早朝
夕日は沈んで、一日は終わろうとしていた。マーガレットの腕によって振る舞われた料理は豆のスープにキャベツと肉の炒め物。あとは豆を蒸した主食と器に注がれた水。この国では料理を盛る皿と同じものをコップの代わりにしているようだった。
「水専用の器? そんなの持ってないよ。食べ物にも飲み物にも使える器の方がいざ足りないって時に代わりに使えるもん」
マーガレットの言い分は恐らくこの村での異口同音の呪文だろう。ジェロードが何度も強く頷いていた辺りが事実を物語っていた。
――この旅、貧しい場所しか訪れてないような
幹人は気が付いていた。勇者が持ち込んだ技術の継承が時の向こうに置き去りにされて壊滅しかけた街、生贄を出してまで文化を保ち続ける村、人々を法で縛る王都。ここまで豊かな民など誰一人として見かけなかった。
海を渡ればどうなのだろうと問いかけてみても少しばかり識字率の上がった漁港の都に恐らくマーガレットが住んでいたであろう崩壊済みの狩りの村、そして今立っている男の子が中学生くらいの歳で働かされる豆を主食とするこの村。
貧しいことなど間違いはなかったが人々の表情は心は死んでいただろうか。平均寿命三十年程度の国ばかりでも皆悲しみもなければただ今を必死に生きて中には笑顔で充たされた場所もあった。
故郷が空しく思えていた。生きるということの味を偏見のある方向で覚えてしまっていた。
「リリ姉」
「なあに」
呼びかけに甘い貌で答えるリリ。この魔女は明らかに幹人に対して深くて甘い想いを持っていた。
「呼んでみただけ」
嘘、生きているということ、その味をきみで確認したい―― それが理由だった。
「キスでもくれるのかと期待して損しちゃったようだ」
いつもの言葉、本音だけで生きていられるこの世界に物足りなさを感じるとともに少しだけ羨ましさを見ていた。
夜闇は視界を覆うと共に少しだけ建前を隠して心の根をむき出しにしてくれていて、布をめくると現れたガラスのない窓の向こうに散りばめられて輝く星はあまりにも輝いていた。
「明日が楽しみだよ、島は本当にあるのかな」
リリは深く頷いて「きっとあるさ」と答える。闇は仕草を覆い隠して言葉だけを響かせて届けていた。
考える余裕に恵まれて悩まされる今の旅の余韻に浸る幹人の隣で唸っている少女がいた。盗賊時代から深く眠ることもなく、今でも深い眠りの心地に浸ることも許されないままに悪夢を見ているのだろう。いつでも起きれるように眠る習慣はひとりの少女から確実に安眠を奪い続けていた。
それぞれの生き様にそれぞれの苦悩を見て、リリの姿が見当たらないことに気が付いて。幹人の足は何を言うまでもいなく考えるまでもなく動き出していた。あの魔女は目を離した隙にどこへと消えてしまったのだろう。荒々しく削って作られたベッドから降りて、靴を履いてガラスのない窓から外へ。辺りを見回して。
辺りを見回して空に星を見て瞳に星を浮かべて、内にきらめきを残して。
夜の想いの中に愛しさの塊を見つけた。先ほどまでみんなが中に納まっていた家の屋根の上に足をぶら下げ腰かけて指で星をなぞる姿を追うように幹人も屋根に上って。
音が耳に届いたのだろうか、振り向いて手を振っていた。振る手に触れるために追いかけ追いついて、願い通りに手を取って言葉を紡ぎ合う。
「よく来たね、明日は早いからすぐに寝るかと思ったよ」
「リリ姉がいなくなったから気になった」
安眠の妨げになるのが嫌、倒れるのはもう見たくない。そうした理由あってリリは屋根で眠るつもりだったそうだ。しっかりと眠れるのか、風邪を引かないか、心配で仕方がなかった。
「屋根で眠る、魔女の日常風景さ」
どこまでも自由に生きる、そんな魔女にはいつも通りのことのひとつに過ぎないのだった。なにが好きかなにが嫌いかなにを見て生きてきたのかなにが望みなのか、なにひとつつかむことが出来ないでいたことを今更知った。迷いの想いは表情に出ていたのだろうか。リリは闇に彩られた今、星の輝きから遠いこの景色によく似合う微笑みをこそりと見せて答える。
「幹人のことを見てるし幹人を想ってる。キミが無事に帰ることができたら」
その続きは語られることもなく時は過ぎて。
「いいや、キミが帰ることが出来たら隠居だろうね」
夜の闇は未だ開ける気配もなくて、リリは幹人につかまれた手をほどいて寝転がる。
「明日は早いから、できるだけ眠っておきな」
おやすみ。そう締めくくって終わった会話。一から十、始まりから終わりまでを噛み締めながら降りて、幹人は床に就いた。
それから月に見守られて時は溶けて無事に明けようとしていた空、まだまだ暗い空の向こうを見つめながら晩秋の空は暗いのだと思い知らされながら目を擦る。アナは小さな体を伸ばして大きな欠伸を静かに行なっていた。ネコを思わせるその姿は目にするだけで和みを与えてくれる。これから出発する、うわさ話の真相を確かめるのだということを忘れさせるほどに気の抜けたシーンだった。




