1. 夜が続く朝
目を覚ましたとき、森はまだ眠っていた。
暗闇の森に朝は来る。けれどそれは、光で目を覚まさせるものではない。夜の濃度が、ほんの少しだけ薄まるだけだ。
ヴァイスは天井を見上げたまま、しばらく動かなかった。
隣の気配を確かめるのに、理由が要るような気がしていた。
フィーネはまだ眠っている。
そう分かっていても、視線を向けるまでに少し時間がかかった。
同じ家に住み始めてから、もうずいぶん経つ。
けれど昨夜から、この距離の意味が変わってしまった。
――恋人。
その言葉を頭の中で転がすと、胸の奥が微かに熱を持つ。
照れくささと戸惑いが、同時にやってきた。
上半身を起こし、静かに息を整える。
物音を立てないことは、長年の習慣だった。彼女を起こさないように、という理由が加わったのは最近だ。
窓の外では、夜霧がまだ森を覆っている。
朝なのに、世界は暗いまま。それでも確かに、時間は前に進んでいる。
ベッドの端に座り、振り返る。
フィーネは毛布にくるまって、安心しきった顔で眠っていた。
その寝顔を見ると、昨夜の記憶が自然と浮かぶ。
言葉は多くなかった。
けれど、はっきりと伝え合った。
――一緒にいたい。
――選ぶ。
それだけで、十分だった。
ヴァイスは思わず視線を逸らす。
胸の奥が落ち着かない。長い夜を生きてきたはずなのに、こんな感覚は初めてだった。
「……慣れないな」
小さく呟く。
声に出した途端、少しだけ現実味が増した。
恋人になったからといって、何かが劇的に変わるわけではない。
少なくとも、今朝の森はいつもと同じだ。
けれど、同じでいられないことも分かっている。
フィーネが、ゆっくりと目を覚ました。
「……ヴァイス?」
眠たげな声。
呼ばれただけで、心臓が一拍遅れる。
「起きたか」
できるだけ、いつも通りに答える。
声が硬くなっていないか、少し気にした。
フィーネは身体を起こし、毛布をずらす。
長い金色の髪が、肩から流れ落ちた。
「おはよう……」
その一言が、やけに重く感じられる。
「……ああ。おはよう」
視線が合う。
一瞬だけ、互いに言葉を探した。
恋人としての「正解」が、まだ分からない。
フィーネは小さく笑った。
「……なんだか、変な感じだね」
「……ああ」
同じ感想だった。
しばらく沈黙が続く。
気まずいわけではない。ただ、今まで通りでいいのか、分からなかった。
フィーネはベッドを降り、ヴァイスの隣に立つ。
少しだけ距離が近い。
「ね、ヴァイス」
「どうした」
「……今日も、いつも通りでいい?」
その問いは、軽いようで重かった。
“恋人になったから、変わらなければいけないのか”という不安が、そこに滲んでいる。
ヴァイスは一瞬、言葉を選んだ。
「無理に変える必要はない」
「……うん」
「ただ」
フィーネがこちらを見る。
期待とも不安ともつかない表情。
「……何か嫌なことがあれば、言え」
彼女は目を瞬かせ、それから、柔らかく笑った。
「うん。ヴァイスもね」
その言葉に、胸が少しだけ軽くなる。
朝は、まだ夜の延長線上にある。
それでも確かに、昨日とは違う朝だった。
ヴァイスは思う。
恋は選んだ瞬間より、その翌朝の方が難しいのかもしれない。
それでも――
「朝飯、用意する」
「わ、ありがとう」
いつものやり取りを交わしながら、台所へ向かう。
背中に向けられる視線が、以前より少しだけ近く感じられた。
夜は終わらない。
けれど、同じ夜でもない。
ヴァイスは静かに息を吐く。
続ける、という選択が、もう始まっていた。




