最終話-ただいま-
「もう……ユイは、泣き虫だなぁっ」
そういうチェシャも泣いていると思うユイ。
「ふふ、仕方ないなキミたちは」
柔らかい笑みで2人を見守るマッド。
「さよなら……みんな」
元の世界に帰る、目を閉じて強く願うユイ。
「ユイ……大好き」
彼女の体が消滅する寸前、触れた唇と囁かれた言葉。
その主が誰なのか確かめる間もなく……彼女の体は消え去った。
***
「ん……」
ユイが次に目を開けると、そこは自分の部屋……ではなく病院のベッドの上だった。
「みんな!」
バッと飛び起きて辺りを見渡すと、そこは不思議の国ではなかった。
現実世界に帰ってきたんだとホッとするユイ。
彼女はそっと自分の唇に触れる……。
あれは一体……誰だったのだろうか。
「ユイ……?」
そんなことを考えていると、自分を呼ぶ声がした。
そちらに目を向けるとクニヒコの姿があった。
「良かった……!」
力強くクニヒコはユイを抱きしめる。
「お父さんっ……」
温かい……ユイは父の温もりに安堵した。
話を聞くと2日間、眠り続けていたそうだ。
ユイが不思議の国にいたのはちょうど2日。
辻褄が合う、やはりあれは夢だったのかと思うユイ。
「実はなユイ、5年前にも似たようなことが起きたんだ。外国に住むアリスという少女が、ブラッドムーンの日を境に目覚めなくなった、永遠に」
5年前、アリス、ブラッドムーン、永遠に目覚めなくなった。
父の話を聞いたユイは、この世界と不思議の国はブラッドムーンの日に繋がるのではないかと考えた。
そして同時に、あの世界で死んでしまうと二度と戻れなくなると。
「ユイ……いつも厳しく当たってすまない。母さんが死んで、仕事もしながらお前を育てるので手一杯だった。お前にストレスをぶつけていた……。お前の机に置いてあったノートを見た、真剣に自分の夢に取り組んでいるんだな。ちゃんと話を聞いてやれなくて、すまない」
初めて、父が自分の夢を認めてくれたと感じるユイ。
「ううん。私も、お父さんが怖くてちゃんと話そうとしなかったから。お父さん、私がやりたいこと、私にとって必要なこと、命を懸けていきたいもの。それが小説なの。だから私──」
「行きたいんだろ? 専門学校に。お前にもお前の人生があるんだ、子どもの夢を親が潰しちゃダメだよな。……頑張れよ」
クニヒコは優しくユイの頭を撫でる。
「ありがとう、お父さんっ」
「ああ……これからはもう少し優しくするよ。家事も手伝う。何かあればすぐに言え。お前は俺と母さんの大事な娘だ。愛してるよ、ユイ」
この時、ユイの目にはクニヒコがクヴィスリングと重なって見えた。
父とも和解したユイは無事に退院すると、担任であるシンから出されていた物語創作の課題に取り掛かった。
不思議の国で体験した出来事を本にまとめることにしたのだ。
記憶が薄らぐ前に。
忘れてしまう前に全部を書き留めようとペンを手に取って、原稿用紙に記していく。
タイトルは“ナイトメア・イン・ワンダーランド”。
***
ユイが帰った不思議の国では、チェシャが膝を抱えて顔をうずめていた。
「どうです? 良い行いをした気分は?」
赤い月を眺めていたクヴィスリングにマッドが声をかける。
「すごく良い気分だ」
清々しい表情で、何かから解放されたようにスッキリしているクヴィスリング。
不思議の国と言えど、月が赤くなる現象は頻繁に起こるものではない。
5年に一度しか訪れない珍しいものだ。
この世界でもユイが来る前日の空に、ブラッドムーンが観測されていた。
次に見れるのは5年後だ。
しかし今宵、空には赤い月が浮かんでいる。
「願いを叶えよ、ですか。良い魔法ですね」
「自分の為に作った魔法だ、消費が大きいから使ってこなかったのに。誰かの幸せを願う日が来るなんてな」
穏やかな笑みを浮かべる彼の横顔を見たマッドは、アフェリそっくりだなと微笑む。
「あなたはアリスではなくユイを愛していたのかもしれませんね。容姿を似せたところで本物を超えるものはない」
赤い月を見ながら話すマッドの目から、一筋の涙が流れた。
「そうかもしれない。オレはアフェリを超えたくて、アイツの笑顔を壊したくて、アリスを好きになったと錯覚していた。本当の愛は……もう手の届かない所に行ってしまったな」
ユイをこの世界に導いたのは、クヴィスリング自身。
ブラッドムーンの夜、アリスに会いたいと願ってしまった。
そして現れた、アリス……そっくりの少女。
でも外見は似ていても、中身は全く違った。
ユイは……自分を見てくれた。
闇に閉ざされた心に光を当ててくれた。
自分は彼女を、愛していたんだと……。
「また迷い込んできたら、求婚してみるかな」
「ならばチェシャを敵に回しますね」
冗談交じりにマッドは、膝を抱えて小さくなっている彼に目を向けた。
「だな、アイツも最後の最後にやってくれる」
踵を返してクヴィスリングは去っていく。
「どちらへ?」
「魔力を回復するんだ。この魔法は願いを叶える為にある……ちゃんと兵たちに謝らないとな。それにルスクオーレを復興させたい」
強い意志のこもった目。
そこには迷いなど一切なかった。
「無理なさらず」
「ああ、じゃあな」
クヴィスリングの後ろ姿を見送ったマッドは、赤い月を見上げる。
「ありがとう、ユイ。キミのおかげでハッピーエンドになれそうだ。……アフェリ、アリス。キミたちは今、笑っているかな」-fin-