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暗闇の森で、夜を選ぶ  作者: July
Story.3
24/24

1.夜のあとに残るもの

 夜は、静かに続いていた。


 けれど――

 同じ夜なのに、どこか違う。


 フィーネは、小屋の中で本を閉じ、そっと息を吐いた。

 読みかけのページ……文字はもう入ってこない。


 理由は、分かっている。


 ヴァイスが、同じ部屋にいるからだ。


 数日前までは、当たり前の光景だった。

 それなのに今は、わずかな沈黙さえ意識してしまう。


 恋人になった。


 その事実が、空気を変えていた。


 ヴァイスは、いつもの椅子に腰掛け、外套を脱いだまま静かにしている。

 本を読んでいるわけでも、何か作業をしているわけでもない。


 ただ、そこにいる。


 ――触れてもいい距離。

 ――でも、触れなくても成立する距離。


 フィーネは、その微妙な間に、まだ慣れていなかった。


 (……変な感じ)


 嫌ではない。

 不安でもない。


 けれど、これまで積み上げてきた“気楽さ”が、少し形を変えてしまった。


 「……眠い?」


 ヴァイスが、低く声をかけてくる。


 「ううん」


 フィーネは首を振る。


 「ただ、考え事」


 「……珍しいな」


 それは、軽い冗談のつもりだったのだろう。

 けれど、フィーネは小さく笑うだけで、言葉を続けなかった。


 考え事の内容を、うまく説明できない。


 恋人になった。

 それは嬉しい。


 けれど同時に、「もう戻れない場所」が増えた気もしていた。


 ヴァイスは、彼女の沈黙を責めない。

 それが、彼の優しさだ。


 だが今は、その優しさが少しだけ――遠い。


 「ねえ、ヴァイス」


 フィーネは、本を置いて立ち上がる。


 彼の前まで歩き、立ったまま問いかけた。


 「私たち、変わった?」


 唐突な質問だった。


 ヴァイスは、すぐには答えない。

 少し考え、それから口を開く。


 「……変わった部分もある」


 正直な答え。


 「でも」


 彼は視線を上げ、フィーネを見る。


 「変わらないように、している部分もある」


 フィーネは、その言葉を噛みしめる。


 「変わらない、って……」


 「お前が、お前でいることだ」


 それは、安心させる言葉だった。

 けれど、同時に――


 (それだけじゃ、足りない)


 そう思ってしまった自分に、フィーネは戸惑う。


 恋人になったからこそ、

 “変わらない”だけでは、進めない部分もある。


 「……私ね」


 フィーネは、ゆっくりと言葉を選ぶ。


 「嬉しいの」


 ヴァイスは黙って聞く。


 「一緒にいるって決めたこと」


 「……ああ」


 「でも」


 そこで、言葉が止まる。


 “でも”の先を言うのは、少し怖い。


 ヴァイスは、急かさなかった。

 ただ、待つ。


 フィーネは、胸の前で手を握りしめる。


 「これからのことを考えると……少しだけ、不安になる」


 ヴァイスの眉が、わずかに動いた。


 「不安?」


 「うん」


 フィーネは頷く。


 「今までは、今日が楽しければよかった」


 「……」


 「でも今は、明日とか、もっと先とか」


 自分でも不思議なほど、素直な言葉が出てくる。


 「考えちゃう」


 ヴァイスは、すぐに答えなかった。


 彼の沈黙は、拒絶ではない。

 それでも、フィーネの心臓は小さく跳ねる。


 やがて、彼は立ち上がった。


 フィーネより、少し高い位置から見下ろす。


 「フィーネ」


 名前を呼ばれる。


 「……不安にさせたなら、すまない」


 それは謝罪だった。


 フィーネは、慌てて首を振る。


 「違うの。ヴァイスのせいじゃない」


 「それでも」


 彼は、真剣だった。


 「俺は、長く生きている」


 事実の提示。


 「考える時間も、待つ時間も……お前より多い」


 フィーネは、黙って聞く。


 「だから」


 ヴァイスは、一拍置く。


 「同じ速さで歩けなくなる可能性は、ある」


 逃げない言葉だった。


 フィーネは、その誠実さに、胸が締めつけられる。


 「でも」


 ヴァイスは続ける。


 「お前が立ち止まるなら、俺も立ち止まる」


 「……」


 「追い越さない」


 それは、支配でも庇護でもない。


 並ぶという選択。


 フィーネは、ゆっくりと息を吐いた。


 「ありがとう」


 そう言ってから、少し困ったように笑う。


 「ねえ、恋人ってさ」


 「……なんだ」


 「もっと、甘い感じだと思ってた」


 ヴァイスは、ほんの一瞬だけ目を見開き――

 すぐに、視線を逸らした。


 「……努力は、している」


 その返答に、フィーネは吹き出した。


 「うん、知ってる」


 笑いながら、彼に近づく。


 今度は、迷わなかった。


 ヴァイスの外套の裾を、そっと掴む。


 「ね」


 見上げる。


 「完璧じゃなくていいよ」


 ヴァイスは、動かない。


 「不安でも、ぎこちなくても」


 フィーネは、静かに言う。


 「夜が続いてるなら、それで」


 ヴァイスは、しばらく黙っていたが――

 やがて、ゆっくりと手を伸ばし、彼女の背に触れた。


 強くは抱かない。

 けれど、確かにそこにいると分かる温度。


 「……慣れるまで、時間がかかる」


 「うん」


 「それでも、いいか」


 フィーネは、迷わず頷いた。


 「いいよ」


 夜は、まだ始まったばかりだ。


 選び続ける夜の、最初の違和感と、最初の確信が――

 静かに、積み重なっていく。


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