距離の夜
「また会おう」――手の中の紙片が、湿った指先にぺたんと貼りつく。
雨はまだ細く降り続けていた。
髪が頬に貼りつく。
冷たさが首筋を伝う。
でも、怖くない。胸の奥のざらつきが、少しずつ洗われるようだ。
路地の突き当たり、《Siri》の古びた看板。青白く揺れる光。
扉を押すと、低いジャズが店内を満たした。
煙草の香り、木のぬくもり、グラスの触れ合う音。外の世界は、もう遠い。
「ふくろう、来たね」
低く響く声。胸の奥がぎゅっとなる。
黒のシャツに短髪、少し崩れたジャケット。視線が合うだけで、心が跳ねる。
温かいココアのグラスが指先に触れる。熱が体をじんわり満たす。
からすの肩が微かに触れる。心臓が、低いジャズのリズムと重なる。
「雨、冷たくなかった?」
「……うん、ちょうどいいくらい」
微かに笑う。からすも肩をすくめ、柔らかく笑う。
店の奥で、常連の男性がこちらをちらり。手を振る。
「気にしなくていい」――耳元で囁かれる。安心と緊張が交錯する。
胸が少しずつほぐれる。怖さもある。期待もある。
けれど、この距離、この視線、この静かさが、私を少し自由にしてくれる。
「ふくろう、隣、来る?」
自然と体を寄せる。手は触れない。ただ、隣に座るだけで、胸が熱い。
閉店時間。雨は小止み。夜風が頬を撫でる。
でも心には、小さな光が残った。
握りしめた紙片と、からすの存在が、次の夜への力になる。




