91話 脅威だよ
深夜にもかかわらず、【豪傑達の砦】ギルドマスター、ハインリヒ=ファウストの私室には灯りがついていた。
緊急クエストを終えたライラが、その結果報告を行っていたからだ。
ライラは第517【異界迷宮】でイザクやアイリスと遭遇したことは明かさず、単独で攻略後、宝物庫には『星導文書』は無かったと偽った。
「――わかった。もう下がってよい」
「はい。失礼致します」
特に訝られることなく報告を終え、ライラはハインリヒの私室を後にした。
「ふう……」
廊下を歩きながら、安堵からつい溜め息を零す。
嘘は苦手だ。顔には出していなかったが、バレたらどうしようかと心中穏やかではなかったのだ。
そんな彼女に、横から愉快気な声が掛けられた。
「いけないなぁ。虚偽の報告をするなんて」
「ッ……!」
ギクリとしたライラは、出来る限り平静を装って、声の方へ顔を向けた。
「聞いていらしたのですか……?アドラーさん」
「いやぁ、偶然聞こえてしまってね」
そう嘯くアドラーの肩に炎の蜥蜴が登り、すぐに跡形もなく消えた。
ライラは胡乱気に目を細める。
「……盗聴も可能とは、相変わらず末恐ろしいほど便利な魔法ですね」
「まあね。でも、僕にはこれしかないから」
「盗聴の件はさておき、どうして虚偽の報告だと?」
「ふふ、実は王都でローグと会ってね。いろいろ話したんだ」
「……!」
「君が向かった【異界迷宮】に彼の仲間がいたんじゃないのかい?」
ライラは少し迷いつつも、正直に答えることにした。
「……はい、その通りです。しかし、ローグが貴方とまともに話をしたのですか?顔を見た瞬間に、逃げ出すのがオチかと思いますが」
「随分変わったよ彼。そして強くなっていた。ハンデがあったとはいえ負けてしまったよ」
「貴方が負けた……⁉それよりも、ローグと戦ったのですか!」
「いろいろあってね。……彼が魔法を失って追放されたのがついこの間のことだ。しかし、既に新しい魔法を三つも発現させていた。はっきり言って異常だよ。
いつか、八つある彼の魔法スロットすべてに固有魔法が発現した時、優れた戦術勘と相まって誰も手が付けられなくなるよ、きっと」
ライラは驚愕に顔を染めていた。
これほどまでオリヴィエ以外の人物を褒めるアドラーを初めて見たからだ。
「随分と、ローグを買っていらっしゃるのですね」
「ああ。だから、唾をつけておいた」
「え?」
眉をひそめるライラに、アドラーは微笑んで言う。
「バラしたんだ。『星導文書』のことを」
「な……ッ!機密情報ですよ⁉どうしてそんなことを!」
「もしもの時は、オリヴィエと一緒に彼らのギルドに鞍替えする」
アドラーは憚ることなく堂々と告げた。
それに対し、ライラは愕然とした様子で、
「【豪傑達の砦】を、裏切るつもりですか……⁉」
「正直に言うと僕はこのギルドに何の愛着も未練もない。ただ、敵に回すと最も厄介だからここに所属しているだけ」
「……いずれ、ローグのいるギルドが最も厄介な存在になるとでも?」
「それはわからない。もう少し、成り行きを見守るとするよ。……ただ、最後に一つ、君にアドバイスを送っておこう」
「……?」
「最終的に、自分がどの勢力につくのかを考えておいた方がいいよ。このギルドに、身命を捧げていないのなら」
そう言うと、アドラーは踵を返して去っていった。
残されたライラは、【異界迷宮】でイザクから勧誘された時のことを思い出す。
今思えば、【豪傑達の砦】というしがらみを脱する最大のチャンスを逃したのかもしれないが、不思議と後悔はなかった。
アドラーが絶賛するほどのローグと、真剣勝負をしてみたいという自分が、確かにここにいるのだ。
「ったく、どれだけ隠し事があるんだあのオッサンは」
イザクとの話を終え、ローグはぶつくさと文句を言いながら、二階の私室に戻った。
そして、ドアを開けた瞬間、彼は固まることとなった。
アイリスが部屋の窓から外に逃げ出そうとしていたのだ。
「あ――」
チラリとローグの方を見たアイリスは、何事もなかったかのように、窓枠に足を掛けて外へ身を乗り出そうとする。
ハッとしたローグは慌てて、彼女の腕を掴んで止めた。
「い、いやいや待て待て!俺の部屋で何してんだ!何を盗った⁉」
「えぇっ⁉誤解です!何も盗んでなんかいませんってば!」
「正直に言え!今なら許してやらんこともない!」
「ローグさんは私が何か盗むような女に見えるんですか!」
「だってコソ泥の逃げ方じゃん!」
「あう……!」
観念したのか、アイリスは窓枠から足を下ろしてローグに体を向けた。
彼女はにへら、と笑って話を切り出した。
「いやぁ、これには深い事情がありまして――」
要約するとこのような内容だ。
ローグに話があってこの部屋を訪れたものの留守だった。中で待とうかと勝手に入室したところ、ローグが帰ってくる足音が聞こえ、反射的に窓から逃げようとしたところを見つかった、
というものである。
「――なるほど。……なるほど?」
「あー、その顔はイマイチ納得できてない反応ですね……。とにかく、何も盗んでませんし、やましいことは何もないんです!」
「はいはい。想像以上に浅い事情でびっくりした」
「ですよね~……」
「それで、話って?」
ローグはどっかりとベッドに腰を掛けながら尋ねた。
「実は、あの【異界迷宮】でライラ=ベルという人に会いました」
「そういえばアドラーがそんなこと言ってたな。ヒュースやギャロンに比べたらまともな奴だっただろ?」
「はい、すごく優しい方で話が弾みましたよ。同期であっという間に出世したローグさんに負けたくなくて、ヘラクレスを辞めずに頑張ったと言っていました」
「うぐぅ……」
それを聞いたローグは苦い顔をした。
「どうしたんですか?」
「……ライラにデカい顔できたのは半年も満たなかった。すぐに実力で抜かれて、立場でも並ばれた。挙句の果てに俺はギルドを追放されて天と地ほどの差をつけられる始末……。
アイツ、やっぱり俺のこと馬鹿にしてた……?」
ローグは溜め息交じりにおそるおそる尋ねる。
「そんなことはないですよ。むしろ、ローグさんのことをよろしく頼むとまで言われましたし」
「……本当かそれ?にわかには信じられねえ」
「本当ですよ。それを聞いて私はホッとしたんです」
微笑んでそんなことを言うアイリスに、ローグはキョトンとした。
「何で?」
「だって、ローグさんがいたから今のライラさんがあるんですよ。それってつまり、ローグさんがヘラクレスで過ごした三年間は、無駄じゃなかったということなんですから」
「――!」
ローグの目が驚きに見開かれた。
そんな反応をさせてしまったことに対して、アイリスは申し訳なく思って決まり悪げな顔をした。
「私は【小心者の子馬】から追放を言い渡された時、それまで積み重ねた時間と苦労が一瞬で無駄になった気がしました。跡には何も残らなかったと感じて心が潰れてしまいそうでした。もしかしたらローグさんもそうじゃないかと心配だったんですが、そうじゃなかったから良かった」
「…………」
変わった奴だと彼は思った。自分なら、まず他人をそこまで気に掛けることはない。
アイリス=グッドホープは想像が及ばないほどのお人好しなのだろう。
彼女の真剣な顔を見ているうちに、ローグはつい吹き出してしまった。
「ぷっ……、はははは!そんなこと気にしてたのか?俺はお前が思う程やわな奴じゃないんだよ」
茶化されたことに、アイリスは少しムッとする。
「杞憂ならそれに越したことはないんです!私が言いたかったのはこれだけですので、もう戻りますね」
最後に、おやすみなさいと告げて、アイリスは出て行った。
ローグはそのままベッドに横になって一人呟く。
「ほんとにそれだけ言うために来たのか……。面白い奴」
だが確かに、自覚していなかった心の傷に気づくと同時に、それが癒されていくのをローグは感じていた。
その夜は、不思議なほどあっさりと、そしてぐっすりと眠りにつくことができた。
そして夜が明け、彼の新たな冒険者生活が幕を開ける。
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『92話 とある新規ギルドの躍動』に続く
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