野生の竜
歩き始めてどれほどの時間が経ったのか、森は変わり映えしない景色を辺りに広げ続けて一面色あせた緑の風景に染めていた。空もまた明るいだけで時間など示してはくれなかった。
「これからどこに向かうの?」
幹人に訊ねられてリリの回答が自然とこぼれていた。
「次目指すのは森の出口辺りにそびえる『生ける信仰の中心国』だね」
そこは様々な国の文化が入り乱れる日が一年に一度訪れる国。宗教や信仰が生まれては廃れ、神が生まれては死ぬこの世の中、その信仰は長い時を生き延びたのだという。
リリの説明によれば先ほどまで溶け込むように入り込んでいた竜の少女を信仰する『ドラゴニクス王国』でも使用されている七曜の発祥なのだそう。
幹人はその信仰の偉大なる姿の破片に触れて感心していた。そんな姿に見入りつつもリリは警告を忘れることなく。
「ただ、この国の外にまでは伝わってなくても恐ろしい伝承が秘め隠されていることもあるから気を付けて」
その地域で変貌したり出来事から生まれた風習、その中には耳を疑うようなものもあるのだった。
「あの国ではかつて飢饉が起こっていた。イナゴが大量に現われてね、米やキャベツにリンゴまで食べ尽くしたんだってさ」
イナゴ、飢饉、幹人の頭の中ではある天使の存在が描かれていた。黙示録第五のラッパが吹かれることで現われし災厄の天使、イナゴを運ぶ『奈落の王』や『蝗の王』と呼ばれし者。幹人の思い浮かべる存在はいるものだろうか、ここは異界である。
続けられたリリの言葉によって蝗害への神話世代の触れ方考え方が異なるのだと実感させられた。
「そして作物を食い荒らしたイナゴのことだけども、そもそもの原因は神が風を起こして運んできたからだと言われていてね」
――俺、大ピンチ
災害の原因を創り上げた風の神は悪神として扱われているために風使いも悪神の加護を受けし咎人として忌み嫌われている。語られた神話は創世神話とは別の地域伝承のようなものらしく、他国の信仰にまでは侵攻していないというものの、幹人にとっては非常に息苦しい事実だった。
「つまり、幹人はそこでは魔法が使えねえ坊ちゃまだってことだな」
「坊ちゃまだってことだな、じゃねえよ!」
アナと幹人の会話はリリの想いの清涼剤と成りえたのだろう。笑ってふたりを抱き寄せた。
密着することでひんやりした森の空気による独特な感じ、世界から切り離されたような感覚が溶けてなくなって、多大な安心感が与えられていた。三人纏まって歩くこと、それについてひとつ幹人は思った。
――めちゃ歩きにくい
進みは遅くて旅は進まない。周りをリズとメイアが楽しそうにいちゃつきながら走り続けていた。その姿は回転木馬を思わせるものだった。
「メリーゴーランドみたい」
などと心の内へと去ってしまったあの世界を思い出すような単語を含んで発していた。回転木馬以前に纏まって歩く姿についてどう思ったのだろう。
「家族ってこんな感じなんだな、温かいな」
アナには家族との思い出など何ひとつ残されていない、過去の本人は何も遺していないのだった。
家族茶番の果ての果て、歩きにくいことこの上ない愚行の成れの果て、三人揃って愉快に地面に転んでいた。
「いてえよ」
アナの感想は最もなもので、リリの軽い重みに、軽くはない想いに潰された声が出ていた。
立ち上がろう、そう考えつつ手を地に着いて、リリから抜け出そうとする。
「待って、私の家族愛から逃れないで欲しいね」
重いんだよ、アタシには―― 言葉と共に手を伸ばして地を掴む。地面の感触に固くて生暖かくて嫌悪感を得た。本来の地面の感触なのだろうか、明らかに異なるものだったが気にしている場合でもなく、地に着いた手に思い切り力を入れる。地面は少しだけ動いたようで、アナは更なる嫌悪感と新しく違和感を獲得していた。
「気持ち悪い地面だな、よいよいっと」
どうにか地面から抜け出してようやく前を向いて進むことが出来ると思いながら顔を上げた途端、目に入った姿に目は見開かれた。
黄色の瞳に灰色の大きな身体、視線からは感情も感じ取れないにも関わらず食べようとしている意思を感じていた。
アナは関わることに関してとても大切な笑顔を向けていた。恐怖など奥へ背後へ心の最深部へ、ひた隠しにして初めからなかったように。
「や、やあドラゴンさん、この前は世話になったな。変わり果てた姿しちゃってさ。お前の肉、とっても美味しかったぞ」
意味が分かれば激怒ものの話、面と向かって仲間を食べたと自己紹介をしていた。
「何度でも食べたいからさ、今度はお前の肉を食わせてほしい」
言葉が分かれば火に油、お前も食ってやるぞ、そこまで伝われば火薬も用意、それだけのことをしていた。
意味など伝わらなかっただろう。しかし、竜には竜なりの感情だか本能だか、そういった何かしら生きた内側の動きがあるもので。
竜は大きな咆哮を上げた。
アナはただただ震え上がり、それ以上言葉を紡ぐことが叶わない。幹人は初めから口を噤むことしか出来ていなかった。リリは戦闘に意欲を示した竜には敵わないことが分かっていた。
「やれやれ、逃げるとしようか」
瞳に映っていたものは竜なのか惨劇の末路なのか、リリの放った言葉は仲間たちにも鮮明に伝わっていた。透明な言葉による強烈な色彩を持った意志、それに従ってみんなで駆けだし始めた。




