第4話-心-
「どういうこと?」
ユイは疑問符を浮かべながら、投げかける。
そしてマッドはアリスという少女がいたことを語った。
心優しい子で、自分やチェシャとも仲が良かったこと。
国王であるアフェリと恋仲だったこと。
しかし彼女は元の世界に帰ってしまったこと。
それが原因で温和だった国王は、まるで別人のように暴君へ変わってしまったんだと話す。
「今のアフェリは嫌いニャン! 遊びに行ったら攻撃されたもん。うぅ……ユイ~」
口を尖らせたチェシャは、ユイを引き寄せると後ろから抱き締める。
「ちぇ、チェシャ……重い」
ユイに全体重を預けているチェシャ。
彼女は倒れないようになんとか踏ん張っている。
「こら。ユイが潰れてしまう、離れておやり」
「……はぁい。でも立つの疲れたぁ」
マッドのおかげで体が軽くなったユイ。
しかしチェシャの腕は彼女から離れない。
「まぁ立ち話はアレだし、座ろうか」
「さーんせい! ユイはオレっちの上ね?」
「え? わっ」
答える前にユイの体は、チェシャの膝上に下ろされる。
「重くない? 平気?」
「うん♪ ちょうどいいよ」
チェシャはゴロゴロと喉を鳴らすと、ユイの首元に顔をうずめた。
柔らかい髪が触れて、くすぐったさに体を捩るユイ。
「ふふ、チェシャがそんなに懐くのも珍しい。さて、話の続きをしようか」
向かい側の席に座ったマッドが口を開いた。
「今この国はね、王に怯えて支配されている。自由になりたいものだね……」
「5年前に戻りたいニャンよ……」
2人の話を聞いて自分の知っている『不思議の国のアリス』とは全く違うと思った。
あの作品に出てくるキャラは、みんな楽しそうだった。
こんなに悲しく、苦しい表情はしていなかったと。
どうして自分は、迷い込んでしまったのだろうかと自問する。
そして一つの可能性を見出した。
「私、寝る前に『不思議の国のアリス』と続編になった『鏡の国のアリス』についてまとめたんだけど。それって関係あるかな?」
「それも一理あるかも。ここは不思議の国、何が起こるか……住人であるボクたちも分からないからね」
マッドとユイが話しているのを黙って聞いているチェシャ。
目を閉じて眠っているようにも見える。
「ユイ、こっち見て」
ゆっくり目を開けたチェシャは、真面目な口調で話す。
「ん?」
彼の言葉に従って後ろに振り向くユイ。
「もう少し他人を疑うことを覚えた方が良い……心を見せて」
灰色だったチェシャの瞳が変わっていく。
「え……」
金色の瞳と視線が絡み合った瞬間、ユイの心臓が大きく脈打った。
「話してごらん。キミの心を」
その言葉を皮切りに、ユイの表情が沈んでいく。
「私は童話作家になりたい……でもお父さんに反対されていて」
ポツリポツリと彼女は心の内を話していく。
自分を認めてくれない父より、自分を認めてくれる人に出会いたかった。
父に褒めて欲しい。
父に認めて欲しい。
おそらくこの世界に来たのは現実から、父から、目を背けたかったから。
でも本当は反発したくない。
真正面から向き合って話したい。
「話を聞いて欲しい……だから、帰りたいっ」
父への想い。
帰りたいという思いを吐露したユイ。
彼女の目からは涙が、玉のように零れ落ちる。
「ユイ」
席を立って、ユイの前でしゃがみ込んだマッドは彼女の手を握る。
「本音を話してくれてありがとう、聞けて良かった。約束しよう、キミを必ず元の世界に帰してあげる」
「オレっちも協力するよ」
ユイの右手をチェシャ。
左手をマッドが握る。
「うん、ありがとう……2人とも」
ふにゃっと笑ったユイ。
彼女の目尻に残る涙を、チェシャが舐めとる。
いたずらっ子のように笑った彼の瞳は灰色に戻っていた。
「あ、れ? 私どうして……あんなことを」
ユイはハッとなり、気づく。
なぜ自分の気持ちを言ってしまったのだろうかと。
金色に変わったチェシャの瞳を見た後に、自分の意志に反して話してしまった。
「あれは~、オレっちの魔法“心を見せて”」
他人の奥底にある隠された思いを強制的に引き出せる。
しかし用心深い人間には効かないため、使いどころは限られていると説明するチェシャ。
「ユイは魔力がないようだから、想像以上に効いてしまったようだね」
「久しぶりに魔法を使えたから良かったニャン。ユイの本音も聞けたし」
穏やかな笑みを浮かべる2人を見て、気持ちがスッと楽になったユイ。
「ありがとう。今すごくスッキリしてる」
「それは良かった」
マッドは安堵したのか、座っていたイスに戻り腰を下ろした。
チェシャは相変わらずユイを抱えたままだ。
「ねぇアリスさんは元の世界に帰れたんでしょ? どうやって帰ったの?」
ユイの質問に2人は表情を曇らせた。
「ごめん、分からないんだ。アフェリから突然聞かされてね」
「じゃあアフェリさんに会うしか、元の世界に帰る方法は分からないってこと?」
ユイの言葉に2人は頷く。
「でも今のアフェリに会うのは難しいと思う。5年前だったらともかく、こちらの要求も聞いてくれるかは分からない。……ボクたちも全然会えていないからね」
昔はすごく仲が良かったんだよとマッドは話した。
「どうすれば良いんだろう……」
アフェリにしか元の世界に帰る方法は分からないはず。
しかし暴君になってしまった彼に会うのは至難の業。
どうすれば突破口を開けるだろうかと、ユイは頭を悩ます。
「ねぇねぇ。ユイをアリスにしたらぁ、アフェリも会ってくれるんじゃない?」
唐突に口を開いたチェシャ。
あまりにも突然のことだった為、ユイとマッドは頭に疑問符を浮かべた。
「もしかしてだけど、チェシャ? それってユイがアリスのフリをして、アフェリに会いに行くということかい?」
「そうだよ?」
至って真面目に答えたチェシャ。
アフェリが暴君に変わった理由が、元の世界に帰ってしまったアリスだとする。
だったら彼女そっくりのユイと接触させれば、元の優しい王様に戻るんじゃないかとチェシャは話した。
「なるほどね。無謀にも感じるけど、一理ある」
顎に手を当てて、考える仕草のマッド。
「でも最優先すべきはユイの気持ち。ユイ……アリスのフリをしてくれるかい?」
それは決して、強制的にイエスを求めない問いかけだった。
ノーとも言える。
決めるのはユイ自身だ。
彼女は元の世界に帰りたい気持ちと、不思議の国を救いたい気持ちに駆られていた。
自分がアリスを演じることで、この世界を救えるかもしれない。
誰かの役に立てるかもしれない。
終わるならバッドエンドではなくハッピーエンドで終わりたいと。
そして何より、アリスの一番近くにいたアフェリなら元の世界に帰る方法を知っているかもしれないと考えたユイ。
「私、アフェリさんに会うよ」
ユイはチェシャの提案を受け入れた。
元の世界に帰るには、アフェリを優しい頃に戻して不思議の国を救うしかないと考えたからだ。
やるべきことが決まった3人は、マッドの淹れた紅茶で一休みすることになった。
「……ふわぁ」
マッドが紅茶を淹れている間、チェシャは大きなあくびをした。
眠いのかなとユイはチラッと彼に目を向ける。
「お待たせ」
戻ってきたマッドはティーセットが乗ったトレイを手に持っていた。
「マッド、なんでカップが2つだけなの?」
ここにいるのは3人。
一つ足りないと不審に思うユイ。
「直に分かるよ」
多くを語らずにトレイをテーブルに置いたマッド。
その音にチェシャの耳がピクリと反応する。
「飽きた」
「え?」
一言呟いたチェシャは、ユイを抱えたまま席を立つ。
「よいしょ。バイバーイ」
ユイを先程まで自分が座っていたイスに下ろすと、手を振りながら小屋を出て行ってしまった。
奇怪な行動にユイが面喰っていると、マッドがフォローを入れる。
「チェシャはね、猫の獣人だから飽きっぽいんだ。彼っていつもは飄々としているけど、たまにボクでも驚くようなアイデアを出してくる。でも急に帰ったりすることも多くて、気分屋なのさ」
あくびをするのも集中力が切れた証拠だと説明するマッド。
ユイは彼の話を聞いて、チェシャの行動に納得できた。
「じゃあカップが2つしかないのも……」
「飽きて帰るだろうと分かっていたからね」
いつものことだと、マッドは紅茶を口に含んだ。