84話 好きなのか?
改めて名を聞かれたイザクは、軽く苦笑して名乗った。
「俺はイザク=オールドバングだ。それ以外の、何者でもない」
ライラは、返答によるオーラの変化をじっと観察して、
「……やはり先ほどと同じですね。また紫になりました」
「別に嘘は言っていないんだがなぁ」
「まだお聞きしたいことは山ほどありますが、約束ですから。今回はこれで退くとします」
ライラは肩の力を抜いたように、声を柔らかくして言った。
これで終わりのような雰囲気だが、イザクはある単語を聞き逃さなかった。
「今回は、っていうことは嬢ちゃん、また来る気か?」
「ええ、謎が解けるまで何度でも」
「まいったな……、う~ん……」
イザクは後ろ頭をボリボリと掻くと、
「……ウチのギルドに入ってくれたら全部話してやってもいい。何なら、嬢ちゃんが聞きたいこと以上の情報まで教えてやらんこともない」
ニヤリと笑みを浮かべてそんなことを言った。
「…………」
少し考えるライラだったが、
「いえ、遠慮しておきましょう。今の地位を捨ててまで、それに足り得る情報とは限りませんから」
微笑んでそう返答した。
「ううむ、そいつは残念」
「マ・ス・タ・アアアアアッ!」
すると、遠くから怒り溢れる声が聞こえてきた。
イザクとライラがそちらを向くと、ドドドドド!という勢いでアイリスが駆けてくるところだった。
「あ、コイツのこと忘れてた」
「マスター!いきなりあんな遠くまで飛ばすなんて酷いじゃないですかァ!見てくださいよこの格好!」
そう荒ぶるアイリスは全身の土塗れとなって汚れてしまっていた。
「すまんすまん。許せアイリス。お前を戦闘に巻き込んじまうと思ったからだ」
「青くなりました」
「え⁉」
ライラの一言にイザクはギクリとする。彼がアイリスを遠ざけた本当の理由は、余計な話を聞かれたくなかったからである。ライラは【ラインの黄金】によってそれを指摘したのだ。
「嬢ちゃん、まだその魔法使ってたのか……」
油断ならないなと思うイザクの隣で、アイリスはブツブツと文句を言っていた。
「もう、早くお風呂に入りたいですよ。ローグさんのおかげで作れたケープもこんなに汚れちゃいましたし……」
「……!アイリスだったか。今、ローグと言わなかったか?」
「はい、言いましたけど?……あ、ライラさんも【豪傑達の砦】所属でしたね。じゃあローグさんのこと、よくご存知なんですか?」
「知ってるも何も、ローグとは同期だったからそれなりに交流があるんだ。彼は今どこで何をしている?」
「今は王都にいるはずですよ。私たちのギルドの創設申請に向かってもらっているので」
その言葉を聞いたライラは思わず瞠目した。
彼女はイザクに顔を向けて、
「お、驚きました。タダで転ばない奴だとは思っていましたが、まさか貴方の元で冒険者を続けようとしていたとは……!」
「ま、そういうことだ。顔馴染みもいることだし、ウチに入れば嬢ちゃんもきっと楽しいと思うが」
再三の勧誘に対し、ライラはまたしてもかぶりを振った。
「……私もそう思いますが、やはり遠慮しておきます。ローグと争ってみたいという自分がいますので」
「はっはっは。じゃあ仕方ない。悪かったな、何度も」
「あの、ライラさん」
再びアイリスが二人の会話に割って入った。
「争う、というのはライラさんもローグさんのことを嫌っているんですか?」
「どうしてそう思う?」
その問いに、アイリスは決まりが悪そうに目を逸らして言う。
「以前、ヒュースというヘラクレスの冒険者に私たちは襲われたんです……。その人は殺意を剥き出しにするほどローグさんを嫌っていました。だから、ライラさんもローグさんと会ったら、そんな風にするのかな、と……」
「……もし仮にそうだとしたら、君はどうする?」
ライラはわざと低い声でそう言った。
しかしアイリスは怯むことなくまっすぐと、目の前の鎧を纏った少女を見据える。
「私がローグさんを守ります。あの人には、たくさん恩がありますから……!」
「……そうか」
ライラは、ふっ、と笑みを零した。
「安心していい。私はヒュースのように乱暴なことはしない」
いやいやどの口が言うんだ、とイザクが心の中で突っ込んだ。
「ただ、別のギルドの冒険者として覇を競い合いたいと思っただけだよ」
「そうですか……。良かった……」
ホッと胸を撫で下ろすアイリス。
その様子を見たライラがこんなことを言いだした。
「ひょっとしてアイリスは、ローグのことが好きなのか?」
「――――」
ライラのその言葉の意味をアイリスが呑み込むまでに、数秒の静寂が訪れた。
やがて、問われた少女の顔がみるみる赤く染まり、大慌てで身振り手振り合わせてまくし立てる。
「――な、ななな何ですか急に⁉恩があるとは言いましたけどそんな感情なんて別に私は!でも好きか嫌いかでいえばそれは好きですけど……あッ!今の好きはそういう意味ではなく人としてという好きという意味でして――ってそれもおかしいかも⁉えっとえっと人としてというのは異性としてとかではなくあのそのあれぇ何言ってんだ私ィ⁉」
瞳を潤ませてパニックになるアイリス。
イザクが腹を抱えて笑い転げる横で、ライラが笑いを堪えながら言う。
「ぷふッ、くッ……。と、とりあえず落ち着いて。い、今からする質問に、嘘でもいいから『はい』と言ってみてくれないか?」
「えっ?そ、それはどういう……」
「別に本心じゃなくていいんだ。ただ『はい』と言ってくれれば。では聞くぞ。
アイリスはローグのことが異性として好きなのか?」
「は、『はい』……」
絞り出すように、アイリスはそれを口にした。
ニヤニヤとした顔でイザクが、
「ライラの嬢ちゃん。答えはわかりきっているが一応聞いておこう。何色だ?」
「ふふ、貴方の御察しの通り、真っ赤ですよ」
「顔がですか⁉もォ!二人してからかわないでくださいよ!さっきまでの剣呑な雰囲気はどうなったんですか!」
イザクとライラの会話の意味を知る由もないアイリスは拗ねるように声を荒げたのだった。
それから小一時間ほど、ライラはアイリスと二人きりで雑談をして、一人この【異界迷宮】を後にした。
女の子同士の会話という理由でハブられていたイザクの元にアイリスが戻る。
「お、やっと戻ってきたか。ライラの嬢ちゃんは?」
「もう帰られましたよ。マスターによろしくだそうです」
「そうか。……で、アイリスは何をニヤニヤしているんだ?」
「いえ、ヘラクレスにもいい人がいるんだなと思いまして。最初は怖かったけど、話してみるとすごく優しい人でした」
その言葉にイザクは僅かに口端を吊り上げる。
「だろうな。俺も手合わせしみて、本当は臆病で気の弱い女の子なんだと思ったよ。だからあの子は心にも鎧を纏ってんのさ。心を強く見せないとあのギルドじゃやっていけそうにないからなぁ。言い換えれば、強くなりたいという気持ちが強くあったからこそ性格を変えざるを得なかったのかもしれないがな」
「……そうですね」
アイリスは切なそうに頷いた。
過酷な環境が人の心に与える影響は測り知れない。それはアイリス自身が体験してきたことでもあるため、ライラが如何に苦労してきたのかがよくわかった。そして、赤目の少年に対してもまた同様に言えることだ。
「……他にはどんな話をした?」
「他愛もない話ばかりですよ。……でも最後に一言、こう言われました。バカで調子に乗りやすい男だがよろしく頼む、と」
**********
『85話 五大都市』に続く
**********




