捕まえて
追いかけて、速度を上げて。闇を見通す目が標的との間に開いた距離を数え続ける。大きな差、少し縮んで、差は埋められて。
そこでリリは手慣れた様子で目にも止まらぬ速さでしゃがみ込んで地に手を着く。途端、葉はざわめいて揺れて跳ねて地面を叩き揺らす何かが森の底を突き破って飛び出してきた。地中より伸びるモノは触手のようにうねりながら地を唸らせ進んで逃げる男へと迫る。それは動きによらず固い感触を持ったもの。魔法の力で立派な捕縛用具にされた木の根。
男の元へと追いついた根はリリが立ち上がって手を伸ばすとともに標的を包み込んで強烈に縛り上げてしまった。それを確認して動けずもがき続ける者にふたりは近づいた。
「待ってくれ、俺は命令されただけだ」
そう叫ぶ見るからに醜い存在。それはいかにもな命乞いの言葉。事実か否か、リリの口から問い出され始めた。
木の根に強く縛り上げられて呻くように絞り出された男の語りを信じるなら盗賊に命令されたのだとか。村人の命が惜しければ少年と大人の女の二人組を殺せ、といった内容で。
「俺は英雄だ! この身を捧げて大事な村の住民を救う英雄なんだ」
しかしやり口は不意打ち、生物兵器。とてもではないがまともな人間には見えなかった。リリはため息をつきながら木の根を緩めて英雄を名乗る愚かなる存在を解放した。
男は安心したように脱力したその後にすぐさまイヤらしいニヤけを浮かべて指を鳴らした。
広い広い闇の底、深淵を思わせる空間の中から何かが迫りくる。
「やれやれ、懲りない男。そんなだと嫌われてしまうだろうよ」
木の根に手を着いて、それを身の丈に合わぬ大きな剣へと姿を変えて豪快に振り回した。剣が描く軌跡は虚空色から闇色へ、やがては獣を引き裂いて鮮やかな赤を巻き込みながら見事な曲線を刻んでいた。飛び散り撒き散る赤くて微かに粘り気のある生々しい水の描く曲線を眺めてリリは口を開く。
「たとえ改造されたとしても……その身体に流れる血は紅かった」
幹人には全くもってリリの思うことが理解できないものの、なにかしら思うところはあったのだろう。それだけは受け取ることができた。
「寧ろ紅い血が流れているのかどうか、ワカラナイのはそこの男の方みたいだね」
声に棘を飾り付けて流していたリリが音もなく右手を挙げる。その行為と共に落ち葉が身を伸ばして男の首を絞め始めた。
「ねえ、リリお姉さんに見せておくれ。もしかしたらカラフルな血かも知れないねえ」
そんなはずはなかった。殺してしまわないだろうか、心配を胸に抱いて恐る恐る見守りつつリリの左手を強く握っていた。そんな幹人の手のぬくもりを感じながらリリは優しく笑って見せた。
「ふふ、大丈夫。加減はできてるから」
男の意識はこの世から少し遠のいただろうか、力が抜けて首を垂れ下げるように折り曲げていた。それを確認して葉っぱたちは自然の地へと眠りに戻った。
「さてと、それ、運ぶよ」
リリの指す先には無理やり意識を己の中へと閉じ込められた男、動物のことを道具程度にしか考えずに平然とした顔で改造を施す恐ろしき者。おぞましさは幹人の背に乗せられ運ばれ始める。
「起きないよね」
「保証はできないね」
恐いこと言わないでよ、そう残して森を抜け出した。空は闇に包まれ始めていて、決して歓迎を感じ取ることのできるような表情ではなかった。
「暗くなってしまって……明るく生きなよ笑顔でさ」
リリの声はあまり響かない、落ち着いた声では闇に削られ消え去るだけ。そこに広がる静寂という波ひとつないみなもの空気は助けになどなれなくて。
進み歩み、リリの目にはなにか映っているのだろうか、斜め前を見つめていた。しばらく歩き続け、静寂を浴び続ける。どれほどの静寂なのだろう、ただただ黙り切っていた。恐らく敵がいないか、盗賊の残党を警戒しているのだろう。
緊張の歩き、敵は既に幹人の背に乗っている。目を覚ませば即座に再び戦闘の始まりなのだ。
どれだけの時を費やしただろう、ようやくリリは口を開いた。
「村が見えてきた」
リリがひたすら見ていたものは村だったようだ。そのままペースを緩めずに歩いて、ようやく村に足を踏み入れることができた。
そのまま歩いて明かりのともる集会所へと吸い寄せられるように入って男たちと目を合わせる。
顔を逸らした。村の真実、繭の眷属という風聞の裏に隠された事実を知っている身としてはあまりにも気まずかった。集会所で話す男たちのあの笑顔の裏に描かれた表情はいかなるものだろう。邪悪と呼ぶに相応しいものかもしれない、悲しみそのものなのかもしれない。
知ってしまうのはあまりにも恐ろしい。例え死者を思っていたとしても、しっかりと発達してひとりひとりを大切になどと表面だけの言葉でも教えられるほどの文明の価値感で生きていた幹人にはこの村人の心情など知りたくもなかった。
村人の目をしっかりと見つめてリリは仮面に隠された顔のまま訊ね始めた。
「ねえ、ここの男、村人なのでしょう?」
男たちは恐ろしいものを見るような眼で幹人の背に身を預けるその男を見ていた。
「その様子だとあなたたちも好きではなかったみたいね」
男たちは声を潜めて話し合ったのちに、幹人から恐ろしき男を預かって集会場を後にする。彼らの行動から感情は見当たらず、これからのあの男への処遇を想像するだけで幹人の背筋は凍り付くばかりだった。




