紘大
貴族などと呼ばれる紘大と貴族などよくわからない紘大。振る舞いからして貴族としての教育もなにもないまま家を国を追い出されてしまったのだろう。金すら持たされないという哀れの極み、もしかするとなにも知らないからこそ幸せなのかもしれない。そんな同情を浴びながら紘大は口を開いた。
「でだ、俺はこれからなにをやればいい」
中年の返しに耳を傾ける。真面目に聴きでもしなければこの世界での命が絶たれてしまう、ひしひしとそれを感じていた。
「働け、八幡。これまでの紘大ファミリーのことなど忘れて、ただの八幡として生きるのだ」
――あー、そういうやつ
明らかな異界への転移だというにも関わらず、求められたのはごくごく普通に生きること。呆れしか出てこなかった。異世界人への待遇がなっていない、そう叫びが上がりそうな世界でしかなかった。
「ちっ、異世界からのこのことやって来てやったんだ。そんな俺に相応しい待遇ってやつがあるだろうよ」
「異世界? 待遇? 一体なにを言って」
こっちの話だ、勝手に言って勝手に反応されて勝手に話を切りに行って。このふたりの会話は話者は自分勝手を極めているようだった。
「しっかしなかったのか、チート能力だの美少女ハーレムだの俺への至高のプレゼントがよ……くそったれが」
これまで出会ってきた者がブスとクソおやじとは。その言葉は胸の中に仕舞い込み、ひとつ、中年に訂正を与える。
「日本の姓名ってのはなあ、苗字が先で名前が後なんだ。だから紘大って呼べ」
そうして仕事先をいくつか紹介され、まず初めにバーのカウンターを任されていた。木の安っぽくてすぐにでも壊れてしまわないか心配が引き出されるようなドアが開き、映り込んできたのはどこにでも住んでいそうなふたり組の女の姿。
――こいつら、俺の快適ハーレムライフに相応しくない人材だな
そんな言葉を必死に押し込めて代わりによく響く声を発して見せた。
「へいらっしゃい! いい酒はいかがかな、麗しのレディ様」
ラーメン屋と謎のカッコつけが融合してバーという洒落た空間に産み落とされる。絶望色をした光景だった。肉付きの良い女性たちは笑いながら、明るい貌を見せながら席に座る。
「カッコいい人ね、新しいバイトの子かしら」
お褒めの言葉ありがとうございます。勿論口には出せない。すぐさま飲み物ふたつの注文が入り、言われるがままに伝えて言われるがままに持って行って。
「素敵、イケメン様に持ってきてもらえるなんて光栄」
輝きときめく女ふたりに対して悲しみ揺らめく男ひとり。
――俺は……美人にそれ言われたい
尽きない欲望、この男は、美人に飢えていた。美人がいなければ涙に溺れて死んでしまうような勢いはまさにホンモノの証だった。
ドアが再び開く音、今にも壊れそうな軋みはいつでも紘大に不安という感情を思い出させてくれる。不安など嘲笑って現れた客、それは丸々と太った三人の男たち、彼らはみんなメニュー表など見なくとも用意された品をしっかりと把握していたのだった。
――こいつら、毎日飲んでやがる
身体を見るだけで分かっていた。体型が生活態度を露出していた。そのうえこの店への理解度と慣れ親しんだ態度にソファーの座り方。この店で人生を紡いできた類いの人物であることは間違いなかった。
「そこの若いの! ビール6つ!」
まさかのひとり二本宣言が飛び出してきて呆れつつも言われるがままに用意する。仕事だからやる、仕方なくやる。隠すつもりもないやる気に男たちは笑って返す。
「良いじゃねえか、その態度」
――いやいいのかよ
怒られる覚悟を持っていた紘大だったが褒められるという意外な場面に遭遇して平常心は遭難していた。そうしてしばらくこの店の空気に浸りながらようやく思う。
――違う! ち! が! う!
なに故に真面目に働き続けているのだろう。明らかな異世界、トラックに轢かれたわけでもなければ神に導かれたわけでもなかったものの、やはり望むものはあの活躍だった。
――来いよ来いよ俺の最強チート無双ライフ!
完全に無双を夢想していた。無想のままに進められる戦いを、心弾む冒険を、心の底から望んでいた。
それから更に時は流れ去り、すでに辺りは暗くなっていた。ガラスすらない窓から見える景色は完全なる闇。まるで世界から切り離されてしまったように思えた。
何度かドアは開き客は立ち代わり入れ替わり、目が回る忙しさをしていた。
――疲れてきたな
事は、動き始めた。またしても開いたドア、そこに現れたのはナイフを持った男たち。筋肉に覆われた身体は同じ人間と思わせないほどに締め上げられ昇華された強さを誇示していた。
男たちはナイフを向けて紘大に言った。
「金を出せ、何故人をダメにして金をもらっている。俺たち真面目にやってきた者が馬鹿を見るなんてもう勘弁だ」
男たちの言い分に納得など出来るはずもなく、言葉を返していた。
「そうか、じゃあずっと馬と鹿の鑑賞会でもするか?」
意味をくみ取ることなど叶わず。男たちはナイフを構えていた。
「じゃあ、やっちまうか。俺の望みをな」
紘大は直感で気が付いていた。己の内に能力が目覚めていることも、それの引き出し方も。




