馴れ初めは、彼が私のお弁当を奪って食べたから
中学校生活最後の秋の運動会。午前の演目は滞りなく終わった。
嫌だなあ。いよいよ昼食の時間だ。私は、憂鬱な気持ちをクラスメイトに悟られないように、精一杯平然を装い、みんなと一緒に教室に戻る。
私の通う中学校は、運動会当日の昼食は、学校給食ではなく、保護者がつくったお弁当を、生徒のみで教室で食べるのが通例だ。その昔は、昼休憩になると、生徒とその保護者が、運動場にレジャーシートを敷いて、一緒にお弁当を食べていたらしい。でも、私が中学生になった時には、既に今の習慣が定着をしていた。
これは、昨今は様々な事情で子供の運動会を観覧に来れない保護者が多いので、そういった家庭に対する配慮とのことらしい。いやいや、だったら、運動会の日も給食にすればよくない? 分かってないなあ。こういう中途半端な配慮が、家庭の格差を、より明るみに晒すことになるのになあ。
教室に戻ると、クラスメイトが、体操服のまま自席に座り、保護者の作ったお弁当を一斉に机の上に広げ始める。新型コロナウイルス対策として、机と机を合わせてワイワイガヤガヤと会食するのは禁止。生徒一同、各自の机での黙食が原則だ。
白、黒、茶色、赤、黄、緑、色とりどりの可愛らしいお弁当を食べる女子たちを横目に、私は、自分のお弁当を、ナップサックから出し渋っていた。
だって、私の弁当、コンビニ弁当だからね!
しかも、パッケージに「ガッツリ海苔弁当」ってデカデカと明記してあるからね!
彩りは、茶と黒の二色、紛うことなきガテン系弁当だからね!
うちは、母子家庭。昨年、両親が離婚をした。パパと別れてから夜のお仕事を始めたママは、毎日夕方になるとお店に出勤をして、翌日の明け方に家に帰って来る。
「マリコ。今日は運動会だったわね。ママ、応援に行ってあげられなくてゴメンね。ほら、お弁当を買っておいたから、これ、持って行ってね」
今朝も、香水とお酒のニオイをプンプンさせて帰宅したママは、寝起きの私にコンビニの弁当を手渡すと、風呂にも入らずに、さっさとベッドに潜り込んでしまった。ねえ、ママ、私ね、本当は、ママに言いたいことがたくさんあるんだよ。でも、女手ひとつで私を育ててくれるママを困らせたくないから、どうしても口ごもってしまうの。
半開きのナップサックの口元から覗くコンビニの弁当を見詰めて考え込む。どうしよう、たまらなく恥ずかしい。買ってくれたママには申し訳ないけれど、このお弁当をクラスメイトの前で広げて食べる度胸が自分にはない。こんなお弁当、絶対みんなに笑われちゃうよ。
「お~い、菊池。菊池マリコ」
その時、隣の席の、落合リョータが、ヒソヒソと私に話しかけてきた。
「な、なによ、落合リョータ」
落合リョータ。こいつは、私の保育園からの幼馴染。どういうわけか小学校中学校と、ずっと同じクラス。事あるごとに私にちょっかいをかけてくる、ちょー面倒くさい男子。
「なあ、菊池マリコ。君がさっきからじっと見ている弁当だけど。それって、ひょっとしてSマートのガッツリ海苔弁当じゃね?」
「……そうよ。悪い? 落合リョータ」
しまった。一番ばれたくないヤツに、ばれてしまった。私は、反射的にナップサックの口元を両手で隠した。
「何も悪くはないさ。て言うか、菊池マリコ。知っているかい? 俺って、海苔弁当が大好物なんだぜ」
「知らねーよ。落合リョータ」
「ならば今こそ知れ。そして、生涯忘れるな。俺様は、海苔弁当をこよなく愛する男なのだ。さあ、そこで、菊池マリコ、折り入って君にお願いがある」
「お願い?」
「頼む。俺の弁当と、君の弁当を交換してくれねえか?」
「……え?」
「俺、中一の妹がいるじゃん? んで、俺の母ちゃんときたら、妹の好みにあわせた弁当ばかりをつくりやがる。ほら、見てくれよ、俺の弁当。なんちゅう~の? カラフルで、女子っぽくて、恥ずかしいったらありゃしねえ。こんな乙女チックな弁当。クラスメイトの前で広げられねえよ。な。頼むよ。菊池マリコ。俺の弁当を、君の弁当と交換してくれ。お願い。この通り」
落合リョータは、隠し持っていた自分の弁当の中身をチラリと見せ、私に両手を合わせた。赤ウインナー、ミートボール、ピンクのカマボコ、サクランボ、ご飯に満遍なくふりかけられた食紅。なるほど、確かに乙女チックなお弁当だわ。
「まあ、あんたが、そこまで望むなら、考えてやってもいいけど……」
「よし、交渉成立だ。ありがとう、菊池マリコ、恩に着るぜ。ただし、このことは二人だけの秘密だ。誰にも言うんじゃねえぞ」
そう言うや否や、落合リョータは、私の机に自分の弁当を置き、私のナップサックから、半ば強引にコンビニ弁当を奪うと、割り箸を割り、湿気た海苔の張り付いたおかかご飯をムシャムシャと頬張り始めた。
15歳の今日まで感じたことのない不思議な微熱が、私を支配している。胸の鼓動が、不規則なビートで鳴っている。
「ねえ、落合リョータ」
「ん? 何だ? 菊池マリコ」
「……優しいのね」
彼は聞こえないふりをした。絶対に聞こえているはずなのに。
「おい、みんな、見ろよ! リョータの弁当、コンビニの弁当だぜ! 恥ずい!」
「ぎゃはは、マジかよ! ちょーウケる! お前の母ちゃん、弁当もつくってくれねえのかよ!」
タルタルソースがこってり塗られた白身フライをがっつく彼を、数人のクラスメイトがからかいはじめた。
「うるせえ! 俺は、海苔弁当が大好物なんだよ! 悪いか!」
落合リョータは、素知らぬ顔でコンビニ弁当を食べている。私は、彼と交換したお弁当の中からサクランボをひとつ摘まんで、口に含んだ。
甘酸っぱい。
――――
「おはよう、マリコ」
「おはよう、リョータ」
「あ~、今朝もいい天気だ。さ~て、今日の弁当は何かな~?」
「うふふ。今日は、あなたの大好な海苔弁当よ」
「よっしゃー。テンション爆上がり」
スーツを羽織り、ネクタイを締めた彼が、私のつくったお弁当を持って会社に出勤をする。
「行ってらっしゃ~い」
時は流れ、落合マリコとなった私は、愛する落合リョータのために、毎日お弁当をつくっています。