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飛行機オタク、花の都パリに現る!

昭和の時代にたくさんあった、古典的な冒険&恋愛小説が読みたくて書きました。

今風のひねりはありませんが、軽く読んでいただけたら幸いです。

 序章


 1927(昭和2年)6月、フランス・パリ郊外の上空。


 降り注ぐ太陽の光を間近に受けて、鈍く輝くブリティッシュグリーンのスーパーマリンS4は、フレンチブルーのポテ25を執拗に追い回していた。

 英仏2機の戦闘機は先ほどからテール・トゥー・ノーズの激しい空中戦を繰り広げているが、状況はパワーに優るスーパーマリンの方が圧倒的に有利だった。

 ポテがかろうじてスーパーマリンの突進をかわしても、スーパーマリンはすぐに体勢を立て直して向かってくる。ポテはそんな猛攻から逃げるのに精一杯だ。

 地上で見ていたフランス人整備兵たちはフランスの戦闘機、ポテに誇りを持っているものの、その敗北を時間の問題と見ていた。

 だが、コックピットでポテを操る藤堂丈太郎は負けるとは思っていない。今までのドッグファイトでイギリスが誇る高速戦闘機、スーパーマリンS4の挙動特性を見切っている。

 ―次が勝負だ。ジャン=ピエール、見てろよ―

 スーパーマリンはパワーを生かしてポテとすさまじい速度で交差した後、機体を鋭くひねって急旋回し、あっという間にポテの後方につけた。スーパーマリンのパイロット、ジャン=ピエール・デュマ大尉はポテの後姿を照準器の中に捉え、照準器の黒い十字の交差線にポテが来るよう、慎重に操縦桿を合わせた。そして、操縦桿の最上部にある機関銃の発射ボタンに親指をかける。

 ―ジョータロー覚悟しろ!―

 あとわずかで照準器の中心にポテを捉えようとした、その時だった。ポテは一気にエンジンパワーを最大限に上げて、突如、右斜め上方に急上昇する。完全に射撃態勢に入っていたスーパーマリンは意表を突かれ、今までポテがいた空間を虚しく通過した。

 丈太郎は操縦桿を手前に引きながら右のラダーペダルをいっぱいに踏み、機体が完全に上を向いたところで、今度はスロットルレバーを押して急激にパワーダウンする。いきなり失速したポテは最小回転半径でくるりと機首を下に向け、スーパーマリン目がけて急降下した。そして、パワーを上げながらその後ろにピタリとつける。

 ―しまった! 後ろを取られた!―

 ジャン=ピエールは速度を上げて逃げようとするが、ポテはスーパーマリンのテールに食らいついて離れない。

 丈太郎は照準器に目を当てながら、十字の中心をスーパーマリンの尾翼に持っていった。そして、完璧なタイミングで操縦桿の上についた機関銃の発射ボタンを押した。


 スーパーマリンとポテは並んでル・ブルージュ飛行場の滑走路に下りてきた。まるで2羽の鳥が青空から舞い降りるようだった。軽やかに着陸した2機は青々とした芝生が敷かれた駐機場にゆっくり進み、整備兵が誘導するスペースに静かに停止した。ジャン=ピエールはシートベルトを外してスーパーマリンから飛び降りる。そして、同じようにポテから降りてきた丈太郎に駆け寄った。

「くそっ! また負けかよ! まったく、飛行機の操縦だけはジョータローに敵わないな」

 丈太郎は「当然だ」と言わんばかりの、少し誇らしげな笑顔で返す。

「どの飛行機も、いいところもあれば悪いところもある。スーパーマリンのSシリーズは、もともとレース用に設計されているから、パワーがあって直進性に優れている。でも、旋回性はそれほどでもないんだ。それに比べてポテのパワー不足はひどい。でも、それを補って頑丈でよく曲がる。そんな両機の特徴を考えたら、おのずと戦い方は決まってくるもんだよ」

 そして、模擬とはいえ空中戦を終えたばかりとは思えない穏やかな顔になった。

「どんなにひどい奴にでも、いいところはあるもんさ。要は、飛行機を信じてあげなきゃね」

 ジャン=ピエールは肩をすくめて両手を広げた。

「お前はドッグファイトをしながら、そんなことを考える余裕があるのか? もういい。完全に俺の負けだ。面白くないから、今日の仕事は終わりにしようぜ。早いとこ飛行服を脱いで、また今日もモンパルナスに行こう。今夜は今、パリで一番流行ってる面白い店に連れて行ってやるよ」

 ジャン=ピエールは飛行帽を脱ぎ、金色の髪をなびかせながら丈太郎にウインクした。丈太郎も白い歯を見せてうなずく。

 ジャン=ピエールはパリの中でも多くの芸術家が集まり、ファッションも音楽も物の考え方も、何もかもが斬新なモンパルナスの街が大のお気に入りだ。丈太郎もパリに来て一番好きになった街は、常に陽気でアカデミックな雰囲気が漂うモンパルナスだった。

 ジャン=ピエールは丈太郎の肩を叩いてスラリと背の高い体を反転させて、先に立って滑走路の端にある管制事務所に向かって歩き出した。丈太郎は早歩きで追いかける。

「そんなに速く歩くなよ。僕と君とじゃ脚の長さが違うんだ」

 歩きながらジャン=ピエールは安心したような顔で振り返った。

「それそれ。飛行機を降りてからの、その頼りなさそうな顔でないと、お前らしくないよ。そんなお前と一緒にいるから、俺は頼りがいのある魅力的な男に見えるんだ」

「僕は君の引き立て役か!」

「そんなこと言うなよ。モンパルナスでナンパが成功したら、お前にもちゃんと相手を用意してやるから」

「まったく・・・・・」

 そして、ジャン=ピエールを横目で見ながら小声で言う。

「頼んだからな・・・・・」

 丈太郎は飛行機に乗っている時こそ無敵のパイロットだが、降りてしまえば気弱そうに見える若者で、とても海軍士官には見えない。脚が長く端正な顔立ちのジャン=ピエールに比べて、見た目は明らかに劣っていた。

 彼が優れているのは航空機の知識や技術のことだけで、それ以外は何も知らない“飛行機バカ”であった。遊びの要領やセンス、仕草の洗練度では、丈太郎とジャン=ピエールの優位は上空と完全に逆転していた。



 1903年にライト兄弟の飛行機が初めて空を飛んでから、航空機は急速な進歩を遂げていた。世界大戦では新兵器として登場し、偵察、輸送、攻撃など、さまざまな任務に使われている。

 この戦争で激しい空の戦いを経験した各国は航空機の重要性を認め、陸海軍の補助ではなく、独立した部隊として航空隊を置いていた。イギリスやイタリアでは陸海軍と同等の立場にある空軍も設立されている。

 この情勢に遅ればせながら日本でも、軍の内部で航空機の本格的な運用が叫ばれるようになり、陸海軍は個別に航空隊の整備を急いだ。そして海軍は1927年4月、ついに航空部隊を艦政本部から独立させて、日本海軍航空隊本部が誕生したのだった。

 しかし、誕生したといっても日本の航空隊はまだヨチヨチ歩きだ。

 1921年にようやく海軍機としての国産第1号機を完成させたばかりの航空隊本部は、自らの知識不足、経験不足を謙虚に受け止めた。そこで、本部設立と同時に欧米に調査官を派遣して、日本より進んだ軍用機の運用方法を視察させた。

 日本海軍の視察の主眼は、航空機先進国であり、強力な海軍国であるイギリスとアメリカに置かれた。そして、陸軍中心の国防で、海の守りと航空機を深く結び付けてはいないフランスは重視されなかった。

 帝国海軍はイギリス海軍を手本として作られたため、航空機に詳しくてフランス語やフランスの情勢に明るい者が少なかったという事情もある。

 そんな中でフランスに派遣されたのが、28歳の海軍大尉、藤堂丈太郎だった。大尉と言っても彼は機体の開発に関わる時間が長く、戦闘員と言うよりエンジニアに近い。

 丈太郎はフランス向けの適当な人材がいなかったことと、テストパイロットとして優れた技術を持っていたため抜擢されたのだ。航空隊本部は調査官として丈太郎の派遣を決めると、受け入れるフランス側の都合により、航空隊本部の設立より前にフランスに送り出した。


 客船で横浜を出港した丈太郎は太平洋、インド洋を通過し、スエズ運河から地中海に入ると、地中海を横断してマルセイユに上陸、陸路でパリに到着した。フランス駐在海軍武官の古賀峯一大佐(後の連合艦隊司令長官)は軍人らしからぬ温和な紳士で、1人で異国にやってきた丈太郎に何かと気を使ってくれた。

 そんな古賀大佐に見守られながら、丈太郎はフランス陸軍航空隊が付けてくれた案内役のジャン=ピエール・デュマ大尉とともに2ヶ月をかけて、パリの防空体制、大西洋岸、地中海岸、ドイツやベルギー国境など、フランス中の防空・航空機運用体制を細かく視察した。

 その間、ずっと同行していたデュマ大尉とすっかり打ち解けて、彼が自分と同い年ということもあって、外国の調査官と地元の案内役から、「ジャン=ピエール」「ジョータロー」と呼び合う友人になっている。

 6月の下旬となった今、丈太郎はフランス各地の視察を終了し、凱旋門から延びたオッシュ大通り沿いにある日本大使館で、2ヶ月かけて集めた膨大な資料をもとに報告書の下書きに入っている。

 もし調査の見落としがあっても下書きをすれば見落としに気づき、パリにいる間であれば不足情報の調達ができるからだ。日本に帰って調べ忘れに気づいたでは冗談にもならない。

 そして、報告書の作成に疲れたらジャン=ピエールに頼んで、パリ北東の郊外にあるル・ブルージュ飛行場でたびたび飛行機に乗せてもらっている。

 この飛行場は軍と民間が半々で使っているもので、この年の5月にはアメリカ人パイロットのチャールズ・リンドバーグがニューヨークから大西洋を横断して着陸したところだ。ル・ブルージュに着陸する前にリンドバーグが愛機に向かって叫んだ「翼よ、あれがパリの灯だ!」という言葉は世界的に有名になった。

 民間機も利用しているル・ブルージュは、パリに近いということで首都防空体制の一翼も担っている。それに基地というだけでなく、ここには新型航空機開発の研究施設の一部が置かれていた。

 そのため、研究材料として各国の戦闘機、偵察機、爆撃機がズラリと揃えてあり、よく研究者やテストパイロットが機体やエンジンの実験にやって来る。

 イギリスのスーパーマリン、ホーカー、フェアリー、アメリカのカーチス、ダグラス、イタリアのマッキ、フィアット・・・・・・航空エンジニア並みの丈太郎にとって、まさに涎が出るような場所だった。

 しかも、機体の運動性能テストが許されているので、機関銃に実弾が入っていないだけの、模擬空中戦まで試すことができた。

 最初こそフランスの習慣に戸惑ったものの、仕事は順調に進み、世界各国の飛行機に乗ることもでき、しかもフランスの航空隊に友達まで作ることができた今回の旅に、丈太郎はとても満足していた。

 だが、丈太郎が満足しているのは仕事や友人のことばかりではない。1920年代、世界で一番輝いている街、パリに住んでいること自体を今まで、飛行機にしか興味がなかった“飛行機オタク”の藤堂丈太郎は満喫していた。


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