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『レッド・バロン』ことマンフレート=フォン=リヒトホーフェンは、異世界転生して飛竜を駆る

作者: 成井シル

 マンフレート=フォン=リヒトホーフェン――通称『レッド・バロン』。1892年生まれ。

 第一次世界大戦において最高撃墜機記録<80>を叩き出した、ドイツ軍のエース・パイロット。その異名は、乗機を鮮紅色に塗装していたことに因る。

 1918年4月21日、オーストラリア軍の対空砲火、もしくはイギリス軍戦闘機によって撃墜された。この偉大なパイロットは、両軍から敬意をもって盛大に葬られたという。


……

…………

………………


「敵襲ッ! 敵襲ッ! 田園都市カイムの西上空に敵性飛竜部隊を確認ッ!! 数、多数ッ!!」

「威力偵察――いや、この数は大規模攻勢だ。クソッ、緊急発進スクランブルだ!! 離陸急がせろッ!!」

「駄目です! 飛べる飛竜が――残っていませんッ……!」

「そんな――司令、どうしたら……」


 『司令』と呼ばれた男は、ゆっくりと目を閉じたまま、黙ってしまった。苦渋に満ちた表情は、歴戦の勇士を思わせる皺をさらに深くした。

 堅苦しい軍服はあちこちがほつれ、これまでの闘いの日々がいかに激しいものだったかを物語っている。白いものが目立つ髪も、元々は短く整えられていたのに、野暮ったく伸びてしまっている。

 山をくり抜き、鉄板を貼り付けて造られた飛竜部隊特別基地は、絶望感に包まれた。もっとも、特別基地とは言っても、元々は飛竜の生体について調べるための穏やかな研究施設である。対空設備も何もないここが狙われれば、ひとたまりもない。ずっと奥まで続く無機質なトンネルが、しんと静まり返るのも無理はなかった。


「『騒音レルム』どもめ――」


 レルム――人の形をしながらにして人にあらざる存在。その名は『騒音』を意味し、彼らは常にガチャガチャガチャガチャと、不快かつ喧しい音を立てて生き続ける。歩く、話す、息をする――ありとあらゆる動作が、耳をつんざく音を伴う。大陸北方に広がるくらい大地『アブグルンド』に住む彼らは、人類の歴史の中で絶え間なく敵対者であり、災害だった。

 石の投げ合い、剣と盾、騎馬と槍、火薬と筒――発展を遂げ続けた戦争は、やがて、飛竜を駆って戦う空へと広がった。上空からの攻撃に対して地上からなす術はなく、人類と騒音レルムとの戦いは「いかにして制空権を手中に収めるか」になっていた。

 だが、大戦早期に空戦のための飛竜操作技術を確立させた騒音レルムに、人類は苦戦を強いられた。瞬く間に大陸のほとんどを掌握され、ついには首都ケルンが陥落。急造の飛竜大隊を任されていたオレアンドは、敗軍の将と謗られながら辺境のヴルツェル地方へ潜伏した。

 絶望と自己陶酔に浸っていたわけではない。

 態勢を立て直し、反撃の機会を窺っていた。

 だが、ついにその機は訪れなかった。

 山岳基地では山の裏に生息する飛竜を捉えて二個小隊が急造されてはいたが、先日威力偵察に飛来した敵性航空戦力一騎を相手に、四騎は撃墜され、乗員も死亡していた。

 もう一小隊は、飛竜操作技術が稚拙過ぎて、離陸すらままならない状態だ。

 打つ手が失われていることを悟ったオレアンドは、大事に取っておいた最後の煙草に火を点けた。


「忌々しい……我ら人類の歴史に立ちはだかり続けた人外に、いよいよ膝を屈さねばならんのか」


 武骨な指令室から、狭い空を見る。

 この空の向こうに、自分が心から愛した都ケルンがある。

 いや――あった、というべきか。

 向こう半世紀はかかるとされていた飛竜操作技術を、騒音レルムが先に確立させ、圧倒的な航空戦力で大規模攻勢に出てきたのは半年前のことだ。

 練度の低い、戦力とも言えないような飛竜部隊が次々と造られ、飛び立ち、帰ってこなかった。

 人類は地上部隊も含めてあっという間に瓦解し、境界線は立ち消え、境目に近い街から次々と蹂躙されていった。

 ケルンに残してきた妻子も、もはや生きてはいないだろう。

 再起を誓い、辺境に逃れ、部隊再編に尽力してきたが、どうやら間に合わなかったようだ。


「あれ?」


 通信担当者が緊張感のない声を出した。

 普段ならば一喝するところだが、この期に及んで叱責したとして何になろう。オレアンドは何も言わず、視線だけを彼に送った。


「飛竜が一騎、西に向かっています……」

「なんだと?」


 眉を顰めながら、オレアンドは通信兵が操作する水晶モニターに近付いた。確かに、表示されている画面には、友軍を示す青いマークがひとつだけ光っている。そしてそれは、高速で西の空――敵軍の赤いマークで埋め尽くされた所へ一直線に向かっている。


「どういうことだ」

「わ、分かりません。しかも、この魔力信号の波長は――ロト種です」


 オレアンドは耳を疑った。

 飛竜は、その色によって操作の難しさが顕著に分かれる。

 中でも最も扱いが難しいとされるのが『赤』だ。

 多種多様な攻撃を繰り出すことが出来、高度、速度、持続力すべてにおいて他を圧倒する飛竜でありながら、気位の高さ、気性の荒さによって戦線投入は断念されてきた。

 研究者の中には、「あれは天災と同じだから」と初めから操作対象から外す者もいるほどだ。

 飛竜大隊を預かって何度かはロト種の運用方法について探ったことはあったが、諦めざるを得なかったというのが実情だ。

 混乱しそうになる頭のまま、オレアンドは画面を凝視した。

 通信兵も、また、彼らの様子の異変に気付いた者達も、みなが指令室の小さなモニターに額を集めた。


「……接敵するぞ」


 誰かが言った。

 それからしばらくは、誰も何も言わなかった。

 全員が、ただ、画面に表示される赤いマークがひとつ、またひとつと消えていくのを見ていた。

 大きかった赤い塊は、あっという間に二つに分かれた。その内の一つの小さくなった塊も、すぐにいくつかの点の集まりになって、やがて消えてしまった。もう半分が散り散りになっていく様は、誰の目にも、恐慌によって離散しているようにしか見えなかった。


「全滅――したの?」


 三十分も経たない内に、画面は味方のマークひとつだけになった。それはぐるぐると西の空を旋回し、あたかも打ち損じた相手がいないかを見定めているようだ。


「――勝ったんだ!!」


 誰かが言った。そして、誰かが歓喜の声を上げ、また誰かが歔欷の叫びを上げた。

 すすり泣きを耳にしながら、オレアンドだけは冷静に画面を観察し続ける。


 こいつはいったい何者だ?


 誰にも制御することは出来ないと研究者たちが匙を投げた『赤種』を駆り、おそらく50はいたであろう騒音レルムの航空戦力を全滅せしめた。

 いったい、どこから現れた。

 そして、これからどこへ帰る。

 だが、人類の味方であることは間違いない。

 もしかすれば、万に一つの希望の光、救国の英雄と成り得る存在かもしれん。


「こちらへ向かっている」


 オレアンドの言葉が、場に静寂をもたらした。

 固唾を呑む、という動作をその場のほとんどの者がした。

 ピッ、ピッ――青いマークが、ゆっくりと、直線的に山岳部へ向かってくる。


「――あれだッ!」


 枠で囲われた空に、一点の影が見えた。

 それは高速で山肌に近付き、その姿を一瞬だけ見せた。


「紅い――!」

「速い――!」


 一筋の鮮やかな紅色。

 これまでに見てきた竜は、背面の鱗が青や緑、あるいは黒といった色だったが、今の竜は全身が真っ赤だった。

 強烈に網膜に焼き付いて、青空に赤い線が残る。

 姿が見えなくなって、遅れた音が山間に響く。

 画面を見ると、それは山を穿って造られた基地を飛び越え、その先の谷へと進み、次第に高度を下げていった。


「この山の裏にあるのは、たしか――……ツヴィーベル村、といったか」

「はい。周辺に飛竜の生息地があり、彼らの糞尿や鱗などを採取して生活に利用しています」

「赤種もいるのか?」

「それは――分かりかねます」


 慌てて俯いた通信兵から視線を外し、オレアンドは自らの副官に言葉を紡いだ。


「西に兵を出し、戦闘の跡を確認させよ。街の損害状況もだ」

「オレアンド様は?」

「私はこの、『赤いの』の正体を確かめてくる」


 さらにいくつかの指示を出した上で、オレアンドは単身馬を駆り、谷へ向かった。牧歌的な村に、ぞろぞろと兵を連れて行くわけにはいくまい。遣いを出せばそれでよいのかもしれないが、ただ、直感として、自分がこの目で確かめなければならないような気がしていた。

 道の舗装は雑になり、それもやがてなくなった。一時間程進んで、オレアンドの目にちらほらと立ち並ぶ小さな家々が見えてきた。


 ――見つけた。


 村の中央広場らしい、鐘楼を備えた小さな石塔のすぐ傍に、さっきの真っ赤な飛竜が佇んでいる。竜はどれも一軒家ほどの大きさだが、翼を広げればもっと大きい。この巨体で自由自在に空を駆け回り、竜族の持つ不思議な力で雷撃や炎、光る矢を放つというのだから、人の身で敵うはずもない。

 真紅の巨体は、恐ろしくも美しかった。

 見とれながら、この赤き巨獣を繰っていたのは誰なのかと視線を動かす。

 さて――とあたりを見渡してみても、目に入るのはただ独りだ。

 まさか、あの人物か。

 オレアンドの目に留まっていたのは、赤竜の足元にポツンと立つ一人の少年――いや、少女だった。子供といって差し支えない容貌。顔立ちは整っているが、あどけない。隣に鎮座する竜の鱗よろしく、髪は燃えるように赤い。その髪が肩に届かないほどの高さのために、先程は、一瞬少年と見まがったのだ。


「その飛竜を操っていたのは、君かね」

「はい、閣下」


 オレアンドは我知らず、直立の姿勢を正し、踵をつけていた。

 それを見てか、彼女もまた、両方の踵をぴったりとつけ、右手を胸に当てた美しい姿勢をとった。一般的な敬礼とは違うものの、彼女が敬意を表するためにそうしていることは明白だった。だが、堂々たる振る舞いとは裏腹に、彼女の表情はどこか自信なさげで不安げだ。


「民を救った獅子奮迅の働きに、心からの賞賛と感謝を送りたい。だが、ひとつ教えて欲しい」


 少女は姿勢を崩さない。


「君は、何者かね? 我々人類の飛竜操作技術は、まだ拙い。騒音レルムどもに一日の長があるのは明白な事実だ。ところが君は、誰にも御せないと言われ続けた赤種を巧みに駆り、単身、西の空を騒がせていた連中を滅ぼした」


 自分の口から出る言葉が、まるでおとぎ話のようだとオレアンドは内心で苦笑した。だが、紛れもなく、一時間ほど前に起きた事実なのだ。

 彼女は髪と同じ色の瞳で、目の前の初老の軍人を見据えた。そして、意を決したようにゆっくり口を開いた。


「私は、エリカ。エリカ=エア=レーザです。何者と言われても、ただの農家の娘――だと思うんですけれど」


 一瞬言い淀んで、少女はまた口を次いだ。


「西の空から騒音レルムが迫っているのが見えたときに、行かなくちゃと思って――気が付いたら、この子に跨って飛んでいました。空の飛び方も敵の撃ち方も、ずっと前から知っているみたいに、自然に出来たんです」


 谷間を、一陣の風が吹き抜けていった。竜の鱗よりも、長く伸ばされた髪よりも、もっと深みのある赤い瞳で、エリカはオレアンドを見据えた。

 オレアンドは、後に救国の英雄と讃えられることになる『赤い悪魔』との出会いを、後にこう述懐している。


「彼女は一見、年端もゆかぬただの少女だった。だが、私は感じていた。いくつもの修羅場をくぐり抜け、生死の際を飛び越えた者だけが持つ、独特の緊張感と殺気、そして余裕。それらが、彼女の内に確実にあった。私の方が三倍ほども年上だったというのに、私は彼女に敬礼せずにはいられなかった。傍から見れば、大体を任されたいい年の軍人が、どう見ても村娘にしか見えない彼女に敬礼を送るなど、滑稽だったことだろう。だが、実際、彼女に対する敬礼は、私だけでなくすべての市民が喜んで捧げるようになっていったのだから、あの時の私の対応は何一つ間違っていなかったと言える」


 異なる世界で赤い翼を駆り、撃墜王エースの名を欲しいままにした『レッド・バロン』マンフレート=フォン=リヒトホーフェン。

 彼の新たな人生は、エリカ=エア=レーザに名と性別を変えてなお、遥か広がる空に続いていた。

 需要があったら連載したいけど、『ファンタジー×ドッグファイト』はちょっとマニアックだよなぁ――という読み切り短編でした。ブックマークがあったら、次の連載候補にするかも、しないかも。

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