9.朝を想像する
夜明け前の森は、いつもより静かだった。
空の色はまだ黒に近い。
けれど、遠くでわずかに青が滲み始めている。
フィーネは小屋の外に立ち、その変化を見つめていた。
ヴァイスは、少し離れた場所で同じ空を見ている。
並んでいるのに、会話はない。
それが、不思議と心地よかった。
「……朝は、嫌いか」
ヴァイスが、ぽつりと言った。
フィーネは少し考える。
「前はね」
そう答えた。
「夜が終わる感じがして」
ヴァイスは、小さく頷いた。
ヴァンパイアにとって、朝は区切りだ。
避けるもの。
遠ざけるもの。
「でも」
フィーネは続ける。
「最近は、嫌いじゃない」
ヴァイスが、彼女を見る。
「夜が終わるってことは……」
フィーネは、空を指さす。
「ちゃんと、続いてたって証拠だから」
夜が、意味のある時間だったということ。
ヴァイスは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに息を吐く。
「お前は、不思議だ」
「よく言われる」
くすっと笑う。
「ヴァイスは?」
「俺は……」
言葉を探すように、視線を逸らす。
「朝を、想像しないように生きてきた」
フィーネは、それを否定しなかった。
「でも」
ヴァイスは、続ける。
「お前がいると……想像してしまう」
朝の光の中に、彼女がいる風景を。
「それって」
フィーネは、ゆっくり言う。
「進歩?じゃない?」
「……ああ」
簡単には言えない。
けれど、逃げもしない。
「怖い?」
「怖い」
即答だった。
フィーネは、少し驚いてから、優しく微笑む。
「じゃあ、同じだね」
「?」
「私も怖いよ」
未来も、選択も、変化も。
「でも」
フィーネは、ヴァイスの袖をそっと掴む。
「怖いって思える相手と一緒にいるのは……悪くない」
ヴァイスは、その手を振り払わなかった。
夜明けが、少しずつ近づいてくる。
森の影が、長く伸びる。
「フィーネ」
ヴァイスが、名前を呼ぶ。
「……ここに、いていい」
それは、質問ではなかった。
確認でもない。
「俺は、お前と――」
言葉が、途切れる。
フィーネは、続きを待たなかった。
「うん」
ただ、それだけ言う。
選び合うには、十分だった。
空の端が、淡く白む。
夜は、終わる。
けれど、関係が終わるわけではない。
ヴァイスは、フィーネの手を取る。
昨夜よりも、ほんの少しだけ強く。
「朝が来たら……どうする?」
フィーネは、考えてから答えた。
「朝を、見送る」
「それから?」
「次の夜の話をしよう」
ヴァイスは、初めて小さく笑った。
それは、夜の住人の笑みだった。
夜は続く。
けれど今度は――
二人で選び続ける夜だ。




