋をカウンターに置くと、店主は弾かれたように動き出しました。
「へ、へい! すぐにかき集めます! 街中の農家から最高のやつを!」
次々と運び込まれる泥付きの新鮮な野菜、香りの強い香味野菜。それらは店主が瞬きをする間に、五人の「アイテムボックス」へと吸い込まれ、鮮度を保ったまま空間に格納されていきました。
続いて訪れたのは、スパイスと調味料を専門に扱う交易商の店です。
「岩塩を大袋で五十、黒胡椒と数種類のハーブを大量に。それに、最高級の油脂と、肉の臭みを消すための果実酒も樽ごとください」
パスカルの指定は驚くほど細かく、かつ贅沢なものでした。厚手の鉄板で焼くボアの肉を想像し、彼は脳内で最高の味付けを組み立てていたのです。さらに、エリンたちの要望で、お茶の葉や蜂蜜といった嗜好品も山のように買い込みました。
「これで、あの森の館が最高のレストランになりますね」
セーラが嬉しそうに、アイテムボックスに収まった色とりどりの野菜を思い浮かべて微笑みました。
「ああ、早くあの静かな森に帰りたいぜ。こんな人混みの中にいると、せっかくの魔力操作が乱れちまう」
ダグラスが逞しい首を回し、窮屈そうに周囲を警戒しながら言いました。トビーも「早くパスカルさんの作った水のマットレスで、ぐっすり眠りたいです……」と、心底森を恋しがっています。
最後に立ち寄った市場の出口で、五人は大量の干し果物やチーズも追加し、ついに全ての準備を整えました。
「お待たせしました。道具、酒、食糧、そして最高の調味料。すべて揃いましたね」
パスカルの言葉に、四人は力強く頷きました。美男美女へと進化した彼らが歩くたびに、街の人々はため息をつき、熱い視線を送ってきますが、五人の心はすでに、あの静謐で清浄な「氷の館」へと飛んでいました。
「よし! さっさとこんな騒がしい街はおさらばだ。森へ帰るぞ!」
ダグラスの号令と共に、一行は足早に街の門を抜けました。背後に残る都会の喧騒が遠ざかるにつれ、彼らの表情には本来の輝きと、安らぎが戻ってきました。
街の喧騒を離れ、懐かしい森の匂いが濃くなってきた頃、静寂は突如として破られた。
「……来る!」
パスカルの索敵魔法が捉えたのは、異常な速度で接近する巨大な飛行物体の群れ。次の瞬間、木々をなぎ倒さんばかりの猛烈な羽音が響き渡り、空を覆い尽くすほどの「キラービー」の大群が姿を現した。一体が1mほどもある巨大な蜂。その腹部には、槍のように太く鋭い毒針が禍々しく光っている。
「ちっ、なんだこのデカさは! 総員、構えろ!」
ダグラスが大剣を抜き放つが、キラービーの群れは一斉に、その巨大な毒針を弾丸のように射出してきた。巨体から放たれる針は、もはや矢の如き破壊力を持っている。
「ぐおっ!?」
「きゃああっ!」
回避を試みたものの、弾幕のような数の暴力に、ダグラスの肩とエリンの二の腕を毒針が深く貫いた。巨蜂の毒はあまりに強力で、筋骨隆々のダグラスも、超美人と化したエリンも、みるみるうちに患部が変色し、激痛と麻痺に顔を歪ませた。
「下がって!」
パスカルの声が響く。彼は瞬時に魔力を膨張させ、仲間一人ひとりを包み込むように地面から分厚い氷をせり上げさせた。
「『アイスドーム・ケージ』」
厚さ数十センチに及ぶ、個別ドーム状の氷の結界。五人をそれぞれ隔離・保護した強固な壁に、キラービーの次なる針の雨が激しい音を立てて弾け、虚しく砕け散る。
「パスカル、これじゃあ中から手出しができねえぞ!」
ドーム越しにダグラスが叫ぶ。パスカルは冷静に、ドーム内部から自身の魔力を外へと展開した。
「……いえ、物理的に壊す必要はありません。彼らの呼吸を止めます」
パスカルは掌をドームの内壁にかざした。すると、ドームの表面から無数の「水の膜」が、生き物のように外の世界へと広がり、キラービーの巨体を包み込み始めた。
「『ウォーターマスク』」
宙を舞う巨大な蜂たちの頭部、特に気門がある腹部の節々に、パスカルの操る水が吸着していく。水は魔力によって粘性を持ち、キラービーがどれほど羽ばたこうとも決して剥がれない「水の仮面」となって、彼らの呼吸口を完全に塞いだ。
さらにパスカルは、逃げようとする個体に対し、周囲の水分を瞬時に凍らせて固定した。
「『アイスマスク』」
気門を塞いだ水が次々と凍りつき、氷の枷となって巨躯を締め上げる。酸素を遮断された1m級の巨蜂たちは、空中で悶え苦しみ、次々と力尽きて地面へと墜落していった。物理的な破壊ではなく、生命維持そのものを奪う沈黙の殲滅。
数分後。森を揺らしていた地鳴りのような羽音は完全に消え去り、地面には窒息し絶命した山のようなキラービーの死骸が転がっていた。
「……ふう。毒の回り具合はどうですか?」
パスカルが氷のドームを解除すると、そこにはセーラの光魔法で完全に浄化されたダグラスとエリンが立っていた。二人は、一切の音を立てずに大群を無力化したパスカルの冷徹なまでの効率性に、言葉を失っていた。
「助かったぜ、パスカル。……まさか、窒息させるなんて発想、俺たちにはなかったな」
ダグラスが苦笑いしながら、治療された肩を回した。
「外殻が硬い魔物には、内部から攻めるのが一番です。さて、この巨蜂からは良質な針と、そして何よりこのサイズならロイヤルゼリーも大量に確保できるでしょう」
パスカルは既に、新しく手に入れた鉄板で「蜂の子のバター炒め」や「蜂蜜漬けの肉」をどう調理するかを考え、穏やかに微笑んでいた。
静寂が戻った森の広場には、1m級のキラービーが小山のように積み重なっていました。パスカルは毒の浄化を終えた仲間たちを見渡し、静かに告げました。
「さて、鮮度が落ちないうちに全員で解体しましょう。修行の成果を見せてください」
ダグラス、エリン、セーラ、そしてトビー。美男美女へと進化した四人は、以前のような無骨なナイフは持ちません。彼らはパスカルから伝授された『魔力操作』を指先に集中させ、極細の水の刃――『ウォーターカッター』を空間に編み上げました。
「よし、行くぜ! 筋肉の隙間に魔力を滑り込ませるんだな」
筋骨隆々のダグラスが、その太い指先を繊細に動かします。彼の放つ水の刃は、キラービーの強靭な「外被」を傷ひとつつけることなく、関節の継ぎ目から滑らかに剥ぎ取っていきました。続いてエリンが、透き通るような指先を振るいます。
「毒の扱いは慎重にね。……『アイスバインド』で固定して、抽出するわ」
エリンは「毒針」を一本ずつ氷で保冷しながら抜き取り、その奥にある「毒袋」を、一滴の漏れも許さず完璧に分離しました。この毒袋は後に強力な麻痺薬や、逆に薄めることで血行促進の薬の材料になります。
聖女のような美貌のセーラは、最も繊細な作業を担当しました。
「この子の命の源……『ロイヤルゼリー』を傷つけないように。……光で中を透かして、丁寧に取り出しますね」
セーラの掌から漏れる淡い光が蜂の体内を照らし出し、黄金色に輝く最高品質のロイヤルゼリーだけを、魔法の膜で包み込むように吸い上げました。その傍らでトビーが、薄く透き通る「羽」と、中心に宿る「魔石」を次々と仕分けていきます。
最後は、意外にも美味とされる「肉」の切り出しです。パスカルが手本を見せるように、腹部の節から乳白色の締まった身を、魔力で一気に削ぎ落としました。
「……完璧です。皆さん、解体魔法の精度が格段に上がっていますね」
わずか三十分足らずで、あれほどの大群が「外被」「毒針」「毒袋」「羽」「ロイヤルゼリー」「魔石」「肉」の七つの項目に、整然と分別されました。街の解体職人が見れば腰を抜かすほど、その断面は細胞レベルで滑らかに整っています。
五人はそれぞれの「アイテムボックス」を起動させ、目の前の素材をカテゴリーごとに吸い込ませました。
「これだけの量があれば、蜂蜜漬けの肉料理だけでなく、ロイヤルゼリーを使った滋養強壮のスープも作れそうですね」
パスカルの言葉に、ダグラスは逞しい肩を回しながら、不敵な笑みを浮かべました。
「へっ、これだけの高級食材を揃えて、俺たちの特注鉄板で焼くんだ。不味いわけがねえ。さあ、とっととあの『氷の館』へ戻って、宴の準備をしようぜ!」
「賛成! 早く野菜たっぷりの蜂の子炒めが食べたいわ」
エリンも期待に胸を膨らませ、長い脚を運んで森の奥へと歩き出しました。五人は、手に入れた最高の恵みと、新しく買った二千樽のエール、そして大量の野菜を携え、自分たちの聖域へと帰還するのでした。




