第二話:背中の筋肉に鬼の曼荼羅
ミノタウロスに引きずられ、アドランが連れてこられたのは、魔界の絶壁に建つ『極限筋力寺』だった。そこでは魔族たちが血涙を流しながら巨大な鉄球を持ち上げている。
「いいかアドラン、まずは『中道』を教えよう。琴の弦は弛むといい音は出ない。だが、締めすぎると切れてしまう」
ミノタウロスは、おもむろにアドランの腹筋をバチンと叩いた。
「はぁ……つまりどういう心理なんですか、それ」
「貴様の弛んだ腹はだらしない! そして筋繊維は断裂を繰り返し、超回復を経て強くなるという真理だ! つまり、切れてからが本番なのだ!」
「ひぃぃぃぃ! 心理じゃなくて真理の方かよ!発音じゃ違い分からないぞ」
アドランは泣きながら重さ数百キロのダンベルを握らされた。ミノタウロスは涼しい顔で数珠(鉄球)を回し、さらに続ける。
「貴様、『色即是空』を知っているか?」
「……確か、目に映る万物はこれ即ちカラである、とかいう意味だったかと」
「その続きこそが重要なのだ。続きは『空腹贅肉』! つまり空腹、これ即ち贅肉の焼却なり! 腹が減っている今こそ、お前の腹筋は仏に近づいているのだ!」
「このおっさん無茶苦茶いいやがって! そもそもその『般若心経』の元となった龍樹は、他宗教の教えを論破した逆恨みで撲殺されてるじゃないか! 信仰《筋トレ》の強要は遺恨を残すだけだぞ!」
アドランは、雑学を武器に必死の抵抗を試みる。しかし、ミノタウロスは岩のような拳を握りしめ、一喝した。
「否!!」
その咆哮だけで、アドランの背後の岩壁にヒビが入る。
「龍樹が撲殺されたのは、彼に『受け止める広背筋』が足りなかったからだ! 筋肉があれば、逆恨みの杖などすべて跳ね返せたはず! 遺恨が残るのは、筋肉が残っていないからだ!」
「めちゃくちゃだよ! 筋肉が解決できるのは物理だけでしょ!」
「黙れ! さあ、次は『五蘊盛苦』だ。これは『腕、足、背中、胸、肩の五箇所に乳酸が溜まる苦しみ』のことだ! 全身追い込むぞ!」
「勝手に経典を筋肉用語にするな! 助けてくれ、アドラー! 誰か僕の課題を分離してくれぇぇ!!」
一ヶ月後。
修行を終えたアドランの肉体は、もはや元のホームレスとは別人のように肥大していた。
その目は虚ろで、口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
「……見える……。乳酸の向こうに、極楽浄土が見える……」
「アドランよ、いい解脱だ。キレてる、キレてるぞ! 頑張ったお前に『良いもの』を見せてやろう」
そう言うとミノタウロスは自ら背中を向け広背筋に凄まじい力を込めていく。
「……っ! ミノさんの背中が隆起しまるで鬼の顔……いや、『曼荼羅』のようだ」
圧倒的な筋肉の密度に、アドランは思わず合掌した。
「次は魔王様にお前の『曼荼羅』を見せに行くぞ、ついて来い。ハッシュタグは #筋肉解脱 でな」
アドランは、もはや人間界の服がパツパツで弾け飛んだ状態で、魔王城の門を叩くのだった。




