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異世界風聞録  作者: 焼魚圭
第三幕 竜の少女を信仰する国
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熟睡

 燻製仕立てのアカモウオを口に放り込み、リリは噛み締めて口に染みわたる塩の味と香ばしい魚の香りを堪能していた。


「美味しいな。これは日ノ出ズル東ノ国の米の酒が欲しくなるものだね」


 つまりは日本酒か米焼酎のどちらかだろう。どちらにしても幹人がこの世界にいる内は口にすることも叶わないシロモノだった。酒を飲むことはそんなにも楽しいのだろうか、幹人には全くもって想像がつかない。未知への想像に水を差されたとはいえ今はリリの幸せそうな顔を見られたというだけで幸せいっぱいだった。

 気が付けばリリからアカモウオの説明が始まっていた。


 アカモウオは海藻の中に隠れるように棲み、身体が次第に赤くなり行くのだという。エサは分からないがきっと人の目には映らない小さなものだろう。生息地域は竜の国周辺の海が主流なのか、他の地域では名を聞かず、リリの住まう地域では姿すら見かけないもので燻製にされた姿しか見たことがない。それが実情なため、リリも生きた姿は見たことがなかった。


 幹人は元の世界には存在しない魚の説明に明るい想いを弾ませながら聞き入っていた。知らない生き物、元の世界を超えた不思議を抱かせる光景。異界の大きな楽しみのひとつと言えるであろう。

 そうした楽しみもまた過ぎ去って、明日辿るはずの道筋を伝え始めた。リリの脳内では明日竜の神話について、竜の少女の神話の信仰の外側の人々に訊ねるのだという。

 神話とは科学の文明が未発達の段階で人々が見たものをありのまま、もしくは空想を交えて書いた歴史書としての側面も持ち合わせているのだとリリはいう。

 つまり、詳細は分からずとも幹人を元の世界に帰すための手がかりはつかめるかも知れないという推論の元で調査は進められるのだった。


「あとはアカモウオかしら。とても美味しくてやみつきになってしまうね」


 それは単純にリリの好み。それ以外に言えることなどなにもなくて、幹人は反応に困っていた。

 いいないいな、完全に同意を示すアナは想いを昂らせていた。


 海の幸がいっぱいいっぱいいいよないいよな、私も楽しみになってきたなあ


 アナの楽しそうな声と期待で充たされた顔は盗賊として動いていた時のものからは想像すらつかせない明るさで今にも踊りだしそうな雰囲気をひしひしと伝えていた。


「そっか、アナも普通の女の子だよね」

「ははっ、そいつは嬉しいな」


 おりゃっ、おりゃっ。軽い感情に軽い声に軽い小突き。それらの始まりから終までの何もかも、全てから明るい優しさが滲み出ていた。

 夜の何時なのだろう、幹人が異界へと迷い込んだ時点で腕時計は細い腕から抜け落ちるように溶けてなくなっていた。時というものに縛られなくなった今、時という導を失って、幹人にとっての煩わしさはなくなっても、不便というものが生まれてしまっていた。不安を感じている余裕が生まれてようやくむき出しになったその気持ち。

 闇は時すらも不可視と化して何もかもを覆い尽くす。この世界の中での安眠はどのように訪れるのだろう。これまでリリの愛に眠りを妨げられて、船の揺れに妨げられて、今となっては自身の気づきに妨げられていた。

――また倒れるのは嫌、また倒れるのは勘弁、歓迎しないから!

 リリの目に映る表情はいかがなものだろう。幹人の身に触れることもなくアナの腕を引いて共に同じベッドに潜り込んで指を絡め合っていた。

 そんな行ないを知る由もなく幹人は安らかな表情のふたりをよそに、折りたたんだカッターシャツを床に、ブレザーを身体にかけて汚くて固いベッドで眠り始める。これまでの国で土足は当たり前、清掃もあまり細かくされているわけではないと知ってはさすがに直に頭を付ける気は微塵も起きないものだった。

――今日はしっかり寝よう

 比較的緩い一日だったとはいえ、疲れはしっかりと身を蝕んで、気怠さは身体を叩き続けていた。

 身を委ねた床はあまりにも固くて眠らせる気などないのだろうか。明日はもっと冒険するのに。幹人の都合などお構いなしの床は容赦を知らない知ろうともしない。ズボンを出そうにも殆ど効果も期待は出来ない上にひと度その場に寝転がってしまったからにはもう起き上がる気力もおきないもので。

 どうにか眠れそう、なんとかありつけそう。想いなど見てはいないのだろう。頭の向こう側から流れてくるアナの掠れ気味の唸り声がこれまで通りに幹人に眠れない揺らぎを与えていた。

――盗賊時代のことでも巡ってるのかな

 毎晩のように夢に見ているのだろうか、心なしか苦しそうな唸り声がうなされていますなどと自己主張をしているようにも思える。きっと以前は安心して眠るということを知らなかったのだろう。

 幹人は気まずさを胸に当てながら瞳を閉じて視界を闇で覆い尽くして意識を誘導して、それでもついて行かない意識をどうにか沈めるように鎮めるために誘導して、思考を無へとゼロへと消してしまって、それでも残され続ける心地の悪い床の感触はこれまでと比べれば悪くはない睡眠に留めていた。

 そうしてとられた睡眠は最近では上位に並ぶ快適さを誇ってはいて、明るい太陽の光に叩き起こされた幹人は今回の睡眠の質に何とも言えないもどかしさを感じていた。

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