5. 夜にしか語れないこと
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夜は、俺の時間だ。
暗闇の森が完全に沈黙し、昼の名残が消えた頃。風の音さえ、必要最低限になる。
この時間が、好きだった。
正確には——好きだった、はずだ。
今は、家の中から微かな気配がする。
一定の呼吸。規則正しい寝返り。
(……慣れない)
何百年も、一人で生きてきた。
夜に、誰かの存在を感じることなどなかった。
俺は、扉の前で立ち止まり、森の闇を見つめる。
(……なぜ、拾った)
問いは、もう何度も繰り返している。答えも、分かっている。
——拾ったのではない。
見捨てられなかった。
ハイエルフ。長命種。そして、驚くほど無防備な存在。
森で出会ったとき、彼女——フィーネは“境界”を知らなかった。
危険と安全の線。見られることの意味。
だから、俺が引いた。
——境界線を。
(……それだけだ)
そう言い聞かせてきた。
だが。
夜が更けるほど、意識はどうしても、家の中へ戻る。
——彼女は、眠っているか。
——寒くはないか。
——夢を、見てはいないか。
(……世話を焼きすぎだ)
自覚はある。
だが、やめられない。
俺は、不死だ。
それは、力ではなく、役割に近い。
必ず、見送る側になるという役割。
かつて、何度もそれを繰り返した。
夜を共に歩いた者。
言葉を交わした者。
名を呼んだ者。
——皆、朝を迎えなかった。
名前は、もう思い出さない。
思い出す必要が、ないからだ。
覚えていれば、また選んでしまう。
だから決めた。
——誰とも、深く関わらない。
——守ることはあっても、選ばない。
それが、不死として生きる、唯一の方法だった。
なのに。
彼女が、ここにいる。
理由を求めず、
選ばせず、
それでも、ここにいる。
(……危うい)
彼女自身が、ではない。
俺が。
家の中に戻ると、彼女は寝台で丸くなっていた。耳が、布から少しだけ覗いている。
——子供だ。
実年齢を知っているからこそ、その未熟さが分かる。
恋も、世界も、何も知らない。
それなのに。
(……選ぶ)
彼女は、そう言った。言葉ではなく、態度で。
俺の隣を。
指先が、わずかに動く。触れたい衝動を、抑える。
(……触れるな)
触れれば、戻れなくなる。
俺が、ではない。
彼女が。
不死の時間は、残酷だ。
変わらない者が、変わっていく者を見続ける。
それを、彼女に背負わせる権利はない。
「……」
自嘲が、喉の奥で消える。
——なら、最初から距離を取れ。
理屈は、簡単だ。
だが。
彼女が、夜に怯えず眠っている。それを知るだけで、胸が静かになる。
(……卑怯だ)
安心を与えながら、選ぶ覚悟は……まだない。
そのとき。
「……起きてる?」
微かな声。
俺は、息を止めた。
「……起こしたか」
「ううん。なんとなく」
彼女は、半身を起こしてこちらを見る。
「外……寒い?」
「……平気だ」
「そっか」
それだけの会話。
なのに、胸が締めつけられる。
「ねえ」
彼女は、少し迷ってから言った。
「ここに来てから……怖い夢、見なくなった」
その言葉は、刃物より鋭かった。
「……そうか」
声が、低くなる。
「あなたが、いるからだと思う」
信頼。
疑いのない、信頼。
(……駄目だ)
それ以上、聞いてはいけない。
俺は、立ち上がった。
「……眠れ」
「うん」
彼女は、素直に横になる。
その背を見ながら、俺は悟った。
——これは、保護ではない。
——責任でもない。
選ばないと、決めてきたもの。
(……恋だ)
認めた瞬間、逃げ場がなくなった。
だから俺は、
次の選択をする。
——距離を取る。
壊さないために。
失わないために。
それが、どれほど残酷な選択かを知りながら。
夜は、深い。
だが、この夜を越えなければ、朝を選ぶことはできない。




