竜の信仰
海を、レンガの道を、赤レンガの小洒落た建物を、速足で歩いて。今不要なもの全てに目を向けずふたりきりという状況から生まれるデートへの欲望からも目を背けて、歩いて。
明らかに他とは異なる茶色のレンガの建物をその目にして、そこへと向かって。
「図書館、あの王都のようなことがなければいいのだけど」
そう、王都では公に携わることを希望する者以外は立ち入りが許されていなかった。今回はどうなのだろう、不安に身を焦がされながらも近づいて行く。こうした時間瞬間、誰彼の行ないなど構わずに海や風は独特な声を響かせ歌い続けていた。図書館の目の前へ、そこに立つ騎士は会釈をして、快く迎え入れてくれた。
騎士の言葉によれば使わなければ意味がない、あの王都のようなことはあってはならない。
王都の政策は完全にうわさ話として言葉という形に込められ風に海に船に人に。様々なものに運ばれ広められていた。
「そうね、王都は何もかもが良くない都のお手本ね」
完全な同意を示すリリ。これはあくまでもちょっとした雑談。それも終わって始まる図書漁り。リリに日々教わっている言語、荷物は殆ど宿に置いて行って必要最低限の荷物だけを持っていた。幹人は手帳とシャーペンを取り出し、重要なことを書き留める心構えを決めていた。それをリリは目にして思わず声を上げた。
「なにそれ、なかなか高そうなペンだね。しかも白紙を持っているなんて……やはりキミは貴族だったかな」
幹人は首を横に振って言葉を返していた。
「それが元の世界じゃ貧乏でも買えるんだよね」
さぞかし羨ましそうな目でずっと端目に捉え続けつつも本を見る。ふたりはそこから本に埋もれてめくって埋もれ続け潜り続ける。
幹人にとっては羊皮紙の感触はいつまで経っても慣れないでいた。新鮮な心持ちとマンガなどでの印象に挟まれて、この書物に目を通すこの時をなんとなくカッコいいと思っていた。
リリが最も知りたがっていた空間に関する書物や記述はどこにも見られない。これから向こうの時代、未だ来ていない時間のどこかで証明されるかもしれないが、ここまでの時の中では存在すらしない理論だった。幹人はある人物の功績をたたえた書物を開いた。傷も歪みも何一つ見られず周りと比べるとあまりにも新しい。つまりは最近の功績。
結末から書き留めよう。この世界は上下左右、どこから行っても元の場所へとたどり着く。
ここからはあくまでも推測であるが、きっとこの世界は球体の形を成している。
本文始まりのページ、それだけで幹人は確信を持ってしまった。
「リリ姉ダメだ、空間の把握がまだこの世界で止まってる」
他所の世界など知らず、今ようやく自分たちの住む世界について知り始めたばかり。宇宙や他の世界に目を向けるか向けないか。全てが想像の範囲で閉じられたこの場所だった。
ならどうやって探そうか、リリのため息交じりの言葉にお手上げの意を示して次は竜の少女の神話について調べ始めた。これから向き合う都、竜の少女を信仰する都市の過去にはびこっていた神話はいったいどのような姿をしていたのだろう。ドラゴニクス王国の歴史書を捲り、目で追って。竜の少女の件を文字で把握しながら獲得した疑問をここに放り込む。
「そう言えば竜が入ってきたのってこの国のどのくらいの範囲なんだろう。地域によっては昔の信仰も残ってたりするかな?」
リリは首をかしげつつ、もしかしたら、そう呟いて。
ここで分かった竜の神話はなんと、竜の神が国を創ったという根も葉もないものだけだった。
「なんで詳しく書いてないんだよ」
「古の神話とか時代遅れとか言われたんじゃあないかい? 竜の少女の件が500年も前だからここに書き留める前だったんだろう」
少なくとも疑う余地はなかった。幹人が生まれたあの世界でも消えるものなど大いに存在していたのだから。きっとこのことはそういった類のもの、そう言って納得した。
図書でも知ることのできることなど限られていて、ふたりは都の外へと踏み出してみることにしたのだった。本という存在自体が北の方の国と霧に覆われた国以外では貴重なもので、書き留める歴史もまた大切なものを厳選しているように見受けられた。リリの話によれば勇気が持ち込んだ紙の量産の方法はふたつあったのだそうだが、片方は今の技術ですら再現することが叶わず、今の量産技術で作られた紙は50年もてばいい方、とのこと。
――酸が強いんだろうなあ
技術の進んだ異界から訪れた幹人だから分かった事実、しかし、元の世界での製紙の方法など知ることもなければここで作ることも叶わない。
己の無力を知って、元の世界に存在する異世界作品のようにはいかないことに歯噛みしていた。
――強い能力ってなんだろう
今の幹人が持ち合わせているとは到底思えなくて、なにか自分にしかない強みを探しながら歩いていた。その様子は確実にリリに知られていた。
「どうしたのかい、いつもなら一緒にいるだけで幸せって顔してるのに」
創作物と自身を比較していました、など痛々しすぎて言葉にできなかった。フィクションを夢見て空想と現実の差に絶望してました。心の中で暗唱して素晴らしい嘲笑ものだと気が付いた。
リリの方はというとしばらくは沈黙を貫いていたものの、何かに思い当たったのか、収めていた思考が内側から突き破って幹人の元へと声に言葉になって流れ込む。
「分かった、アナが仲間になってから久々のふたりきりなのに楽しいことがないから不満なのでしょう」
いや違―― 言葉にしてはみたものの、真実に対する妙な緊張のせいだろうか、声の上ずりが説得力を奪い去ってしまっていた。
「否定しなくてもいいの、瞳を閉じて」
そこから問答無用で目を覆うリリの手の優しさに頬は熱を帯びていた。
「ほうら、とっておきの恋の魔法」
罪深いね、キミも私も。言葉と想いのふたつは手のぬくもりから伝って幹人から大切なものをいつも通りに奪い去る。視界も心も、果てには口に柔らかな感触が重なって。
唇まで奪われて、暗闇の中で気が付いた時にはすでに感情はリリ色に染められてしまっていた。




