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 二度目の目覚めは、一度目よりも幾分か冷静だった。  私は、棺の縁に腰掛け、冷たい石床に足をぶら下げながら、現状の整理タスク・リストを作成する。


 第一に、私は今後「奥田さやか」ではなく、「エマニュエル・サーシャ・ブランチェス」として生きる必要がある。  第二に、サーシャは世間的に「死んだ」ことになっている。  もし、このままの姿で外に出れば、「幽霊が出た」と大騒ぎになるか、あるいは死体泥棒と間違われて石を投げられるのがオチだ。最悪の場合、口封じのために二度目の死を迎えることになる。


「顔を隠す必要があるわね」


 私は棺の中を物色した。  敷き詰められていた白い布――おそらくは死者を飾るためのシルクだ――を掴み、力任せに引き裂く。  ビリッ、と景気のいい音が響いた。


『ああっ! なんてことを! それは最高級のサテンシルクなのに……!』


 脳内で、サーシャの悲鳴が響く。  彼女はもういないはずなのに、その意識は私の脳内にしっかりと間借りしているようだ。


「静かにして。今はこれが唯一の変装道具アイテムなの」


 私は裂いた布を目元に巻き付け、さらに頭から被ることで、顔の半分以上を隠す「即席のフェイスベール」を作った。これなら、遠目には怪我人か、あるいはハンセン病患者のように見えて、誰も近寄ってこないだろう。


 次に、所持品の確認だ。  棺の底に、一本の万年筆が転がっていた。  インクは切れているようだが、軸は深い藍色で、ペン先には金が使われている。埋葬品だろうか。


『それは……父様からいただいた、入学祝いの万年筆です。私、棺に入れられていたんですね……』


 サーシャの声が湿っぽくなる。  感傷に浸りたい気持ちは分かるが、今の私に必要なのは「思い出」ではなく「軍資金」だ。


「悪いけど、これを元手にさせてもらうわよ」 『えっ? 売るんですか!?』 「無一文でどうやって復讐するの? まずは情報の収集、そして当面の生活費。地獄の沙汰も金次第よ」


 私は万年筆を懐にしまい、教会を後にした。


 


 教会の外は森だった。  とりあえず人里を目指して歩き始めたのだが――開始十分で、私は重大な欠陥バグに気づかされた。


「……はぁ、はぁ、……なに、この身体……!」


 重い。とにかく重い。  私の精神は「もっと早く歩け」と命じているのに、サーシャの肉体がそれを拒絶する。  少し歩くだけで息が切れ、心臓が早鐘を打ち、細い足は小枝のように震えだす。  深窓の令嬢というのは、これほどまでに筋肉がないものなのか。前世の私が、いかに強靭な「取材足」を持っていたかを痛感する。


『すみません……私、運動は苦手で……』 「苦手とかいうレベルじゃないわよ。これじゃあ、逃走も追跡もできない」


 私は悪態をつきながら、近くに見つけた川沿いを歩くことにした。  水は低きに流れる。川を下れば、いずれ人の営みにぶつかるはずだ。  生存本能と根性だけで足を動かし続けること数時間。  日が傾きかけた頃、ようやく森が開け、石造りの城壁に囲まれた街並みが見えてきた。


「やっと……着いた」


 街門を潜り抜ける。幸い、門番は私の粗末な格好を見て、関わるのを避けるように顔を背けただけだった。  石畳の道を行き交う人々。馬車の音。市場の活気。  中世ヨーロッパ風だが、どこか独特な熱気がある。  私は道端で果物を売っていた老婆に声をかけた。


「すみません。少しお尋ねしたいのですが」 「あんだい? うちはお恵みなんてしないよ」 「いいえ、今日は何月何日か知りたくて」 「はあ? ボケてるのかい。星暦せいれき八二四年の六月十二日だよ」


 六月十二日。  脳内でサーシャに確認を取る。彼女が転落死したのは、六月七日。  つまり、死後たったの五日しか経過していない。


(悪くないわ。五日なら、情報はまだ新鮮フレッシュだ)


 私は老婆に礼を言い、その足で「質屋」を探した。  路地裏の薄暗い店舗。カウンターの奥には、片目に眼鏡モノクルを嵌めた鷲鼻の店主が座っている。  私は懐から万年筆を取り出し、カウンターに置いた。


「これを買い取って」  店主は万年筆を手に取り、なめるように検分すると、鼻で笑った。 「なんだ、インク切れのポンコツか。軸にも傷がある。……銅貨10枚だな」


 銅貨10枚。  この世界の相場はまだ完全に把握していないが、老婆が売っていた林檎が1つ銅貨5枚だった。  つまり、林檎二個分。  私は万年筆を奪い返すように手に取った。


「冗談は顔だけにして。ペン先は14金よ。軸は北方のインディゴ染め。職人のサインこそ削れているけれど、細工を見れば王都の『グレイ工房』の特注品だって分かるはずよ」


 ハッタリだ。工房の名前なんて知らない。  だが、サーシャの記憶にある「高価な贈り物」という情報と、店主が一瞬だけペン先を凝視した微細な反応マイクロ・ジェスチャーを見逃さなかった。  店主の眉がピクリと動く。


「……ちっ、目利きの出来るガキか。なら銅貨50枚だ」 「銀貨2枚。それ以下なら、向かいの商会に持ち込むわ」 「おいおい、吹っ掛けるな。銀貨2枚なんざ大金だぞ。……銀貨1枚。これが限界だ」


 私は店主の目を三秒間、無言で見つめ返した。  沈黙は交渉における最大の武器だ。  やがて店主が根負けしたように肩をすくめる。 「……分かったよ、銀貨1枚と銅貨59枚でどうだ。もうこれ以上は出せない」


 「ありがとう……」


 カウンターに置かれた銀色の硬貨と銅貨の硬貨。  私はそれを掴み取り、店を出た。  心の中で、サーシャが驚愕の声を上げている。


『す、すごいです……! あんな強面のおじ様と言い合うなんて……! 私なら、銅貨1枚でも御礼を言って渡していました』 「それがカモにされる原因よ。いい? 覚えておきなさい。交渉とは、相手の『欲しい』という欲求と、こちらの『手放せる』という妥協点のチキンレースなの」


 銀貨1枚と銅貨50枚。  決して大金ではないが、当面の食費と、身なりを整える資金にはなる。  私はその足で古着屋に向かい、目立たない平民の娘が着るような茶色のワンピースと、清潔な頭巾を購入した。  着替えを済ませ、ボロボロの布切れを捨てると、ようやく人心地がついた。


 これで街に溶け込める。  そう思って店を出ようとした時、壁に貼られた一枚の羊皮紙が目に入った。


「……これは」


 それは、舞踏会のチラシだった。  しかも、ただの舞踏会ではない。  そこに書かれていたのはどのような身分でも参加可能な商会の舞踏会であった。

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