1.夜は、何も約束しない
夜は、約束をしない。
それが、俺の生き方だった。
暗闇の森に住みついて、どれほどの時間が経ったのかは覚えていない。
数える意味を失ってから、随分と経つ。
不死であることは、便利ではない。
ただ、終わらないだけだ。
終わらない夜を、何度も越える。
越えた先にあるのは、いつも同じ静けさだった。
俺は、誰も迎えに行かない。
誰も、待たない。
それで、よかった。
——そう決めていた。
暗闇の森は、人の寄りつかない場所だ。
昼でも夜のように薄暗く、魔力の流れが歪んでいる。
だからこそ、選んだ。
誰にも見つからず、
誰にも知られず、
誰とも関わらずに生きるには、ちょうどいい。
夜、狩りに出て、必要なものを得る。
夜明け前には戻る。
それだけの生活。
孤独は、慣れるものだ。
慣れてしまえば、痛みもなくなる。
——そう思っていた。
その夜、森の奥で、微かな声を聞いた。
風ではない。
獣でもない。
人の、声だった。
足を止めたのは、反射だ。
意識的な判断ではない。
(……関わるな)
頭では、そう命じていた。
人間だろうと、長命種だろうと、関係ない。
関われば、必ず終わりが来る。
それを、何度も見てきた。
——それでも。
声は、弱かった。
迷い、恐れ、助けを求める気配。
あまりにも無防備で、あまりにも——。
「……」
舌打ちが、喉の奥で消える。
(……馬鹿だな)
俺自身に向けた言葉だ。
森を抜けると、そこにいたのは人間の女だった。
若い。
夜の装備も、森に入る準備も、何一つ足りていない。
「……ここは、来る場所じゃない」
声をかけた瞬間、後悔した。
女は、はっと顔を上げる。
怯えた目。
「す、すみません……」
謝罪が、先に出る。
——逃げない。
それが、余計に危うかった。
「……道に、迷っただけです」
嘘ではない。
だが、真実でもない。
理由は、どうでもよかった。
(……帰れ)
そう言うべきだった。
だが、女の足は震えている。
魔力の気配も、薄い。
このままでは、夜を越えられない。
(……見送るだけだ)
そう言い訳して、俺は言った。
「……夜明けまでなら、案内する」
それが、最初の誤りだった。
住処に近い場所まで連れて行き、
夜明け前に別れる。
それだけのつもりだった。
女は、礼を言った。
何度も、何度も。
それが、妙に胸に残った。
——礼を言われるようなことは、していない。
なのに、夜が明けたあとも、
その声が、耳に残った。
数日後、再び女は現れた。
「……また来たのか」
「迷わないように、印を覚えました」
笑顔。
恐れのない目。
愚かだと、思った。
同時に。
(……懐かしい)
そんな感情が、胸の奥で動いた。
それが、すべての始まりだった。
女は、名を名乗った。
俺は、名を告げなかった。
名を教えることは、選ぶことだ。
それを、知っていたから。
それでも、夜は続いた。
会話が増え、
笑うことが増え、
朝が来るたびに、胸の奥が冷えた。
(……終わりが来る)
分かっていた。
分かっていて、
それでも、選んでしまった。
——一緒に夜を越えることを。
その代償は、必ず来る。
不死である限り、
それは避けられない。
そして、来た。
夜が、終わらなかった日。
朝を迎えられなかったのは、俺ではない。
その瞬間のことは、覚えていない。
覚えていないように、している。
ただ、一つだけ、確かなことがある。
——二度と、同じ選択はしない。
そう誓った夜、
暗闇の森は、今よりもずっと、静かだった。
孤独は、完全だった。
それで、よかった。
——あの子に、出会うまでは。




