可愛い顔してるだろ? 実の兄なんだぜ…………
「俺さあ、どっちかってーと……女なんだよなぁ」
「……?」
そう言い残し家を出て行った兄が、一年ぶりに帰ってきた。
「ただいま」
「……どちら様でしょうか?」
サラサラ腰まで伸びた金髪と、美人寄りの可愛い顔。そして何よりスタイル抜群のプロポーション。全くと言っていい程に身に覚えのない天上人が、俺の部屋の襖を開けた。
「ハハ、俺だよ俺!」
「えっ? ええっ!?」
オレオレ詐欺かと思わしき口振りだが、何処の何方かすらも分からない。美人局か詐欺か、はたまた押しかけ何たらか……とにかく分からない。
「無理もないか。翔真だよ」
「あ、兄貴!?」
「久し振りだな弟よ」
「えっ!? なんで!? なんでその格好!?」
「気にするな」
「そんなサラッと!?」
一年ぶりに再会した実の兄が、何故か女の格好をしているのだ、驚かない方がおかしい!
「その胸は!?」
「ほぼ天然素材!」
推定Gカップ。服の上からは嘘偽り無い膨らみにしか見えない。
「チ〇コーは!?」
「その辺の犬にくれた」
犬も困るだろうに……!!
「えーっと、ぉぉ……何故?」
「なんとなく!!」
昔から気分屋で滅茶苦茶な所はあったけれど、まさか性転換までするとは……!!
「てな訳で、明日からヨロシクな!」
「──?」
「えー、今日から皆の仲間になる、橘翔真子さんだ」
「──!?!?!?!?」
ざわつくクラス。そして戸惑う俺。
「ヨロシクゥ!」
「うおぉぉぉぉ!!!!」
突然の転入生に浮かれるクラス。突然の乱入に戸惑う俺。
「えー、と……翔真子さんの席は、涼真くんの隣だ」
「はぁぁぁぁ!?!?!?!?」
「BOOOOOOO!!!!」
実の兄と隣になるだけでブーイングされる俺。
「ヨロシクね♪」
「…………」
「涼真の野郎いつか〇るわ」
見た目は美女。中身は実兄。そして命を危険を感じる俺。
「涼真、教科書を見せてやりなさい」
「ゴメンネ」
席をピッタリと寄せ、兄貴が俺の教科書をのぞき込んだ。兄じゃ無ければときめいている事は間違いないが、兄にときめくことは間違いである。
「なんで兄貴が同じクラスに居るんだよ」
こっそりと小声で話しかけると、兄貴はニッコリと笑った。
「校長に頼んだ」
「あ、そう……それで大丈夫なんだ……」
「この姿でもう一度学校生活してみるのも、良いかもなってな」
「まあ、確かに……それは一理あるかも。でも翔真子って何だよ。翔子か真子かどっちかにしなよ」
「親から貰った名前を捨てるなんて出来ねぇんだ。俺は」
相変わらず滅茶苦茶だなと思うのだが、何だかんだ分からなくもない訳で……。
だが、三つも年の離れた兄と同じクラスとか、ちょっと気まずいと言うか、恥ずかしいと言うか……。
「ま、ヨロシクな」
「あ、うん……」
変なことが起こらないか、それだけが心配だった。
放課後、兄貴はあっという間にクラスメイトに囲まれていた。
「ねえねえ、放課後何処か行かない?」
「翔真子さん彼氏いるの!?」
「連絡先教えてよ!」
下心丸見えの男子達が、鼻の下を伸ばした顔で兄貴に話しかけている。奴らに転換前の写真を見せたらどんな顔をするだろうか……。
「んー、ゴメン。既に予定が入ってるんだ~」
「「ええーっ!!」」
兄貴が席を立ち上がり、俺の腕にしがみ付いてきた。冗談じゃないぞおい。
「ま、まさか……」
「そ、涼真とデート」
「「はぁぁぁぁ!?!?!?」」
憎たらしさと恨めしさと腹立だしさと、その他諸々引っくるめて憎悪の限りを尽くした顔で俺を睨みつけるクラスメイト達。
俺は逃げるようにして……てか逃げた。
「身が持たないよ!!」
「まぁまぁまぁ」
「奴を〇せー!!」
「うおぉぉぉぉ!!!!」
後ろから殺気めいたクラスメイト達が、思い思いの武器を持ち、追い掛けてくる。
「ハハッ、いいなこれ」
「何がだよ!」
「青春だな!」
「こんな春はいらないよ!」
「そこの店に逃げよーぜ」
「うん!」
俺達は近くのハンバーガーショップへと逃げ込んだ。
走り続け息が上がり、全身が辛い。
「ま、腹ごなしには丁度良いだろ。なんか頼もーぜ? 俺の分まで頼んだわ」
「え……?」
そう言うと、兄貴は店内の奥の席へと座ってしまった。周りの視線があっという間に兄貴に注がれてゆく。
「お決まりでしたらこちらでどうぞ」
「…………」
カウンターの向こうで、若い店員さんがにこやかに笑った。
何というか、俺ハンバーガーショップで頼んだ事無いから、勝手がよく分からないんだけど。母親がファーストフード嫌いで連れて行ってくれなかったし……。
「あ、あのー……」
「店内でお召し上がりですか?」
「えっ!?」
「店内でお召し上がりですか?」
「えっと……ええ、店内でお召し上がりです」
「ご注文をどうぞ」
……何頼めば良いんだ?
カウンターに置いてあるメニューには、様々なハンバーガーが書いてあるが、どれが良いのかよく分からない。
「お、おすすめありますか?」
「今ですと、季節限定の『スペシャルカツ丼取り調べ風味実家のお袋さんが泣いてるぞを添えてバーガー』がオススメとなっております♪」
さっぱり分からない。一体どんなハンバーガーなんだ!?
「じゃあ、それを二つ……あ」
兄貴はよく食べるから一つじゃ足りないな。
「ほ、他にオススメは……」
「はい! 他ですと、同じく期間限定メニューとなっておりますこちらの『私、教育実習の先生に恋しちゃった。後三ヶ月でお別れなのに……バーガー』などは如何でしょうか?」
「そ、それを……」
「かしこまりました」
もう何味でもいいや。
「セットでのご注文でしょうか?」
「……セ、セット?」
セットってなんだ?
ハンバーガーを纏めて……あ、割引かな?
「セットで」
「かしこまりました。ドリンクをお選び下さいませ」
「えっ!?」
店員さんが手の先でメニューにある飲み物を指した。セットだと飲み物をサービスしてくれるのだろうか?
家ではジュースなんて滅多に出て来なかったし、炭酸なんて以ての外。初めて友達の家で飲んだときの衝撃は今でも覚えている。
「メロンソーダを二つ」
兄貴もメロンソーダが好きで、少ない小遣いで隠れて飲んだのか懐かしい。
「ドリンクとポテトのサイズは如何なさいますか?」
「ぽてと?」
「S、M、Lと御座いますが」
ポテトまでサービスしてくれるのか。流石はセットだ。折角だから大きいのを頼もう。
「一番大きいので」
「Lですね、かしこまりました。ご注文は以上で御座いますか?」
「はい」
かなり緊張したが、初めてのハンバーガーショップも結構行けるじゃないか。
「それではお会計1590円になります」
「ええっ!!」
所構わず大きな声が出てしまい、咄嗟に口を押さえた。恥ずかしさで俯き「すみません」と小さな声で謝る。
怖ず怖ずと二千円をトレイに置き、そそくさとお釣りを受け取り後ろへ下がった。
「こちらの番号札をテーブルに置いてお待ちくださいませ」
「……」
黙って受け取り席へと逃げた。顔から火が出るほど恥ずかしい。
と、言うか……ハンバーガーショップって高いんだね。三つしか頼んでないのに……!!
「ククク」
兄貴の座る席へと座る。顔を背け笑う兄貴に恥ずかしさが再びこみ上げた。
「初めてのハンバーガーショップ、ご苦労さん」
「帰りたい」
「ハハハ! 食ってからな」
兄貴が笑うと、更に視線が集まりますます恥ずかしさがこみ上げてくる。穴があったら籠城したい。
「お待たせしました」
「おっ……おおぉぅ?」
店員さんが二人、ハンバーガーを運んでくれた。
味の分からないハンバーガーが三つ。そしてメロンソーダとポテトも三つだ。
「全部セットにしたのか?」
「……ゴメン、セットの意味が分からなかった」
「まあ、弟のありがたい奢りだ! 嬉しさで涙が出そうだわい」
「やっぱりよく分からないや、ココ」
「まあまあそう言うなや。たまに来ようぜ? 勿論注文はお前な」
「えーっ!」
兄貴がハンバーガーの包みを開け、一口齧りながら笑った。金髪美女が目の前でハンバーガー食べているだけなんだが、実の兄なんだよなぁ……。
「なんだこれ……」
「知らない方が良いかも」
よく分からないハンバーガーを食べ、俺達は頃合いを見計らって店の外へ出た。
「そう言えば兄貴」
「ん?」
飲みきれなかったメロンソーダを持ち帰り、道中チビチビと飲み歩く。既に氷が溶けて味が薄くなっているが、相変わらずメロンソーダはメロンソーダだ。
「ママには話したの?」
「話せるかよ。失神して記憶喪失になるか、ショックで異世界転移しちまうかな」
「……どうするの?」
「安心しろ。アパートを借りた」
「ええっ!?」
「大家に色仕掛けでな」
「あ、そ……」
何をしたかは聞かないでおこう。想像するだけで吐きそうだ。大家さんも気の毒に……。
「そうだ。何か映画でも借りてウチで観ようぜ!」
「うん」
二人並んで歩くと周囲の視線が気にはなるが、自分としては実の兄と居るだけなので、次第に気にならなくなってきた。
「中身だけ持ってくんだよ」
「へー」
初めて訪れるレンタルショップ。家では『頭が悪くなる』と言われて好きなテレビや映画も殆ど見せて貰えなかったから。借り方を兄貴から教わり、自分のレンタル用のカードもその場で作った。
ショップを出ると夕方も深まっていて、俺達は特に人目を気にする事無く歩くことが出来た。
「お前これ観たことないのか!?」
「うん」
「興行収入五千兆円だぞ!? 全人類が三回は観たと言われるこの名作を観たことがないのか!?」
「うん」
「──ったくあのお袋は……お、アパート着いたぞ」
ちょいと年季の入ったアパートを指差し、階段を上ってゆく。奥の一室の前で鍵を取り出し、中へと案内してくれた。
「ま、狭いけど一人なら十分だ」
「おお」
一人暮らしを始めた兄貴の部屋は、とても生活感に溢れていた。
自分の好きを盛大に詰め込んだ、正に自分だけの部屋。兄貴もママにかなり我慢させられたせいか、その反動が来ているのかもしれない。
ギターやゲーム、漫画にお菓子。見たことの無い物ばかりで目移りが止まらない。
「さ、観ようぜ」
「うん」
「菓子もあるぞぉ」
「おおっ!」
俺は帰るまでの時間、兄貴の好きを堪能させて貰った。
それからというもの、ことある度に兄貴から誘われて、放課後は二人で居ることが多くなった。
「涼真、帰りにカラオケ行こうぜ」
「ええっ!?」
「ま、行ったこと無いんだろ? だから行こうぜ」
「えー……歌うんでしょ?」
「当たり前だろ、カラオケなんだから」
「ええー……」
「行くぞー!」
兄貴と行く先々は、初めての場所が殆どだった。
何も知らない俺に、兄貴は優しく手取り足取り教えてくれた。
「知ってる歌が無い」
「国家でも歌っとけ。後は帰りにCD借りて聞け」
「あー、あー、あーー」
「ほれほれ、マスカラも持っとけ」
時にはバッティングセンターにも行った。
「兄貴、千円札が何度入れても戻ってくるよ!?」
「シワを伸ばせ。ダメなら店員に言って交換して貰え」
「こ、こう?」
「ばかやろう、スイカ割りじゃないんだから正面に立って縦に振る奴がいるか! 球が当たって痛ぇじゃねーか! お前は普段野球部の奴らの何を見ていたんだ?」
「横から球を突くな!」
「だって、怖いじゃんか……」
ボウリング場にも行った。
「うわぁ……広い」
「待て待て待て! 土足でそっちに行くな。靴を借りるんだよ」
「ちょちょちょ!! その線から前には行くな!!」
「えっ? こんな遠くから投げるの?」
「そっちは隣の人のだ!! すみませんすみません!!」
「すみません!!」
兄貴は知らない事を沢山自分に教えてくれた。
普通の高校生なら皆やっているであろう事ばかりだけど、今までやって来なかったのだから新鮮で仕方ない。どれも楽しくて仕方なかった。
「たまにはクラスの奴らとも行くか」
「うん」
次第に慣れていき、クラスの人達と一緒に遊びに行くことも増えた。
皆と遊ぶのもまた格別に楽しかった。
「さーて、だいぶ遊び慣れてきたな」
「兄貴のおかげだよ」
兄貴が転換してから数ヶ月が経った。
「……そろそろ潮時だな」
「えっ?」
帰り道、兄貴は突然俺の肩を掴んでいつにない真剣な顔をした。
「いいか、これから俺の言うことを、お前が信じるか信じないかは任せるが、今から話すことは全て真実だ」
「兄貴?」
兄貴のただならぬ雰囲気に戸惑う。
だが、意味も無く冗談を言う人じゃない。俺は真面目に話を聞くことにした。
「実はな、俺は本当はもう既に死んでいるんだ」
「えっ、何を一体……」
「まあ聞け。あれは家を出て行った数日後の事だ。俺は性転換手術を受けようとして、その値段に尻込みして気晴らしに山へ行ったんだ。天気も良かったからな。そしたら足を滑らせて死んだ」
「……」
何を突然に言い出すかと思えば、それは聞けばなんてことも無いジョークじゃないか。
だが……とうの兄貴の顔は、紛れもなく本気の顔だった。ウソだろ兄貴……!!
「正確には死ぬ寸前に、自殺をしようとしていたこの体の持ち主と出会ったんだ。俺は『どうせ死ぬなら体を貸してくれ』とお願いした。どうしてもお前のことが心配だったんだ」
「兄貴……」
「そして俺は女の体を借りてお前の前に現れたんだ。だけど、そろそろ体を返さないと……俺の魂も消えかかってる……もう、そうは長くは持たないんだ」
「そんな……!」
兄貴にしがみ付き、ひたすらに涙をこぼすも、兄貴はジッと俺の顔を見て、頭をなでてくれた。
「お前はもう大丈夫だ。高校を卒業したら、一人暮らしでも始めろ……」
兄貴の息遣いが次第に弱くなっていくのが感じた。
「兄貴、行かないでくれ!」
「涼真、お前に一つ大事な頼みがある。しっかりと聞くんだ」
「兄貴……」
涙を拭いて兄貴の顔を見た。凛々しくも美しい、美女がそこには居た。
「この体の持ち主は、自ら死を選ぶほどに自分の人生を悲観している。だから、次はお前がこの子に生きる楽しさを教えてやってくれないか?」
「……分かったよ、兄貴!」
「頼んだぞ……約束だからな」
スッと何かが兄貴の体から抜けるような気配がして、兄貴はその場で意識を失った──。
「……あにきぃぃ」
もう兄貴ではないのだろうけれど、それでも名前を呼ばずには居られなかった。
今まで気が付かなかったが、その女性の腕には、自分で切ったと思われる生々しい傷痕が随所に見受けられた。壮絶な思いをしてきたのだろう。自らを否定する事の辛さはよく分かる。見ていて胸が苦しくならずには居られなかった。
「……あれ? ここは?」
本来の持ち主である女性が目を覚ました。
「どうしてあなたは泣いているの?」
「いや……だって……」
どうしようもなく涙が止まらなくて、どうしたら良いのか分からなくて、もう泣くしかない自分が恥ずかしくて仕方がない
「もしかして、あなたが涼真君?」
「……はい」
「夢の中なのか、ずっとある人が君のことを気にしていたんだ。弟をヨロシクって」
「兄貴……!!」
「ご飯を奢って貰えって」
「……」
「カラオケ、バッティングセンター、ボウリング、それからゲームセンターに映画館。世の中には楽しいことも辛いことも同じくらいあるから、弟に教えて貰えって……変な夢だよね」
「ううん……」
「私、真子って言います」
「涼真。橘涼真です」
「ヨロシクね?」
「はい……!」
こうして俺は、教えられる側から教える側へと転換期を迎え、新たなる人生が始まった。
「真子さん! 帰りに新しく出来たコーヒーショップに行かない? 新作のヘラペチーノが美味いらしいんだ」
「フラペチーノ、な」
「ゴメンネ。そのお店は初めてだから涼真君と行くって決めてるんだ」
「「りょぉぉぉぉうぅぅぅぅまぁぁぁぁ!!!!」」
「真子さん逃げよう逃げよう」
「はーい♪」
真子さんは実は同い年で、転入もそのままに前と変わらぬまま同じクラスで過ごしている。
放課後には遊びへ出かけ、新たなる発見を共にしている。
「涼真君」
「はい」
「今日も色々と初めてを教えてね♪」
「ああ!」
真子さんの眩しい笑顔が二度と曇らぬように、俺は兄貴との約束を守り続けている。