魔力を巡る公爵家の離婚審理
公爵家に嫁いで5年、領地のために身も心も捧げてきたつもりなのだけれど、目の前に座る公爵、ライナー様が仰ったのは驚きの言葉だった。
「セリーヌ、お前のように魔力をひけらかす女には、やはり公爵夫人は務まらなかったようだ。魔力供給をしているからと我がもの顔で公爵家を仕切らずに、俺を立てて大人しく仕えていれば良かったものを。今すぐに離婚してくれ」
そもそもこの結婚は公爵の少ない魔力を補うために、魔力量の多い子爵令嬢だったわたくしと結んだ契約だった。
「離婚についてはかしこまりましたわ。しかし、領地の方はいかがされるのですか?わたくしが供給しなければ領地の魔力は来月にも枯渇致します」
「お前が供給すればいい。本邸には俺と新しい婚約者が住むことになるが、別邸くらいには住まわせてやってもいい。魔晶石を設置しておいたからそこから魔力供給をすれば良いだろう?」
唖然とした。こんな貴族の端にも置けないような人を夫として5年間もの間支え続けてきたのかと。
「理解出来ませんわ。公爵家と子爵家で交わされた契約は婚姻を元に成り立っていたはずです。契約が破棄された以上、魔力供給をし続けるなんて納得出来ませんわ」
「これだから小うるさい女は嫌なんだ。おい、さっさとこの女を別邸へ連れて行け」
ライナー様は取り巻きのごろつきに指示を出し、強制的にも別邸という名の軟禁小屋に連れて行こうとした。だがわたくしにも虚勢を張るくらいのプライドがある。
「5年も住んだ屋敷ですわ。案内して頂かなくても結構です」
震える背筋を伸ばし、精一杯の微笑みを湛えて別邸へ歩いていった。
「離婚された元公爵夫人など何処にも行く宛てがないだろう?お前のそのご自慢の魔力さえ出せば食わせてやるんだ。感謝して働けよ」
ライナー様はそう言い捨てて扉に鍵をかけて行ってしまった。何年も使われていなかった別邸には隙間風が吹き込み、灯りすらない有様だ。ホコリにまみれた家財の中に魔力供給のための魔晶石だけが置かれていた。
暗闇に包まれると悲しみと無力感が襲ってきた。この家へ嫁いでからライナー様に愛されずとも、領地のために魔力供給や領地経営へ力を尽くしてきた。ライナー様は魔力供給が出来ないからか領地へも興味を示さず、大量の公務をわたくしに押し付けてきた。しかしこれも貴族夫人の義務だと思い働いてきたが、結果がこれだ。このままでは本邸で享楽的に暮らす元夫を見ながら、魔力供給の機械として飼い殺されるだけだろう。
「どうして、わたくしが……」
わたくし達貴族と平民との違いは魔力を持っているかどうかなのだ。領地を治める貴族は豊かな生活を享受する代わりに領地への魔力供給を行い、土地を富ませる義務がある。豊富に魔力が注がれた土地は澄んだ水が流れ、農作物も安定して多量の収穫が見込める。ライナー様は尊い血と言うけれど貴族の存在意義は領地への奉仕だ。
絶望は怒りへと変化してきた。
このまま使い潰される訳にはいかない。理不尽と戦うこともまた貴族としての義務だろう。きっとライナーが領地経営をすれば領民たちは苦しい思いをすることになる。まずはこの別邸から逃げ出す算段を探さなくては。
そう考えていると扉をノックする音が聞こえた。
「奥様、アルフレッドでございます。旦那様が奥様を別邸へお連れしたと聞き、参りました」
領地経営を共におこなった筆頭執事が来てくれたようだ。
「アルフレッド、ライナー様に離婚を申し渡されたわ。しかも今日からこの別邸で魔力供給をさせるそうだわ」
「なんと……そのようなこと許されません。旦那様へ抗議して参ります」
ありがたいと思った。アルフレッドは子爵家出身のわたくしを見下さず、領地の発展を支えてきてくれた。長年公爵領へ尽くしてきた彼の忠義の為にも、これまでの働きを無駄にしてはいけない。
「待って。わたくしはここから逃げて審判院へ訴えるつもりよ。」
「……かしこまりました。この邸のパントリーには外へ繋がる勝手口がございます。そちらから出て、修道院へ向かうのがと宜しいかと思います。その間私は正門で騒ぎを起こし、旦那様とごろつきどもの目を引き付けましょう」
「ありがとうアルフレッド。必ず領地は守ると約束するわ」
修道院へ急ぎの使いを出すと、アルフレッドはごろつきを引き付けるために騒ぎを起こしに向かった。わたくしも周囲を警戒しながら勝手口をくぐった。正門の方で騒ぐ声が聞こえた。どうやら頼れる老執事は門に火を付けたらしい。公爵もごろつきたちも消火に気を取られ、こちらには気が付かないだろう。
できるだけ早足で近くの修道院へ駆け込んだ。修道院の裏口へ向かうとシスターが待っていてくれた。
「奥様!ご無事でしたか?さ、冷えないうちに中へお入りくださいな」
公爵邸近くの修道院へは孤児院の訪問など慈善活動を行っていた。中央教会からこの修道院へ移り、余生を過ごす老シスターはわたくしのことを気にかけてくれる存在だった。シスターは事情を聞いて憤慨し、王都の審判院へ共に訴えると言って書面を作ってくれた。 翌朝わたくしとシスターは王都へ出発した。わたくしの不在に気づいたライナーは何度か追っ手を出したようだが、道中は他の修道院の援助を受け、何とか中央教会へと身を寄せることができた。
数週間後、わたくしは王都の審判院へ出廷した。アルフレッドが裁判に必要な資料を集め、送ってくれている。何としても負ける訳にはいかない。
議場へは公爵家の離婚裁判ということで主要な貴族たちと、審判長として王弟殿下も出席されている。
わたくしたちが席につき待っていると、ライナーが入廷してきた。そして審判が始まると真っ先に口を開いた。
「歴史ある我が公爵家には尊い血を持つ夫人が必要なんだ。子爵家の出の下賎なセリーヌにはふさわしくないだろう!未練がましく縋ってこずにさっさと離婚してくれ」
王都の審判院へ来てまでご自分の状況が分かっていないようだ。わたくしは離婚に反対はしていない。
「離婚については同意しております。わたくしが納得できないのは、公爵領への魔力供給を継続させられそうになっている状況についてですわ」
傍聴席の貴族たちがざわめいた。
「離縁した夫人に魔力供給をさせるのですか?」
「公爵家の内部で対処すべきでは?」
審判長の王弟殿下が手を挙げざわめきを制し、ライナーへ問いかけた。
「公爵よ、セリーヌ夫人の言葉に間違いないか?離婚を申し渡した夫人に魔力供給をさせようとしたのか?」
「公爵家からの離婚などと言う瑕疵の着いた女など何処にも居場所は無いでしょう。魔力供給をする代わりに離婚後も養うと言っているのです」
「セリーヌ夫人間違いないか?」
「わたくしはライナー様の魔力量不足を補うために婚姻し、5年間公爵領へ魔力を注ぎ続けてまいりました。しかし、ライナー様は離婚を申し渡すとすぐさま、わたくしを別邸へ監禁なさいました。別邸には魔晶石が設置されているだけで灯りもございません。養うなどといった状況ではございませんでした」
「なんと……監禁して魔力供給などまるで囚人の扱いだろう」
魔力量は、生まれつき定まる“器”と、体内を巡る魔素をどれほど制御できるかで決まる。器は変えられないが、魔素の扱いは成長期に厳しい修練を積むことで伸ばすことができる。
ライナーはその修練を「体調を崩す」と嫌い、怠り続けた。遊興に耽る間に素質を錆びつかせ、広大な公爵領を支えるには到底及ばぬ魔力量しか得られなかったのだ。本来なら、生まれ持った器の大きさはわたくしよりもライナー様の方が勝っていた。それを無にしたのは、ただ彼自身の愚かさにほかならない。
「セリーヌ夫人は豊富な魔力をもつ上に、魔力測定については第一人者と言って良い。そんな人物を監禁して私物化するなど王国へ仇なす行為と言えるだろう」
ライナーは王弟殿下の言葉を聞き、愕然とした表情をしていた。この5年間、わたくしは土地へ注いだ魔力量を測定する方法を開発してきたのだ。しかし魔力供給が出来ないからと不貞腐れて領地経営へも興味を持たなかったライナーは、自身の領地で行われてきた開発について何も知らなかった。
「そんなものは知らない。セリーヌは魔力供給も領地についても夫である俺を支える手伝いをしていただけだ!」
呆れた反論を並べるライナーにアルフレッドが調べてくれた資料を提示する。資料には公爵領へ潤沢に魔力が供給されていた調査結果が記載されている。
「注がれた魔力量を鑑定する方法を見つけたのです。領地の水脈を調査した結果がこちらですわ」
「なんだと!?だがお前が供給したと言う証拠なぞ何処にもないだろう!」
「水にそれぞれ魔力を流せば色が変化しますわ。今ここで確かめてみましょう」
「デタラメだ!お前の魔力量をひけらかすために作ったんだろう」
聞いていた王弟殿下が会話を止めさせた。
「セリーヌ夫人の開発した測定法は魔法院に届けられて認められておる。今までは収穫量から推測するしかなかった魔力量がひと目でわかるのだ。王国に多大な益をもたらす発明をデタラメなどと蔑むとは……」
王弟殿下に落胆されたライナーは僅かに怯んだものの、ここまでの醜態を晒してはもう後へ引けない。喰いつくように言い募った。
「セリーヌなど所詮は下賎な子爵家風情の女だ。魔力量を誇示したりせずに夫に尽くしていれば良いものを。その測定法とやらの発明とて公爵家の名のもとに行われた我が家門の功績だ」
これ以上のやり取りは無駄だろう。ライナーに誇れるものは血統しかないのだ。
「いくら尊い血が流れていようと、民のためにその身を使わなければ貴族に価値などございません。爵位に胡座をかき、魔力を育てる努力もせずに蔑む貴方はただの名ばかりの貴族でしょう」
また傍聴席がざわめいた。
「領地経営も魔力供給も夫人に頼りきって、まるで寄生虫ではないか」
「魔力量が少なくとも夫人に感謝し真っ当に領地経営をしていれば良い領主になれたものを……」
ライナーは顔を真っ赤にして反論しようとするも、言葉が出ないようだった。
「…っ!」
王弟殿下が木槌を叩き場を鎮めるとライナーへ語りかけた。
「ライナー公爵、貴殿は魔力を豊かに持ち魔法学へ多大な寄与をするセリーヌ夫人を監禁し使い潰そうとした。これは王国の発展へ損害を与えかねない行為である。貴族の義務を忘れ己の享楽に走るなど、公爵と言う身分も広大な公爵領もそなたへは過ぎたるものであったのだろう」
「で、殿下……」
「セリーヌ夫人への慰謝料として公爵領の三割を割譲し、公爵は侯爵へと降格とする。また、セリーヌ夫人は魔力測定法の開発を功績として離婚後に男爵位への陞爵を認める。女爵として今後も王国の発展へ協力して欲しい」
離婚と公爵家からの解放は認められると考えていたが、男爵位を得られるとは驚きだった。しかし今後は実家の世話になることもなく、自分の領地を自分の魔力で富ませて行くことができるのだ。夫から隠れて行ってきた開発も大手を振って行うことが出来る。こんなに嬉しいことはないだろう。
一方のライナーは厳しい処分に青ざめていたがやがてわたくしの方を睨みつけ、叫ぶように言った。
「低俗な女が自分の功績を誇るなど思い上がりも甚だしい!女は黙って夫に仕え、魔力を注いでいればいいのだ!」
ライナーは逆上してわたくしに詰め寄ろうとしたが、即座に騎士に押さえ付けられた。
「これ以上の審議は無益だ。その男を退場させよ」
王弟殿下が審判の終了を宣言し、尊い血を誇る元公爵は引きずられるように議場から出ていった。
「セリーヌ男爵、此度は大変な目にあっただろう。今後も離婚が成立したとはいえ男爵位の継承に領地経営だ。苦労することもあるだろう。しかし、男爵の働きはかつてのそなたと同じように魔力のために苦しんでいる者たちを救うことになる。ぜひ邁進していただきたい」
わたくしが深く頭を下げると王弟殿下は大きく頷かれて議場から退出された。
王都で話題になった離婚裁判から一年後、ライナーが目論んでいた高位貴族令嬢との婚姻は、裁判での醜聞が広まり当然ながら破綻した。領地は魔力不足で痩せ衰え、領民の不満は募り、家臣達さえも彼を見限った。 近いうちに遠縁の伯爵家から養子を迎え、侯爵位はライナーの手から離れるだろう。ライナーは蟄居となり外出も許されず、かつてわたくしに強いたように魔力供給だけをする日々を過ごすことになる。
わたくしは領地の割譲を受け領地経営へ乗り出していた。アルフレッドら公爵家の使用人も男爵家へ移り公爵夫人時代と変わらずわたくしを支えてくれている。お世話になったシスターも男爵領の修道院で見守ってくれている。
忙しいながら魔法開発も行っている。最近は魔力を増幅させて土地へ還元する装置へと着手し始めた。これが普及すればわたくしのように爵位を盾に魔力供給をさせられる人は減るはずだ。今後は領地経営にも魔法開発にも力を入れていきたい。
貴族として生きるには領地を守る義務というものがあるのだから。