異界の人
それはいつの日かの昼のこと。空は明るく澄んでいる。あまりにも綺麗な空は穢れを知らないように思えていた。
空から不純物がふたつ降り注ぐ。砂の海へと向かって落ちて墜ちてオチテ。空の不純物は叫びを上げていた。落とされる恐怖は地面が近くなるほど大きくなって、ふたりの不純物は、幹人と同じ制服を着た茶髪の女子と学ランに身を包んだ金髪の男。彼らは物理法則の世界ではありえない柔らかな感触の砂に迎えられた。
無事を確認しながら少女は安堵した。となりの男にも無事を訊ね。
「あなたは大丈夫?」
心配の声は無事に男に届いたそうだ。
「はっ、おめえみたいなのになんで教えねえといけねんだ。個人情報だろ」
身体の無事すら個人情報だと言ってのける男に呆れつつも、無事そうでよかった、そうこぼした。名も知れぬふたりがなに故に一緒に落ちてきたのだろうか。
それは男の方に非があった。学校の帰り道として歩いて通っていた少女が通りかかった道路には古めかしいたぬき地蔵が祀られていた。きっと土地を護る神か何かだろう。そんな神様の顔にラクガキをしている金髪の男を目にして少女は思わず立ち止まっていた。そう、状況はふたりきり。たぬき地蔵には生きた目でもついていたのだろうか。瞳はガラス質の輝きを放ち、ふたりを飲み込んだ。渦のようなものに巻きこまれ、ふたりは吸い込まれて。
気が付けば雨扱い、晴れ空の中で降るように落とされていた。
つまるところ、少女は見知らぬラクガキ男のせいで見知らぬ砂地へ落とされた。完全なる被害者だった。
男は歩き出す。少女のことなど置いて行くつもりの容赦ない歩幅で安定した土地を目指して。
「待ってよ、せめて一緒に」
「はあ? ついてくんなよブス」
優しそうな顔をした少女の顔も見ずに顔について言ってのけていた。
――ひ、酷い
純粋に暴言が胸を刺し、深く抉り取るような衝撃を与えていた。
「確かに可愛くないかも知れないけどー」
「いいや、俺の美人ちゃんレーダーにかからなかったような奴は可愛くないんじゃない、ブスなんだ」
穢れ切った思想と固着した汚れを思わせる不快の極みに踏み込みし言葉。許せるはずもなく、ついて行かないことを決意して反対方向へと歩みを進め始めたのだという。
ここからは男の話。彼はただただ歩き、街を目指す。向かう先が生きる先、死から遠ざかっているのか生から遠ざかっているのか。分からなくとも進み続ける。歩みを止めるということは、生きることを止めることに他ならないのだから。
進み続けてから経った時間は分からないものの、少なくともいつもと比べれば膨大な距離を歩いたに違いない。広大な砂漠を背に、暑さにやられて目が回るような感覚に襲われてふらついて、どう藻掻こうとも身体は限界を迎え始めて強さ激しさは変わらず分からず。ふらついて揺らついて、飛んでしまいそうな意識をどうにか保ち続けた末に目に入った景色は大して発展しているようにも見えない街。
日が向こう側へと沈んでしまうその前に見たその普通の景色はどこまでも麗しい絶景に見えた。
喜びを言葉へ、などといった余裕も残されていない。足はただただ動いて救いを求めて心を攵つ。如何なる絶景も激しく感じるだけの生きた心地は残っていない。生の色をどうにか保ち続けていたがあまりのつらさに命の糸が切れてしまいそうに思えるこの数時間、もはやどう動いても勝手に動いているように感じられた。重みしか残されていなかった。
ようやく街へと入った男は手を伸ばし、乾ききった喉を掻き切る想いで喉を震わせた。
「水を……誰……か」
必死の懇願、それが届かなければ必ず死が訪れてしまうだろう。声を聞きつけたその土地の住民による必至の行動、それが届けられて男は水を得た魚の気分だった。
水を口にして、生き返った気分で目の前の人物に礼を告げる。目の前の中年は笑いながら男の背を叩く。
「いいんだいいんだ、砂漠から迷ってここに来た人は一目でわかる、だいたいさっきのお前みたいな目をしてるんだ」
あの経験が常に蔓延っているのだろうか。末恐ろしさに身を震わせていた。
「お前さんよそ者だろう?」
「ああ、俺の名前は八幡 紘大」
八幡 紘大、その名が轟くとともに大袈裟な身振りで驚く目の前の中年の姿に驚く。
「な……なんとっ! 貴族さまであったか」
頭の上に浮かびし疑問符を取り払おうと訊ねる。
「貴族? なんでだ」
「立派なファミリーネームを持っていてなんでもかんでもあるものか」
――ん? 分かんね
初々しい疑問は取り払われるまでにある程度の時間を要していた。
「なあ、どこの貴族さまなんだ? コウダイファミリーは何をしてその手に金を成したんだ?」
――うっぜー!!
弾ける怒りの泡を上げながら煮えたぎり昇りつめる激しい憤り。紘大の心頭共に怒りで充たされて、ついつい力が入ってしまって棘のある声が出て、考えすらない言葉を吐きつける。
「誰が成金だ! 俺は日本の一般庶民だこのド畜生が」
日本、ああ、あの鎖された国のことかあ―― その言葉から想像される歴史のことすら思い浮かばない、それほどまでに怒りの熱に冷たい静というものを熱されていた。




