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100年経っても二人は素敵なカップル!

 終章


 2025年(令和7年)6月、パリ・モンパルナス。


 G&J工業の航空機部門に勤める野村健三は、ジューンブライドで6日前に結婚式を挙げたばかりの妻、理沙とともに新婚旅行でパリを訪れていた。

 本当は健三は南太平洋の島で、のんびりと過ごしたかったのだが、理沙がどうしてもパリに行きたいと言うので仕方なく付き合った。

 健三の勤める会社はもともと、太平洋戦争の敗戦直後にオートバイの小さなメーカーとして始まったものだ。戦後復興の中で着実に成長を続け、その後4輪車製造に進出、今では国際的な自動車メーカーとして確固たる地位を築いている。

 20年前から初代社長の念願だったという航空機の製造を始め、これまでに小型ジェット旅客機のヒット作をいくつか生み出している。

 航空機製造への進出から20年目を迎える今年、満を持して大型旅客機の製造に乗り出したG&J工業は、旅客機を出来るだけ社内技術で作ろうと、機体やエンジンなどパーツに分けて設計の社内コンペを行った。

 30歳の健三はエンジニアとしてはまだ若年ながら、応募した機体のデザインが評価され、新型機に採用されることとなった。

 採用のご褒美に会社から賞金と長期休暇が与えられたため、この機会に長年付き合っていた理沙と結婚し、賞金と長期休暇を新婚旅行に当ててパリにやって来たのだ。

 パリに着いて3日後、市内の観光スポットを1日かけて歩き回った理沙は、夜になると最後にモンパルナスに行きたいと言いだして、疲れ果ててホテルに帰ろうと言う健三を無理やりモンパルナスのパブロ・ピカソ広場まで引っ張ってきた。

 理系で芸術のことなどよくわからない健三は、第二次世界大戦の少し前まで、モンパルナスが文化の発信地だったことは知らない。ただ、昔の作りそのままのレストランやカフェが、激動の20世紀を越えて、今までよく残っているものだと感心していた。

 パブロ・ピカソ広場近くにあるラ・ロトンドという名前のカフェを見つけた理沙は、そこに入ろうと言う。健三もちょうど喉が乾いていたので、ビールが飲みたくて素直に理沙についていった。

 カフェは古いがよく手入れされたきれいな店で、店内にある店舗紹介の真鍮のプレートによると、1920年代から同じ建物で営業しているとのことだった。壁には、かつて常連だった芸術家たちの絵画や写真がたくさん飾ってあり、芸大に通っていた理沙はそれを珍しそうに一つ一つ見ていった。健三はたまらず言う。

「おい、いい加減にしろよ。さっさと座ろうぜ。もう俺、ヘトヘトなんだから」

 理沙は突然、大きな声を上げる。

「あー、健ちゃん! 変わった写真がある! じっくり見たいから、ここに座ろっ!」

 理沙が立ち止まった席に座ると、すぐにウェイターがやって来た。健三は旅行ガイドの付録についていた『すぐ使える! 日常のフランス語会話』という冊子を取り出して、懸命にウェイターにビールを伝えた。

 ようやくウェイターは健三の言うことを理解して、カウンターの奥に消えていく。理沙は心配そうに言った。

「ホントに通じたのかなぁ? 健ちゃんのフランス語、かなり怪しいから」

 そう言いながら、健三の手をたたいた。

「ねえ、見てこの写真。他のと全然違うでしょ。すごくいいと思わない?」

 健三は理沙が指す写真を見た。相当古いもののようだが、額に入って大切に保管されてきたのがわかる。

 写真には絶世の美女と言ってもいい、肩までの長さのブルネットの白人女性と、旧日本海軍の白い詰襟の制服を着た、困惑気味な表情の日本人男性が写っていた。男性の歳は今の健三より少し下ぐらいだろうか。背景から見て、どうやらこの店で撮影されたもののようだった。

 写真の女性は右手でしっかりと男性の左腕を抱き、満面の笑みを浮かべていた。男性は女性とピッタリくっつくのが恥ずかしいのか、口を結んで困った顔をしている。

 だが、よく見ると、困った顔の奥に幸せそうな表情が見えた。2人は正反対のようでありながら、実はとても息の合った恋人同士だということが想像できた。写真の下のほうに撮影者の直筆で『1927.Man Ray』と書かれている。

 目を丸くした理沙は大きな声を上げた。

「これ、マン・レイじゃない! 何でレイが日本人の男の人を撮ってるの!?」

 彼女は大学の頃、写真を勉強しており、アメリカ人写真家のマン・レイは好きな写真家の1人だった。健三はレイなど知らないが、この写真はとてもいい作品だと思った。

「これ撮った人、有名な人なの? 道理でね。俺でもいい写真だと思うもん。昔の日本の軍人の写真って、無表情か勇ましい表情が多いじゃない? でもこの男の人、恥ずかしそうだけど女の人にベタ惚れだよ。女の人もそうだし、この2人、すごくいい感じ。お互いのこと好きなのが、よくわかるよね」

 先ほどまで歩き疲れていたのに健三はこの写真を見て、熱いところを見せつけている写真の2人に負けまいと、理沙を抱きしめたくなってくる。

 その時、流暢な日本語で白髪の老人が声をかけてきた。

「日本の方ですか?」

 テーブルの横に立っていたのは髪の毛が少し薄い白髪の白人の老人で、見た目に70歳をいくつか過ぎた頃かと思われた。だが、若い頃に鍛えていたのか背筋をピンと張り、声も若々しい。老人は隣のテーブルの椅子を引っ張り出して、それに座った。手を上げてウェイターを呼ぶ。

「こちらのお客様にビールを差し上げて」

 健三はあわてて言った。

「いえ、もうさっき頼みました。それより、あなたは?」

 老人はにこやかに笑った。

「私はこの店の主人です。少しばかり日本語ができるのですが、なかなか話す機会がなくて。久しぶりに日本の方らしきお客様をお見かけしたので、つい、うれしくなってしまいまして」

 そんな話をしているうちに、ウェイターが健三と理沙、それに店の主人の分のビールを持って来た。主人はウェイターに「この分は私のおごりだから、つけないように」と言っている。ウェイターは愛想よくうなずいた。

 3人はグラスを合わせると、喉を鳴らしてビールを飲んだ。1日中歩いていた健三と理沙は気持ち良さそうに大きく息を吐く。理沙は主人に向き直った。

「ご主人、この写真、マン・レイですよね? なんでレイがこの写真を撮ったのか、ご存知ですか?」

 主人は写真を見て、うれしそうにうなずいた。

「ええ、知ってますよ。私はこの写真のお2人にずいぶんお世話になったんです。ただし、私が生まれる前に撮られたものだから、写真のことは私も人から聞いた話ですけどね」

 理沙は目を輝かせている。

「ぜひ、聞かせてください」

 少し自慢げに店の主人は胸を張った。

「写真の男性はムッシュ・トードー、女性は昔、“モンパルナスの月”と讃えられたマダム・トードー。お2人は皆さまからジョーにジジと呼ばれていました。1927年、ジョー様がお仕事でパリを訪れてジジ様と出会い、2人は熱い恋に落ちたのです」

 それから店の主人は、丈太郎とジジの波乱に満ちた恋の物語を身振り手振りを交えてドラマチックに語った。今まで何度も人に話してきたようで、慣れた調子で小気味よく進む。

 多少の演出も入っていたかもしれないが、健三と理沙は子供のようにドキドキハラハラしながら話に聞き入り、最後に2人が日本で結婚式を挙げると拍手喝采した。

 熱を入れてしゃべっていた主人は、語り終えてビールで喉の渇きを癒す。

「この話はとても有名で、昔はこの界隈の者は皆、知っていたものです。でも、近頃では住む者が変わってしまい、知っている者はわずかになってしまいました」

 健三は心弾ませてジョーとジジの恋と冒険の物語を聞いていた。だが、2人が結ばれた後のことが気になった。

「ご主人、ジョーとジジは日本で結婚してから、どうなったのでしょう? 1930年代から日本は戦争へ進んでいく時代になります。2人は幸せになれたのでしょうか?」

 主人は少し悲しい顔をした。

「苦労されたようです。時代の波に押し流され、ジョー様は結局海軍を辞めることができませんでした。戦争が始まると、ジジ様は戦闘機の研究所から帰って来れないジョー様の代わりに、ジョー様のお母様とアサクサのご自宅を守っていたそうです。しかし、戦争の終わり頃に激しい空襲に遭い、ジョー様との間に生まれた3人のお子様とともに、お母様を背負って炎の街と化したトーキョーを逃げ回ったと聞いています」

 健三と理沙はやるせなくなった。夢を抱いてやって来た日本でジジは戦争に巻き込まれ、夫のいない間に東京大空襲に遭遇してしまったのだ。

 話を続ける主人の声は次第に明るくなる。

「しかし、お2人は過酷な戦争を生き抜きました。そしてジジ様はお母様と、お2人の幸せの証である3人のお子様を守り抜きました。戦後、ジョー様とジジ様の幸せな日々は再び始まったのです」

 健三も理沙も救われた気分だった。

「1950年代、ジョー様とジジ様は約30年ぶりにパリにお見えになりました。世界中に散らばっていたモンパルナスの仲間たちは、それに合わせてパリに集まり、この店で同窓会のような大宴会が開かれました。まだ先代の下で修行していた若造の私は、その時、初めてお2人にお会いしました」

 主人は遠くを見るような目になった。

「ジジ様はもう50歳を超えていらっしゃいましたが、そんなことが信じられないほど、とても美しい方でした。その頃、ジョー様はオートバイの会社を経営されていたそうで、宴会でムッシュ・ピカソが『ジョー、旅客機のメーカーはどうなった?』とお聞きしました。すると、ジョー様は急に涙ぐみ小さな声でおっしゃいました。『僕は自分の作った飛行機で多くの人を死なせてしまった。もう僕に飛行機を作る資格はない』と」

 理沙は話を聞きながら目を潤ませていた。

「ジョーは本当は戦闘機を作りたくなかったんだ。そんなに自分を責めちゃダメだよ」

 主人は少し微笑んだ。

「ジジ様も同じことをおっしゃって、ジョー様を慰めておられました。すると、ムッシュ・ピカソがおっしゃいました。『やっぱり君は飛行機を作れ。飛行機で世界を結び、遠い国を隣町のようにするんだ。そうすればコミュニケーションが生まれ、人は外国人を理解する。お互いに理解できれば戦争はなくなる。だから、君は飛行機を作るべきだ』とね」

 健三は大きくうなずいた。ピカソとまったくの同意見だった。

「他の皆さまもジョー様に『飛行機を作って戦争をなくしてくれ』とおっしゃるものですから、ジョー様は温かい励ましに感激して大きな声で泣き出して『みんな、ありがとう。僕は今度こそ飛行機で平和な世の中を作ってみせるよ』と言ってくださいました」

 その時、健三はハッとした。

「俺は仕事で飛行機を作っているんです。会社のスローガンは『遠い国を隣町のように結ぶ』なんです。そういえばジョーとジジ・・・・・ジジとジョー・・・・・・G&Jだ! 俺の会社だ! 初代社長の奥さんはフランス人で、すごい美人だったって聞いたことがある!」

 理沙も驚いていた。

「何それ!? ジョーとジジって、あんたの会社の社長と奥さんのことだったの!?」

 店の主人は目を丸くしていた。

「私はジョー様の部下の方とお話していたのですね」

 3人は顔を見合わせると、大きな声で笑った。主人は親しみを込めて健三を見た。

「ムッシュ、あなたは今、どんな飛行機を作っているのですか?」

「大型の旅客機です。世界のどこにでも、速く、安全に、快適に飛んで行ける、すごい奴ですよ。この旅行から帰ったら本格的な準備に入ります」

 主人は微笑む。

「そうですか。ついにジョー様の夢が叶うのですね・・・・・・・」

 理沙は健三と主人、2人に向かって聞いた。

「ねえ、ジョーとジジは今、どうしてるの?」

 健三はあきれ顔になった。

「とっくに亡くなってるよ。生きてれば2人とも100歳をはるかに超えてるんだぜ」

「お2人とも、この近くのモンパルナス墓地で眠ってらっしゃいます。思い出の地で一緒に眠りたいというご遺言で」

 そう言って、主人はいたずらっぽく笑った。

「そう言えば、不思議な話があるんです。パリの郊外にル・ブルージュという飛行場があるのですが」

 物知り顔で健三はうなずいた。

「コンコルドがテスト飛行したところですね」

「そうです。その飛行場で月の明るい夜になると、どこからともなくプロペラ機の音が聞こえてくるそうです。そして、エンジンの音に交じって、若い男女の楽しそうな笑い声が聞こえるのです。レーダーには何も映っていないのに」

 少し怯えた表情で理沙が言う。

「・・・・・・それって、ジョーとジジの幽霊なの?」

 主人は穏やかに笑った。

「幽霊と言えばそうなのかもしれません。でも、考えようによっては、うらやましいと思いませんか? ジョー様とジジ様は若い頃の姿に戻って、今でも空のデートを楽しんでおいでなのですから。出会いから100年近く経った今でも、お2人はとても仲のよい、素敵なカップルなのです」

 月明かりに照らされた表通りを、主人は窓からチラリと見た。

「今夜は月が明るい。きっと素晴らしい記念日になるでしょう・・・・・・」

 ガシャン!

 突然、店の奥にあるカウンターの裏で、何かが割れる音がした。健三と理沙は驚いてそちらを見る。カウンターの中にいるバーテンが、客たちにすまなさそうな顔で「申し訳ありません」と謝っていた。どうやらグラスでも割ったようだ。店内はすぐに落ち着きを取り戻し、健三と理沙はカウンターから視線をもとに戻した。しかし、

「?」

 店の主人はいなかった。それどころか、一緒にビールを飲んでいたはずなのに、テーブルの上には健三と理沙の分のグラスしかない。健三は通りかかったウェイターに、怪しげな片言のフランス語でたずねた。

「・・・・・・あの・・・・・ここにいたご主人は?」

 ウェイターは店の隅にいる50歳ぐらいの男性を指差した。

「いや、あの人じゃなくて、白髪のおじいさんの・・・・・・・」

 ウェイターは肩をすくめる。

「当店の主人はあの男性です。おっしゃっているのは先代のことですか? 先代はかなり前に亡くなりましたが」

「え!? だって、他のウェイターの人もあいさつしてたのに・・・・・・・」

 3人分のビールを持って来たウェイターを探したが、姿は見えなかった。横に立っているウェイターは怪訝な顔をして、思い出したように言う。

「そう言えばお伝えするのを忘れていました。お客さん、日本の方ですよね? でしたら、最初のビールはお代をいただきません。毎年、この日に来店された、恋人と一緒の日本の方には当店からビールを一杯おごることになっているんです。先代が決めたことで、何でも、昔お世話になった日本人のお得意様への感謝の気持ちだとか」

 そう言ってウェイターはカウンターの奥に戻って行った。健三と理沙は顔を見合わせた。2人とも、まさに“狐につつまれたような顔”をしている。

 健三はもう1度、壁にかけてある丈太郎とジジの写真を見た。相変わらず2人はとても仲が良い。何となく、丈太郎が語りかけているような気がした。

 ―飛行機は任せたよ。君なら絶対うまくいく。だって、君には僕のジジに負けないくらい素敵な奥さんがいるから―

 健三と理沙は上空から降って来るプロペラ機の音を聞いた。

 98年前のこの日は、丈太郎とジジが『マリアンヌ』で出会った記念すべき日だ。パリの夜空で2人は記念日のお祝いをしているのかもしれない。


今回を持って、この物語は完結とさせていただきます。

古典的な内容で、スピード感や”ひねり”を求める方はお好みでないかもしれませんが、『インディジョーンズ』のようなものだと思ってください。

最後に、これまで読んでいただき、ありがとうございます。

次はまったく違うタイプの作品を書きたいと思っております。

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