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暗闇の森で、夜を選ぶ  作者: July
Story.2
16/24

2. 彼女は、未来を語らない

 フィーネは、未来の話をしなかった。


 それにヴァイスが気づいたのは、恋人になってから数日が過ぎてからだった。

 朝と夜の境目が曖昧な暗闇の森では、日付の感覚も薄い。それでも、時間は確かに積み重なっている。


 朝食を作り、片付けをし、森を歩く。

 変わらない日常。

 けれど、会話の端々に、ひとつだけ欠けているものがあった。


 「この先」「いつか」「そのうち」。


 そういった言葉を、フィーネは使わない。


 「今日は何をする?」

 「今夜は、森の奥まで行ってみたい」

 「明日は、果実を取りに行こう」


 すべてが、今か、せいぜい明日までだ。


 ヴァイスはそれを、無理に問いただそうとはしなかった。

 彼女には彼女の時間の流れがある。そう理解しているつもりだった。


 それでも――。


 「フィーネ」


 森の小道を並んで歩きながら、ヴァイスは声をかけた。

 彼女は足を止め、振り返る。


 「なに?」


 相変わらず、屈託のない声音だった。


 「……この森を、気に入っているか」


 唐突な問いだった。

 フィーネは一瞬きょとんとした顔をしてから、少し考えるように視線を泳がせた。


 「うん。静かだし、落ち着くし……好きだよ」


 即答だった。

 けれど、それ以上の言葉は続かない。


 「そうか」


 それだけで会話は終わる。

 歩き出す背中を見ながら、ヴァイスは小さく息を吐いた。


 好き、という言葉は聞けた。

 だが、それが「この先も」という意味を含んでいるかは、分からない。


 森の奥、開けた場所で二人は腰を下ろした。

 淡い光を放つ苔が足元を照らしている。


 フィーネは膝を抱え、ぼんやりと光を眺めていた。


 「ねえ、ヴァイス」


 「どうした」


 「ヴァイスは……ずっと、ここにいるの?」


 問いかけは穏やかだった。

 けれど、核心に触れている。


 「そのつもりだ」


 ヴァイスは即答した。

 迷いはなかった。


 「この森は、俺の居場所だ」


 フィーネは「そっか」と頷く。

 それで終わりだった。


 ――やはり、未来を語らない。


 「フィーネは?」


 自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。


 彼女は一瞬だけ、瞬きをする。

 それから、困ったように笑った。


 「……分からないよ」


 「分からない?」


 「うん。先のことって、難しいから」


 その言葉は、曖昧で、やさしくて、そしてどこか距離があった。


 ヴァイスは、それ以上踏み込まなかった。

 問い詰めれば、彼女は答えただろう。けれど、それは望んでいなかった。


 沈黙が落ちる。


 フィーネは、光る苔に指先で触れながら言った。


 「ね、ヴァイス」


 「……なんだ」


 「今は、一緒にいられるよね」


 確認するような声だった。


 「……ああ」


 それは、確かな答えだった。


 彼女はそれを聞いて、安心したように微笑む。

 だが、その笑顔はどこか「期限付き」のようにも見えた。


 ヴァイスは思う。

 フィーネは未来を恐れているのではない。

 むしろ、未来を簡単に約束できないほど、長い時間を生きてきたのだ。


 実年齢、三百三十六歳。

 精神年齢は、まだ若い。


 その矛盾が、彼女を慎重にしている。


 「……なあ、フィーネ」


 「なに?」


 「今を大事にするのは、悪いことじゃない」


 彼女は少し驚いたように目を丸くする。


 「でも」


 ヴァイスは言葉を選びながら続けた。


 「……俺は、先のことを考えてしまう」


 それは告白に近かった。


 フィーネは黙り込む。

 やがて、ゆっくりと口を開いた。


 「……ごめんね」


 「謝る必要はない」


 「うん。でも……」


 彼女は視線を落とす。


 「約束できないことを、軽く言いたくないの」


 その一言で、すべてが腑に落ちた。


 彼女は逃げているわけではない。

 誠実だからこそ、未来を語らない。


 ヴァイスは胸の奥が、少しだけ痛んだ。

 同時に、その誠実さを、愛おしいとも思った。


 「……分かった」


 「ほんと?」


 「ああ」


 今は、それでいい。


 森に夜が戻ってくる。

 暗闇は、二人を等しく包む。


 フィーネはヴァイスの袖を、そっと掴んだ。

 それだけで、今は十分だった。


 未来は、語られなかった。

 けれど、今は確かに、二人のものだった。


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