寝不足
目覚めとともに幹人の頭を叩くように襲い掛かる揺れのような気怠さ。船の揺れとはまた異なるそれは明らかな寝不足。身体は起き上がるとともに揺れに身体を持って行かれてバランスを崩していた。よろける身体、気持ち悪さに打ちひしがれながら壁に手をついて、鞄を見つめる。昨夜は冷静でいられずに眠りに就くために必死だった幹人。故に気が付かなかったことだが辺りには透き通ったクルミのようなものがいくつか転がっていた。
――リズの貯食……お片付けタイム贈呈はやめて
ベッドで丸まって静かに眠る毛玉のような生き物を端目に制服をたたみ、鞄へと仕舞う。次に辺りに転がるクルミのようなものを拾い上げて鞄へと納めて閉じて、ドアを開いて甲板目指して歩き出す。幸せそうに眠るリリと油断しきっているアナはそっとしておいて進む。
一歩一歩が重たくて、踏み出す度に身は無事を取り繕って。足元を駆け回りながらついてくるリズの姿に気が付いたのは甲板手前の階段を踏み込んでからのことだった。
ため息をついて、リズを抱えて抱き締めて階段を再び上って甲板へとたどり着いた。
辺りに広がり蠢く青、帆を揺らす強い風に運ばれて届く潮の香り、時折頬にかかる冷たい飛沫。何もかもが生への実感を与えてくれる。
「気持ちいいなあ」
思わずこぼれ出る声はどこまでも純粋な感想をどこまでも美しい海の向こうへと、風に乗って飛ぼうとした。声はきっと殆ど響かなかっただろう。気持ちも波に飲まれて海に溶けて、誰にも聞かれず誰にも気づかれず。
それでもかまわなかった。リズをしっかりと抱き締めたまま、海へとゆっくりと近づいて。強い揺れになぎ倒されないように踏み出す足に力を込めて。
誰も見ていない誰も邪魔に入らないこの景色を、いつまでもどこまでもその目に収め続けていたいと思っていた。
美しさは心に波を打ち、生きた感覚は冷たくも心地よい風を運んで来る。元の世界、そこでの幹人の移動範囲では決して目にはしなかったであろう美しくも恐ろしい、激しくあれどもどこか優しい海の姿。例え元の世界で目に入れたところで、ここまで心を動かすことなど出来なかったかも知れなかった。
「こっちに来てから、少しは変われたかな」
生きることに必死になった秋のこと、これまでの人生での心境とは全く異なるものを得て、元の世界での生き様とは異なった必死を抱き続けて疲れた身とゲームやマンガに音楽といった趣味はおろか、生活に必要だと思っていたインフラ整備や調理器具すら元の世界ほど整えられていない環境で生きて、身からなにかが剥がれ落ちたような気分だった。
――今の想いで前の趣味に触れたら……もっと楽しいだろうなあ
味わったことが増えたからこそ広がる世界、幹人という人間を育むには元の世界ひとつではあまりにも狭すぎた。
そうこう眺めている内に、次に踏み込む陸地が海の向こうから迫ってきていた。幹人は身体を伸ばして欠伸を嚙み殺し、部屋へと戻る。リリを揺すり起こして船を出る準備を始めた。リズは抱いたまま鞄を持って。やがて船が止まったことを確認して進み始めた。
次に踏み出す国はどのようなものなのだろうか、想像するだけでワクワクが止まらない。リリは支度が出来たそうで、アナを引き連れて幹人と合流し、船を出た。
「ここが竜の少女を信仰する国、〈ドラゴニクス王国〉と呼ばれる場所」
「聞いたことあるぜ、確か王の地位が少し落ちたんだってな」
アナの応えにリリは大きく頷いた。現実の存在ではそれを超越した神秘には敵わない。そう、人の治める国に竜の少女などという新たな信仰が入ってきてしまっては王の立場も危ういとのこと。
幹人には理解が及ばなかった。
なぜ新しい信仰、それも異形のものを讃えるものが入った途端勢力が変わってしまうのか。その英雄譚を聞いてみないことには分からない、そう結論を出して訊いてみた。
曰く、竜が国に攻めてきた時、竜の少女が現れて助けてくれた。初めて見たその存在に慄き槍を向けたのだそうだが、竜の少女はなにも求めずに去って行ったのだとか。
そうしたことから遅れて救世主への信仰が芽生えて今では王よりも讃えられし者となったのだそうだ。
「時期は違うけれどドラゴンカーニバルという竜の少女の信仰者主催のお祭りもあるのだよ」
詳しく聞くからに屋台がずらりと並び、竜の少女のコスプレをする女が入り乱れ、ミスドラゴンガールと称したミスコンのようなものもするのだという。
竜の少女、コス、美人。
幹人の心は熱い感情を、オトコの生きがいを実感していた。表情からも分かってしまうそれを目にしてリリはため息をついて幹人の手を握りしめる。
「イケナイね、キミはホントウにイケナイ子だね」
変態は男のロマンの妄想、止められないやめられない。
「そうした考えは私だけにしてくれないかい?」
妬いているリリの顔はいつもよりも幼く見えて、今の幹人には可愛らしく映っていた。しばらく頭を回り巡り続ける妄想、リリのコスプレが見てみたい、そんな衝動に駆られていた。
「いや私に求めてますって顔されてもね……流石にここじゃあ」
見渡す限り普通の港町。魚や肉を焼く人々は賑わいを町に蒔いて降らせて活気で照らしていた。この中で竜の少女のコスプレなど恥ずかしくてたまらなくて、オマケにこの時期では即効で不審者という二つ名を頂戴することができるだろう。
リリの肩にはいつの間にかカイコガのメイアが乗せられていた。魔法を扱える者にとっては入出国の検査はあいさつの代わり、寧ろ堂々と公に使い魔を教えずに忍び込むことのできるこの上ない理由だった。
「さあて、可愛い子ちゃんだらけの旅、たまらないね」
そう、堂々と隠す。矛盾の塊のようなことが横行するのだ。




