表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/10

5. 夜にしか語れないこと

***


 夜は、俺の時間だ。


 暗闇の森が完全に沈黙し、昼の名残が消えた頃。風の音さえ、必要最低限になる。


 この時間が、好きだった。

 正確には——好きだった、はずだ。


 今は、家の中から微かな気配がする。


 一定の呼吸。規則正しい寝返り。


(……慣れない)


 何百年も、一人で生きてきた。

 夜に、誰かの存在を感じることなどなかった。


 俺は、扉の前で立ち止まり、森の闇を見つめる。


(……なぜ、拾った)


 問いは、もう何度も繰り返している。答えも、分かっている。


 ——拾ったのではない。

 見捨てられなかった。


 ハイエルフ。長命種。そして、驚くほど無防備な存在。


 森で出会ったとき、彼女——フィーネは“境界”を知らなかった。

 危険と安全の線。見られることの意味。


 だから、俺が引いた。


 ——境界線を。


(……それだけだ)


 そう言い聞かせてきた。


 だが。


 夜が更けるほど、意識はどうしても、家の中へ戻る。


 ——彼女は、眠っているか。

 ——寒くはないか。

 ——夢を、見てはいないか。


(……世話を焼きすぎだ)


 自覚はある。

 だが、やめられない。


 俺は、不死だ。


 それは、力ではなく、役割に近い。

 必ず、見送る側になるという役割。


 かつて、何度もそれを繰り返した。


 夜を共に歩いた者。

 言葉を交わした者。

 名を呼んだ者。


 ——皆、朝を迎えなかった。


 名前は、もう思い出さない。

 思い出す必要が、ないからだ。


 覚えていれば、また選んでしまう。


 だから決めた。


 ——誰とも、深く関わらない。

 ——守ることはあっても、選ばない。


 それが、不死として生きる、唯一の方法だった。


 なのに。


 彼女が、ここにいる。


 理由を求めず、

 選ばせず、

 それでも、ここにいる。


(……危うい)


 彼女自身が、ではない。


 俺が。


 家の中に戻ると、彼女は寝台で丸くなっていた。耳が、布から少しだけ覗いている。


 ——子供だ。


 実年齢を知っているからこそ、その未熟さが分かる。

 恋も、世界も、何も知らない。


 それなのに。


(……選ぶ)


 彼女は、そう言った。言葉ではなく、態度で。


 俺の隣を。


 指先が、わずかに動く。触れたい衝動を、抑える。


(……触れるな)


 触れれば、戻れなくなる。


 俺が、ではない。

 彼女が。


 不死の時間は、残酷だ。

 変わらない者が、変わっていく者を見続ける。


 それを、彼女に背負わせる権利はない。


「……」


 自嘲が、喉の奥で消える。


 ——なら、最初から距離を取れ。


 理屈は、簡単だ。


 だが。


 彼女が、夜に怯えず眠っている。それを知るだけで、胸が静かになる。


(……卑怯だ)


 安心を与えながら、選ぶ覚悟は……まだない。


 そのとき。


「……起きてる?」


 微かな声。


 俺は、息を止めた。


「……起こしたか」


「ううん。なんとなく」


 彼女は、半身を起こしてこちらを見る。


「外……寒い?」


「……平気だ」


「そっか」


 それだけの会話。


 なのに、胸が締めつけられる。


「ねえ」


 彼女は、少し迷ってから言った。


「ここに来てから……怖い夢、見なくなった」


 その言葉は、刃物より鋭かった。


「……そうか」


 声が、低くなる。


「あなたが、いるからだと思う」


 信頼。

 疑いのない、信頼。


(……駄目だ)


 それ以上、聞いてはいけない。


 俺は、立ち上がった。


「……眠れ」


「うん」


 彼女は、素直に横になる。


 その背を見ながら、俺は悟った。


 ——これは、保護ではない。

 ——責任でもない。


 選ばないと、決めてきたもの。


(……恋だ)


 認めた瞬間、逃げ場がなくなった。


 だから俺は、

 次の選択をする。


 ——距離を取る。


 壊さないために。

 失わないために。


 それが、どれほど残酷な選択かを知りながら。


 夜は、深い。


 だが、この夜を越えなければ、朝を選ぶことはできない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ