ハルさんとシッシーの大晦日の約束
家紋武範様主催「約束企画」の作品です。
ハルさんとシッシーの大晦日の約束
南天と千両の赤い実を、生け花に添えて飾り終えると、ハルさんはこれでよしとひとりうなずきました。
明後日はいよいよお正月。明日の大晦日には、都会で暮らす息子一家が帰る予定で、ハルさんは、はりきっておせちの材料を買い込み、おもちもたくさんつき、大掃除も念入りにやりました。あとは息子たちの帰りを待つのみです。
「シッシーも一緒にお正月できたらいいのにね」」
山に住むイノシシの友だち、シッシーは、残念な気持ちがばれないように、平気そうなそぶりで答えました。
「ハルさん、正月は、山の動物たちが集まって、新年会とかやるんだぜ。だから気にするなって。おいら、お客さんが引き上げた頃にやってくるからさ、ちゃんとごちそう残しておいてくれよな」
そう言い残し、山に戻っていったシッシーでしたが、そのあと間もなくして、息子からハルさんに連絡が入ったのです。なんと家族そろってインフルエンザにかかってしまったとのこと。言わずもがな、お正月の帰省は無理のようです。
はあっ。居間にへたりと座り込むと、ハルさんは大きなため息をひとつつきました。
「仕方ないよ。こういう年だってある。また来年帰って来てくれたらいいんだものね」
がっかりした気持ちを奮い起こすように、ハルさんは何度も自分に言い聞かせました。
そして、急に何かを思い出したように、携帯電話をとりました。
「もしもし。明日の大晦日会、まだ参加が間に合いますか?」
大晦日会とは、村の一人暮らしのお年寄りのために、除夜の鐘を聞きながら、みんなでいっしょに過ごそうという、地区の役員さんの配慮で始まった行事です。この村に住んでいる人たちの中には、ひとりきりでお正月を迎える人も少なくないのでした。
さて、大晦日会に参加したハルさん、顔見知りの方たちとおしゃべりをしたり、紅白歌合戦のテレビや、手品や踊りを見たり楽しく過ごしました。そしてまもなく除夜の鐘が鳴りだすというころに、いい香りが漂ってきました。世話係の方たちがあつあつの豚汁をふるまってくれるそうなのです。
ほどよく煮えた里芋やごぼう、大根などといっしょに食べやすいように切ってくれた豚肉が見え隠れしています。豚汁は味付けも申し分なく、ハルさんの身体を温めてくれました。
「おいしいねえ。この豚汁は。肉も脂っこくなくていいねえ」
やわらかな肉に舌鼓をうつハルさんに、世話係のおじさんが声をかけました。
「ハルさん、シシ汁、気に入ってくれたかね。年越しそばもいいけど、今日、大きなイノシシをしとめたもんでね、新鮮なうちにぜひともごちそうしたくてさ」
「えっ?」
ハルさんの手から、思わずポトリと箸が転がり落ちました。身体じゅうから血の気がどんどんひいていくのがわかります。シッシーとは一昨日から会っていません。仕留められたイノシシがもし、シッシーだったとしたら、この肉はもしかして、もしかして……。
「どうしたね?ハルさん」
急に立ち上がったハルさんを、みんなは不思議そうに見つめました。
「悪いけど……ちょっと大事な用事を思い出したから先に帰りますね」
そして、ハルさんは、後ろで呼び止められるのも聞かず、外に飛び出したのでした。
公民館から百メートルくらい走ったところで、ハルさんはふと、靴もはかずに飛び出してきたことに気づきました。
「シッシーを食べてしまったかもしれないんだ」
心臓がばくばくと音をたて、くらくらとめまいがしてきました。しばらく歩いたところで、ハルさんは思わずしゃがみこみました。空を見上げると、鋭い三日月が冷たい光を放っています。
ゴーン。お寺の方から除夜の鐘の音が聞こえてきます。
「シッシー、ごめん。本当にごめん」
うなだれたまま、あやまりつづけるハルさんの声は、だんだんと涙声に変わっていきました。
そのときです。向こうのほうから近づいてくる何者かの足音とともに、暗闇の中から、ぬうとイノシシの顔があらわれたのです。
「どうしたい? ハルさん」
「シッシー!」
ハルさんは、思いきりシッシーの首にしがみつきました。
「生きてたんだね。ああ……よかった!」
「いったいぜんたい、どうしたい? 家はまっくらだし、だれもいないし。靴もはかないでハルさん、どこに行ってたんだ?」
ハルさんはただ、ただシッシーにしがみついて、うれし涙をこぼすばかりです。
「お腹痛いのか?もしかして、おいらたちの仲間の肉を食べたのか?」
シッシーはお正月に一緒に過ごすはずだった仲間が猟師の手にかかってしまったと話しました。
「あたしはさ、豚汁とまちがえて、こともあろうに、それを喜んで食べてしまったんだよ。もしかしたら、シッシーだったかもしれないのに」
シッシーはしばらく無言でしたが、不意にこう言ったのです。
「ハルさん、おいらはさ、もしそういうことになってしまったら、全部ハルさんに食ってほしい」
ハルさんは驚いてシッシーを見つめました。
シッシーもハルさんを見つめ返しました。
「おいらの肉はさ、ハルさんの栄養たっぷりの飯で作られてるから特別上手いと思うし、ハルさん以外のだれにもぜったい食わせたくないんだ。だから、なっ、ハルさん、約束してくれよ。そしてうまいうまいってぜーんぶたいらげてくれよ」
ゴーン。ひときわ大きく鐘の音が響きます。
ハルさんはうなずきました。
「わかった。よくわかった。約束するよ。他のだれにもやるもんかね。シッシーの肉はあたしだけのものさ。骨の髄までしゃぶりまくるよ」
「ひえっ! 骨までしゃぶりつくすのか。まるで山姥だな」
シッシーは真顔になって走り出しました。
「ハルさん、たのむから新年早々、おいらをおせちにだけはしないでくれよな」
「あたりまえだよ。さあ、お正月だよ。シッシーと二人のお正月さ。たくさん食べて飲んで、楽しくやろうね」
「やったあ! おいら、ハルさんと一緒に正月が迎えられるんだ。やったやった!」
はしゃぎまわるシッシーと、はだしのままのハルさんは、仲良く連れ立って家路に向かいました。
除夜の鐘の音はまだまだ鳴り響いていました。