第1章:孤高の冒険者と運命の邂逅
鬱蒼とした森の奥、静寂を切り裂くのは、金属がぶつかり合う鈍い音と、絶望に満ちた悲鳴だった。木々の隙間から漏れる陽光は、皮肉にも鮮血に染まった地面を鮮明に照らし出している。
二十人ほどの盗賊団による襲撃は、一方的な蹂躙へと変わっていた。雇われていた冒険者たちは、連携の取れた盗賊たちの奇襲に抗う術もなく、早々に物言わぬ骸と化した。生き残った商人たちも、命乞いの言葉を飲み込む間もなく次々と斬り伏せられていく。荷馬車に積まれた積荷は散乱し、そこにはもはや「商い」の気配など微塵も残っていない。
最後に残されたのは、恐怖に震える数人の女たちだった。彼女たちは粗末な縄で手首を縛り上げられ、家畜のように引き立てられていく。盗賊たちの下卑た笑い声が、湿った森の空気にまとわりつくように響いていた。
「……酷いもんだな」
大樹の陰、風下に身を潜めていた冒険者パスカルは、低く呟いた。その瞳には、かつて多くの修羅場を潜り抜けてきた者特有の冷徹さと、僅かな苛立ちが混在している。
数、二十。対してこちらは一人。正面から挑めば、どれほど腕が立とうとも数に押し切られるのは目に見えている。パスカルは腰に下げた剣の柄に手をかけ、親指で鍔を軽く押し上げた。僅かに覗く白刃が、森の暗がりに鋭い光を放つ。
パスカルは深く、静かに息を吐いた。呼吸を整え、周囲の魔力の流れを読み取る。盗賊たちは戦利品と女たちを連れ、既に移動を始めようとしていた。勝利の昂揚感からか、彼らの警戒は目に見えて緩んでいる。
「さて、仕事に取り掛かるとするか」
パスカルの体が、影に溶け込むように動いた。音もなく腐葉土を踏み締め、円を描くように盗賊たちの背後へと回り込む。まずは最後尾、群れから僅かに遅れた一人を狙う。背後から口を塞ぎ、一突きで息の根を止める。死体が地面に崩れ落ちる音さえ、風に揺れる木の葉の音に紛れ込ませた。
一人、また一人。
パスカルは決して深追いはしない。一撃で仕留め、再び闇へと消える。森の複雑な地形と、自身の気配を断つ技術を最大限に利用した、孤独な狩り。
先頭を行く盗賊の頭目が、異変に気づき足を止めた時には、既に五人の部下が姿を消していた。ざわめきが広がる。捕らえられた女たちが顔を上げ、希望と恐怖が混ざり合った表情で周囲を見渡す。
「何者だ! 出てきやがれ!」
頭目の叫びが森に木霊する。パスカルはあえて姿を見せず、今度は茂みの向こうから小石を投げ、注意を逸らした。混乱が最高潮に達したその瞬間、彼は最も手薄になった女たちの側へと躍り出た。
抜刀。銀閃が空を切り、女たちを繋いでいた縄を瞬時に断ち切る。
「走れ。振り返るな」
短く、重みのある言葉。自由になった女たちが脱兎のごとく森の奥へ駆け出すのを見届け、パスカルは初めて、残った盗賊たちの前に堂々とその身を晒した。その立ち姿は、まるで森そのものが牙を剥いたかのような、圧倒的な威圧感を放っていた。
「……残り、十四人か」
パスカルは剣を正眼に構え、冷ややかに微笑んだ。本当の「戦い」は、ここからだった。
弾け飛んだ三つの頭部が、森の湿った土を赤く叩いた。パスカルの指先から放たれたのは、緻密に圧縮され、極限まで密度を高められた無色の魔力塊だ。それは既存の魔導体系にある「魔法」ではない。詠唱もなければ、杖による指向性の安定も必要としない。ただ、彼が体内で練り上げた純粋なエネルギーを、意志の力だけで弾丸へと変質させた「暴力の結晶」である。
「なっ……!?」
先頭の三人が一瞬で物言わぬ肉塊に変わった光景に、盗賊たちの間に戦慄が走る。だが、彼らも修羅場を潜ってきた手練れだ。即座に我に返った二人の盗賊が、左右から挟み込むように刃を振るった。
「死ねえッ!」
左右から迫る鋼の輝き。しかし、パスカルの動きに澱みはない。彼は踏み込んだ右足を軸に、独楽のように鋭く回転した。その手に握られた剣の身には、陽炎のような揺らぎを伴う濃密な魔力が纏わされている。
「……遅い」
振り向きざま、下から上へと跳ね上げるような逆袈裟の一閃。魔力を纏った刃は、鋼の鎧もろとも盗賊たちの胴を紙細工のように切り裂いた。鮮血が弧を描いて舞い、二人の男は悲鳴を上げる間もなく絶命する。
残る盗賊は九人。頭目を含め、彼らの顔からは先ほどまでの余裕が消え失せ、代わりに得体の知れない怪物を見るような恐怖が張り付いていた。
「貴様、魔法使いか……!? 杖も持たずに、そんな真似が……!」
頭目が震える声で叫ぶ。パスカルは答えず、ただ静かに次の魔力を指先に集束させた。彼にとって、魔法とは学問ではなく、生存のための「技術」だ。複雑な術式を構築する暇があるなら、一滴の魔力をより硬く、より鋭く練り上げることに心血を注いできた。その操作精度は、並の宮廷魔導師を遥かに凌駕する。
「魔法なんて高尚なもんじゃない。ただの、力の使い方だ」
パスカルが左手をかざすと、その掌の前に五つの小さな光球が浮かび上がった。一つ一つが、先ほど男たちの頭部を粉砕したのと同じ威力を秘めている。
「散れ! 散って囲めッ!」
頭目の怒号に、盗賊たちが蜘蛛の子を散らすように動く。だが、パスカルの魔力操作は逃がさない。五つの光球は彼の視線に追従するように軌道を変え、必死に逃げ惑う男たちの後頭部を正確に捉えた。
パン、パン、と乾いた音が連続して響く。木の幹を貫通し、なおもその勢いを殺さずに獲物を仕留める魔力弾。逃げ切れると信じて背を向けていた男たちの頭部は、次々と柘榴のように弾け飛んだ。その威力はもはや、弓矢や投石の域を完全に逸脱していた。
「ひ、ひいぃっ!」
最後の一人が腰を抜かし、尻餅をついたまま後ずさる。パスカルは一歩、また一歩と、死の足音を刻むように歩み寄る。彼の纏う魔力は、静かな森の空気さえも物理的に震わせていた。
「これで、おしまいだ」
パスカルは剣を横一文字に構え、刀身にさらに膨大な魔力を注ぎ込んだ。
残る盗賊は四人。彼らの瞳に宿っていたのは、もはや戦意ではなく、逃れようのない死を悟った絶望だった。頭目は喉を鳴らし、震える手で剣を握り直そうとしたが、その指先には力が入らない。目の前の男、パスカルから放たれる魔力の重圧が、物理的な重りとなって彼らの肩を押し潰していた。
「ひ、人殺しめ……!」
一人が半狂乱になって叫び、無謀にも突きを放つ。だが、パスカルはその刃が届くよりも早く、地を蹴った。
魔力を纏った剣が、森の薄闇の中に鮮烈な青白い軌跡を描く。
最初の一人の首が、驚愕の表情を浮かべたまま宙を舞った。パスカルの動きには一切の無駄がない。加速した体躯は風を切り、二人目、三人目へと吸い込まれるように接近する。右から左へ、流れるような横一文字の薙ぎ払い。魔力によって極限まで研ぎ澄まされた刃は、硬い頸椎さえも温かいバターを切り裂くかのように容易く断ち切った。
ボトボトと、重苦しい音が腐葉土の上に落ちる。わずか数秒の間に、三つの命が「物」へと変わった。
「が、あ、あ……」
最後の一人となった頭目は、腰を抜かしたまま這いずり、背後の大樹に背中を打ち付けた。震える視線の先で、パスカルは血の付いていない剣――魔力の膜が血を弾いていたのだ――を、静かに構え直す。
「待て、頼む! 宝の場所を教える! 命だけは……!」
命乞いの言葉は、最後まで続かなかった。パスカルは無造作に一歩踏み込み、無造作に腕を振るった。シュッ、と空気が裂ける短い音。頭目の頭がゆっくりと胴体から滑り落ち、切り口から噴き出した鮮血が樹木の幹を赤く染め上げた。
二十人の盗賊。その全てが、今や冷たい死体となって森に転がっている。
パスカルは深く息を吐き、剣に纏わせていた魔力を解いた。周囲の空気を震わせていた圧迫感が霧散し、森に本来の静寂が戻ってくる。だが、その静寂は以前よりもずっと重く、血の臭いに満ちていた。
彼は周囲を見渡した。引き裂かれた荷、息絶えた商人、そして無惨に殺された護衛たち。奪われた命は戻らない。パスカルは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに感情を切り替えた。これが、彼が生きる世界の日常であり、理不尽な現実だ。
「……さて」
パスカルは、先ほど女たちが逃げていった方向を見やった。彼女たちが無事に森を抜けられたか、あるいはまだ近くに潜んでいるのか。彼は散乱した積荷の中から、使い古された水袋を拾い上げ、自身の手に付いたわずかな返り血を洗い流した。
このまま立ち去ることもできるが、生き残った者たちの行方も気にかかる。パスカルは静かに歩き出した。
静まり返った惨劇の場へと、パスカルはゆっくりと歩を進めた。鼻を突く鉄錆のような血の臭いと、湿った土の香りが混ざり合う。先ほどまで響いていた怒号や悲鳴は消え、今はただ、風に揺れる葉の音だけが虚しく響いている。
パスカルは散乱する遺体の中を縫うように歩き、わずかな呼吸の音や、苦悶に満ちた呻きに耳を澄ませた。
「……まだ、これだけ残っているか」
商人の一人が、腹部を深く斬られながらも、薄く目を開けて地面を掻いている。その傍らには、若い護衛の男女や御者たちが、虫の息で横たわっていた。放置すれば数分と持たない重傷者が、あちこちに点在している。
パスカルは虚空に向かって、短く、そしてどこか事務的にその言葉を口にした。
「アイテムボックス」
彼が唯一、形式的な発動を必要とする特異な空間。その揺らぎの中から、琥珀色の液体が満たされた数本のガラス瓶が滑り出すように現れた。詠唱魔法も杖も使えない彼にとって、この亜空間から物資を取り出す技術だけが、唯一の神秘的な術だった。
パスカルは膝をつき、商人の傷口を露わにすると、迷わずポーションの栓を引き抜いた。
「動くな。傷が塞がるまで耐えろ」
冷淡にも聞こえる声だが、その手つきは極めて正確だ。高価な治癒薬が、惜しげもなく深い斬り傷へと振りかけられる。液体が傷口に触れた瞬間、シュウッという音と共に白い煙が立ち上がり、ぐちゃぐちゃに裂けていた肉が、まるで意思を持っているかのように蠢き始めた。
みるみるうちに血管がつなぎ合わさり、新しい皮膚が傷を覆っていく。商人は激痛に体を震わせたが、やがてその荒い呼吸は落ち着きを取り戻し、死の淵から引き戻された。
パスカルは休む間もなく、隣の護衛たちにも同じ処置を施した。さらに数人、まだ脈のある者を見つけ出し、手際よくポーションを振りかけていく。アイテムボックスから次々と取り出される薬瓶。それは、通常の冒険者が一生かかっても使い切れないほどの量だったが、パスカルは眉一つ動かさずにそれらを消費していった。
やがて、致命傷を負っていた者たちの顔に赤みが戻り始める。商人が三人、護衛が三人、そして御者が一人。合計七人の命が、この場に繋ぎ止められた。
「……あ、あんたは……」
最初に助けられた商人が、おぼつかない手つきで上体を起こした。周囲に転がる盗賊たちの死体と、一人でそれらを片付けたであろうパスカルの姿を交互に見て、男は絶句する。
パスカルは空になった瓶を再びアイテムボックスへと放り込み、立ち上がった。
「命があったのは、あんたたちを含めて七人だ。動けるようになったら、さっさとここを離れろ。血の臭いに釣られて、魔物が寄ってくる」
感謝の言葉を待つこともなく、パスカルは周囲の状況を冷徹に分析する。命は救った。だが、この場所はもはや安全ではない。彼は再び虚空に手を伸ばし、次は護身用の安価な短剣をいくつか取り出した。
「これを持っていけ。気休めにはなるだろう」
生き残った七人は、まるで神の使いか、あるいはそれ以上に恐ろしい何かを見るような目でパスカルを見つめていた。
辺りには、血の匂いと腐葉土の湿った香りが重苦しく立ち込めていた。生き延びた七人の生存者たちが、震える手足で互いを支え合いながら立ち上がる。その光景を冷徹な目で見届けたパスカルは、再び虚空へと手を伸ばした。
「アイテムボックス」
その呟きと共に、空間が歪む。パスカルは無造作に、物言わぬ骸となった者たちの元へ歩み寄った。非情に見えるかもしれないが、死体をこのまま放置すれば、飢えた魔物たちを呼び寄せ、生き残った者たちの逃走経路を塞ぐことになりかねない。
まずは無念にも命を落とした商人が三人、そして最後まで剣を振るったであろう護衛の二人の遺体を、静かに亜空間へと収納していく。彼らの遺品や身元を示す品も、遺族の元へ届けるために漏らさず回収した。
続けて、パスカルの視線は無残に転がる二十人の盗賊たちの死体へと向けられた。
「……こいつらも、無駄にはできん」
盗賊の中には、近隣の町で手配されている懸賞首が混ざっている可能性がある。証拠としての首だけを持ち運ぶよりも、まるごと収納してしまった方が手間も汚れも少ない。パスカルが手をかざすたびに、首を刎ねられた頭目や、頭部を粉砕された部下たちの死体が、吸い込まれるように次々と空間から消え去っていく。数分もしないうちに、森の広場には血溜まりと破壊された馬車だけが残り、死体は一体も存在しなくなった。
その異常な光景を、生き残った七人は言葉を失って見つめていた。一人の冒険者が、これほど広大な容量のアイテムボックスを持ち、なおかつ平然と死体を詰め込んでいく姿は、彼らにとって理解の範疇を超えていた。
「準備はいいか。行くぞ」
パスカルの声に、弾かれたように生存者たちが頷く。彼は一瞬、地面に残された足跡を読み取った。怯え、乱れながらも森の奥へと続く複数の靴跡。先に解放した女たちのものだ。
「彼女たちはパニック状態で走った。まだそう遠くへは行っていないはずだが、この森には魔物も出る。急ぐぞ」
パスカルを先頭に、一行は森の深部へと足を踏み入れた。七人の生存者は、怪我は癒えたものの、精神的な消耗は激しい。パスカルは彼らの歩調に合わせつつも、周囲への警戒を片時も怠らなかった。
時折、茂みがガサリと揺れるたびに生存者たちが短い悲鳴を上げるが、パスカルはその方向に鋭い視線を向けるだけで、潜んでいた小動物を退散させる。彼の体から漏れ出す、練り上げられた魔力の残滓が、野生の生き物たちに本能的な恐怖を与えていた。
数十分ほど追跡を続けた頃、前方から微かな泣き声と、激しい呼吸の音が聞こえてきた。
「……あそこに」
大樹の根元、複雑に絡み合った灌木の陰に、身を寄せ合って震えている女たちの姿があった。パスカルが姿を現すと、彼女たちは悲鳴を上げようとしたが、後ろに続く商人や護衛の姿を認め、その表情に劇的な安堵の色が広がった。
「無事だったか」
パスカルの短い問いかけに、女たちは声にならない声を上げ、泣き崩れた。地獄のような襲撃から、奇跡的に生き延びた者たちが今、この深い森の中で再び合流を果たしたのである。
しかし、パスカルの表情は依然として険しいままだった。
「再会を喜ぶのは後だ。ここはまだ敵の縄張りかもしれん。日が暮れる前に、開けた場所まで出るぞ」
彼はそう言って、森の出口へと続く方向を指差した。
夕暮れ時の柔らかな光が、森を抜け出した一行の影を長く引き延ばしていた。ようやく辿り着いた開けた丘の上で、緊張の糸が切れたように座り込む者もいる。
うまく逃げ延びていた五人の女たちも、パスカルが連れてきた生存者たちの姿を認めると、堰を切ったように泣き出し、互いの無事を確かめ合った。
「……さて、一息ついたら出発しましょうか」
パスカルは、自身の纏っていた鋭い魔力の残滓を霧散させ、穏やかな声をかけた。先ほどまでの、冷徹に盗賊の首を刎ねていた男と同一人物とは思えないほど、その物腰は柔らかい。
「パスカルさん、本当に……何とお礼を言えばいいか」
商人の代表である初老の男が、何度も頭を下げる。その横で、傷の癒えた護衛の男も、バツが悪そうに、それでいて心底救われたという表情で深く頭を下げた。
「いえ、偶然居合わせただけですから。それより、動けるようになって良かったです。ポーションが効いて何よりでした」
「失った仲間たちのことも、野晒しにせず連れて帰ってくださる。そのお心遣い、痛み入ります」
「彼らも、家族の元へ帰りたがっているでしょうから。……さあ、あまり遅くなるとまた物騒なのが出ます。町のギルドまでお送りしますよ」
パスカルは困ったように微笑むと、一行を促して歩き出した。
数時間後、一行は街の堅牢な門を潜り、冒険者ギルドへと到着した。血の匂いと土埃にまみれた一行の姿に、酒場を兼ねたギルド内は一瞬で静まり返る。パスカルは戸惑う受付の職員に、柔らかな笑みを向けながらギルドカードを提示した。
「すみません、森で襲撃を受けていた隊商の方々を保護してきました。少し場所を借りてもいいですか? 亡くなった方々と、それから……盗賊たちの検分をお願いしたくて」
案内された裏手の広い石畳のスペース。パスカルは周囲に配慮しつつ、静かに呟いた。
「アイテムボックス」
空間が揺らぎ、まずは亡くなった商人三人と護衛二人の遺体が、丁寧に、安らかな姿で横たえられた。それを見届けた遺族や仲間たちが、涙ながらに祈りを捧げる。
続いて、少し離れた場所に二十人の盗賊たちの死体が並べられた。
「……これは、ひどいな」
検分に立ち会った職員が、頭部を粉砕された死体や一撃で首を刎ねられた頭目の惨状を見て、思わず声を漏らす。
「すみません、少しやりすぎてしまったかもしれません。彼らの中に懸賞首がいるかもしれないので、確認をお願いできますか?」
パスカルは申し訳なさそうに頭を掻きながら、職員に処理を委ねた。恩着せがましい態度は微塵も見せず、ただ一人の冒険者として、当然の義務を果たしたかのような振る舞いだった。
「パスカルさん、せめて今夜の宿だけでも手配させてください」
商人の代表が駆け寄ってくる。パスカルは一度は遠慮しようとしたが、彼らの真剣な眼差しに負け、小さく頷いた。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきますね」
ギルドの喧騒は、夜が深まるにつれてさらに熱を帯びていた。受付の職員が、革袋に詰められた硬貨の重みを確かめながら、感嘆の声を上げる。
「パスカルさん、確認が取れました。指名手配犯が三名も混ざっていたとは……。合計で金貨四十五枚です。これだけの成果、早々お目にかかれるものじゃありませんよ」
差し出された報酬の山を前に、パスカルは「はあ、そんなに……」と少し困ったように眉を下げた。彼にとっては、ただ降りかかる火の粉を払ったに過ぎない感覚なのだ。
そこへ、先ほど治療した護衛のリーダーが、仲間を引き連れて真っ直ぐに歩み寄ってきた。男はパスカルの前に立つと、深く、誠実に頭を下げた。
「パスカルさん。あんたの戦いぶり、そしてあの魔法とも違う魔力操作の技……本当に救われた。俺たちは今回の襲撃で、大切な仲間を二人失った。腕も立つ、信頼もできるあんたのような人に、ぜひ俺たちのパーティーに入ってほしいんだ。どうか、力を貸してくれないか?」
周囲の冒険者たちからも、期待の眼差しが注がれる。パスカルは戸惑ったように視線を泳がせ、何度も自分の後頭部を掻いた。
「ええと……お誘いは本当に嬉しいのですが。私、自分勝手に魔力を練るのが癖でして、あまり型に嵌まった連携が得意ではないんです。かえって皆さんの足を引っ張ってしまうのではないかと……」
パスカルは本気で心配している様子で、遠慮がちに言葉を濁した。しかし、護衛のリーダーは引かなかった。
「あんたが足を引っ張るなんてあり得ない! その力が必要なんだ。どうか、検討だけでもしてくれないか」
熱烈な勧誘に、パスカルは「参ったな……」と苦笑いを見せた。
「……そこまで仰ってくださるなら。私のような者で役に立つのであれば、ひとまずは仮、ということでよろしいでしょうか。不慣れなことも多いと思いますが、よろしくお願いします」
パスカルが控えめに右手を差し出すと、護衛たちは歓声を上げ、その手を力強く握りしめた。
その様子を温かい目で見守っていた商人の代表が、ずっしりと重い別の革袋をパスカルの手に乗せた。
「パスカル様、これは我々一同からの謝礼です。金貨二十枚……命を救っていただいた恩に比べれば、あまりにささやかですが、どうか受け取ってください」
「金貨二十枚!? いえ、それは多すぎます。ギルドからの報酬もありますし、そんなにいただくわけには……」
パスカルは慌てて突き返そうとしたが、老人は優しく、しかし断固とした態度でその手を包み込んだ。
「いいえ。生き残った十二人の命と、亡くなった五人の尊厳を守っていただいたのです。これを受け取っていただけなければ、我々の感謝の気持ちが宙に浮いてしまいます。これからのパーティーとしての活動資金にでも使ってください」
「……そこまで仰るなら、ありがたく頂戴します。皆さんのこれからの旅が安全であるよう、祈っていますね」
パスカルは深々と頭を下げ、控えめながらも確かな絆を結んだ。
ギルドに併設された酒場は、暖炉の薪が爆ぜる音と、冒険者たちの快活な笑い声に包まれていました。パスカルは新しく仲間となった護衛の面々と共に、円卓を囲んで腰を下ろしました。
テーブルの上には、商人の代表が「景気づけに」と振る舞ってくれたエール入りのジョッキと、大皿に盛られた湯気の立つ肉料理が並んでいます。パスカルは少し気恥ずかしそうに、まずは自分のジョッキを軽く持ち上げました。
「改めて……今日はお疲れ様でした。パスカルです。さっきも言いましたが、私は詠唱魔法や杖を使うような、いわゆる『魔法使い』ではありません。ただ、体の中の魔力を練って形にしたり、剣に纏わせたりすることだけは、ずっと続けてきました。不器用な戦い方しかできませんが、精一杯努めます」
パスカルが柔らかい笑みを浮かべて自己紹介を終えると、リーダーのダグラスが豪快に笑い、自分の胸を叩きました。
「俺はダグラス。このパーティーのリーダーだ。大剣を振り回すだけの無骨な男だが、よろしくな。さっきのあんたの魔力弾、ありゃあ凄かった。無詠唱であんなに正確に頭を抜くなんて、魔法使いよりよっぽど魔法使いらしいぜ」
続いて、身軽な革鎧を纏った女性、エリンが静かに口を開きました。
「私はエリン。偵察と、弓での後方支援を担当しているわ。それから……私は水属性の魔法を扱うことができるの。矢の軌道に変化をつけたり、霧を出して視界を奪ったり、水刃で敵を切り裂いたりね。パスカル、あなたの純粋な魔力と私の水を合わせれば、もっと面白い戦い方ができそうね」
エリンは頼もしく微笑みました。彼女の操る水の変化と、パスカルの無色の魔力弾が合わされば、戦術の幅は大きく広がることでしょう。
さらに、若手の盾持ちであるトビーが元気よく挨拶し、最後に、少し控えた位置に座っていた穏やかな雰囲気の女性が微笑みました。
「私はセーラ。聖職者として、回復魔法を担当しています。パスカルさん、先ほどは私たちが手に負えないほどの重傷者の方方に、惜しみなくポーションを使ってくださって……。その慈悲深い振る舞いに、救われる思いでした」
セーラは静かに頭を下げました。彼女はパーティーの癒やし手として、死に瀕していた仲間をパスカルが救ったことに、深い敬意を抱いているようでした。
「いえ、あんな状況でしたから。セーラさんの回復魔法があれば、これからはもっと心強いです」
パスカルは照れたように微笑み返しました。
「……本当は、もう二人仲間がいたんだ」
ダグラスがふと視線を落とし、低く呟きました。亡くなった仲間に触れ、一瞬だけ卓を静寂が支配します。しかし、彼はすぐに顔を上げ、エールを一口飲み干しました。
「だが、あんたがあいつらをアイテムボックスに収めて、ちゃんとここまで連れてきてくれた。あいつらも家族の元へ帰れる。今日からあんたは、俺たちの新しい『家族』だ。遠慮なんていらねえ。な?」
パスカルは「家族」という言葉の温かさに、胸が熱くなるのを感じました。ずっと一人で、魔力操作の精度を上げることだけに心血を注いできた孤独な旅路。それが今、この賑やかな酒場の喧騒の中で、新しい形に変わりつつありました。
「ありがとうございます。ダグラスさん、エリンさん、トビー君、そしてセーラさん。精一杯、皆さんの力になります」
「よし! 食え食え! 今日はパスカルの歓迎会だ!」
ダグラスの掛け声と共に、再び笑い声が溢れ出しました。パスカルは差し出された料理を頬張り、仲間の輪の中に溶け込んでいきました。彼が一人で練り続けてきた魔力は、これからは仲間と背中を合わせるための力として、より一層深く、静かに輝きを増していくのでした。
眩い朝陽が街の石畳を照らす中、パスカルたち一行は再び昨日の惨劇の舞台となった森へと足を運んだ。商人の代表たちは、修復した馬車と共に王都へと向かう準備を整えており、出発前にパスカルの元へ集まった。
「パスカル様、我々はこれより王都へ向かいます。我々の商会は王都に本拠を置いておりますので、お越しの際はぜひお立ち寄りください。精一杯の持て成しをさせていただきます」
「王都ですね、分かりました。皆さんも道中、お気をつけて」
パスカルは穏やかに微笑み、遠ざかっていく馬車を見送った。昨日救った命が、それぞれの日常へと戻っていく。その光景を見届けた後、彼は新しく仲間となった四人に向き直った。
「さて、今日はお互いの手の内を知るために、皆さんの魔法を見せてもらってもいいですか? 連携を考える上で、イメージを掴んでおきたくて」
「おう、もちろんだ。エリン、セーラ、やって見せてくれ」
ダグラスの促しに応じ、まずはエリンが弓を構えた。彼女が意識を集中すると、周囲の湿気が凝集し、矢の先端に鋭い水の錐が形成される。
「水よ、穿て!」
放たれた矢は水の旋回を伴い、大樹の幹を深く抉り取った。続けてセーラが杖を掲げると、柔らかな黄金色の光が辺りを包み込む。
「光よ、癒しと安らぎを……」
温かな光の粒子が、昨日傷ついた草木を労わるように降り注ぐ。それは傷を癒やすだけでなく、邪悪な気配を払う浄化の力も秘めているようだった。
パスカルはその様子を、瞬きもせずに見つめていた。彼の瞳の奥では、体内の膨大な魔力が激しく、かつ緻密に蠢いている。彼は「詠唱魔法」という形式は使えないが、一度目にした事象を、自身の「魔力操作」によって再構成する驚異的なセンスを持っていた。
(水は、魔力を液状に圧縮し、表面張力を利用して回転を加える。光は、魔力を超高周波で振動させ、生命力へと波長を合わせる……)
パスカルは静かに目を閉じ、反芻した。体内の魔力溜まりから、一本の細い糸を引き出す。それをエリンのイメージ通りに液状化させ、さらにセーラのイメージ通りに励起させる。
数分後、パスカルが目を開けた時、その左手には揺らめく水の宝珠が、右手には清廉な光の球が浮かんでいた。
「……こんな感じ、でしょうか」
「なっ……!?」
ダグラスが絶句し、エリンとセーラは目を見開いた。基礎的な属性変化とはいえ、見ただけでその本質を掴み、独自の魔力操作で再現してみせるなど、常識ではあり得ないことだった。
「パスカルさん、あなた……本当に何者なんですか?」
エリンの驚き混じりの問いに、パスカルは「いえ、お二人のイメージが分かりやすかったおかげです」と、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「ところでダグラスさん、聞き忘れていましたが、私たちのパーティーに名前はあるんですか?」
ダグラスは呆れ顔から一転、誇らしげに顎を上げた。
「ああ。俺たちの名は『銀の牙』だ。今はまだ小さな牙だが、あんたが加わった今日からは、大陸中にその名を轟かせる牙になるぜ!」
「『銀の牙』……いい名前ですね。改めて、よろしくお願いします」
新しく手に入れた二つの属性を掌で転がしながら、パスカルは仲間たちと共に、森のさらに深部へと歩みを進めた。




