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「今日はどうもありがとう。さっきも言ったが、どの料理も素晴らしかったです。あのままメニューも味も変えず、お父さんにも食べさせてあげればいいんじゃないかな。きっと喜ぶと思う」
そう神山さんが料理を褒めてくれたのは、食事が済んで帰ることになった彼を、途中まで真琴が送っていた時だった。二人が歩く駅までの通りの歩道には、並木のハナミズキの梢が影を落としていた。
「……あの、その父のことなんですけど」
真琴はおずおず言った。歩道に枯れ落ちたハナミズキの赤い葉を二人が踏みつける、カシュカシュという音がしていた。秋の午後の、気の抜けるような陽射しが暖かい。
「うん?」
「本当は私、父はいないんです。もう十年以上前に亡くなっていて。今日は、実のところはただ神山さんに料理を食べてもらいたくてお誘いしました」
数秒の沈黙があった。真琴が見ると、神山さんは何か深く考えているようだった。
「……分からないな。どうしてそんな嘘を」
沈黙の後に発されたその声には、とまどいと、微かな不愉快の念が含まれていた。
真琴は、ここが正念場だ、めげちゃいけない、このまま一度きりのランチで終わらしてはいけないんだ、と自分を鼓舞した。真琴は早口でしゃべりだした。
「私――私、神山さんのことをお父さんのように思っていて。どうしてもプライベートでお会いしたかったんです。父が死んで、もう会えない寂しさもありました。でもそれを正直に言うと、あんまり重い話で、会うことをお断りされちゃうかなと思って嘘をつきました」
「……」
道の両脇には田舎らしく敷地の広い住宅が並んでいた。辺りに二人の他に人気は無い。視線の先に、駅のロータリーが小さく見えてきた。
「神山さんのこと、本当にお父さんみたいに思っているんです。そんなの、ご迷惑かも知れませんが……。もしよければ、これからも時々、今日みたいに私とプライベートで会ってくれませんか」
(言い切った)
真琴は思った。もちろん本当は、神山さんのことは「父親のように」ではなく、男性として慕っている。しかし今の段階でそれをぶっちゃけるのは、彼女にとってあまりにハードルが高かった。とにかくこれからも会える素地を作って、二人の時間を重ねて距離を詰めながら、いつか本当の思いを打ち明けられれば――。そういう、少々姑息な作戦だった。
「……そういうことでしたか。いいですよ」
神山さんがそう言った瞬間、真琴は自分の心臓が破裂するのではないかと思った。神山さんは右隣を歩く真琴をちらと見て、
「今日はごちそうしてもらったから、次は私がどこかの店に案内しましょうか。そう、小山にいいイタリアンの店があるんだ」
笑顔でそう言った。
「本当ですか?」
真琴は声がうわずるのを必死で抑えなければならなかった。
「ええ、もちろん」
「ありがとうございます!」
「ははは。ああ、それでね」
そう言いながら神山さんが顔をわずかに曇らせたので、真琴は不審に思った。
「なんですか?」
「実は私からも、ひとつ、君にお願いがあるんだ」
「お願い、ですか? なんでしょう」
「いや――、やっぱり、ちょっと恥ずかしいな。また今度にしよう」
神山さんが口の端に不自然な笑みを浮かべてそう言うので、真琴は焦れた。
「おっしゃってください。私にできることならなんでもします」
「そうかね」
「はい」
「よく分からないので教えて欲しいんだが――、あの、君の店にいる池上さん、彼女に散髪を担当してもらうのには、どうすればいいのかな? 私、美容室の指名のシステムがよく分からなくて。以前は店長さんに切ってもらっていて、君が入店してから担当を引き継いでもらったわけだけど。……恥ずかしながら、私、池上さんにどうも好意を持ってしまったらしい。君とはこんなに友達のようにすらすらしゃべれるのに、シャンプーしてもらう時なんかに彼女と話すと、緊張でうまくしゃべれないんだ」
「……」
秋の陽射しが相変わらず二人の左側からたっぷり降り注いでいた。どこかの家の庭で犬がひとしきり鳴いた。
「お願いだから池上さんに担当を代わってもらうよう、君から図ってくれないかな。君とはこれからプライベートで会うようになるわけだし、かまわないだろう?」
その会話中も二人は歩みを続けていた。だいぶ大きく見えるようになった那生駅に、JR宇都宮線の電車が滑り込むところだった。