83話 奇妙な返答
途轍もない衝撃が第517【異界迷宮】の最終エリア全体を揺らした。
「……ん?」
グッと目を瞑っていたライラはゆっくりと瞼を開いた後、怪訝な顔をした。
イザクの拳は少女のすぐ横へと振り下ろされていたからだ。
その拳を中心として、半径十メートルほどに渡って地面がヒビ割れている。破壊力は一目瞭然だ。当たっていれば間違いなく死んでいただろう。
だが、イザクが誤って外してしまったとも考えられない。
それはつまり、見逃されたということになる。
「どういうつもりですか?」
イザクはライラの首を掴んでいた右手を離す。
「はっはっは。これで嬢ちゃんは一度死んだ。俺が何を言いたいのかわかるな?」
「これ以上詮索するな、ということでしょう?」
「ああ、その通りだ」
「……ええ、負けてしまっては、それに従わざるを得ませんね」
クソッ、とライラは心の中で吐き捨てながら立ち上がった。
見逃されたことに対してではない。自身の未熟さが、この結果を招いてしまったことに対する苛立ちだ。
「まだまだ修行が足りないな、ライラの嬢ちゃん」
調子よさげにイザクが言った。
その言葉の意味を誰よりも理解しているのはライラ自身だ。
(一撃を当てたことで心のどこかで浮足立ってしまった。挙句の果てに、見え透いた挑発に乗せられてまんまと罠に誘い出される始末……。未熟者め……ッ!)
悔し気に奥歯を噛み締めるライラに、イザクが声を掛ける。
「そう気に病むことはない。精神力は実戦を幾度も経て培っていくものだ。身のこなしは抜群だったし、嬢ちゃんはいいものを持ってる。それに、まだとっておきの魔法を使ってないだろう?」
「それはお互い様だと思いますが」
ライラは少しムッとした顔で返す。
「はっは。やはりいい人材だ。是非ともウチのギルドに欲しい」
「引き抜きですか?マスターはそのような行為を許す方ではないので、不用意な発言は控えた方がよろしいですよ」
「そんな些細なこと気にやしないさ。嬢ちゃんがウチに入ってくれたら心強いんだがなぁ」
「……あまりからかわないでください。約束通り私は大人しく退散します」
(この人と話していると調子を狂わされる……)
逃げるようにライラが踵を返そうとしたところで、
「ちょっと待て」
イザクが呼び止めた。振り返るとその表情は、たった今までおちゃらけていたものとは違い、引き締まったものへと一変していた。
ライラは眉をひそめて尋ねる。
「何か?」
「嬢ちゃんのギルドにいる、アベル=ゾーンワイスについて聞きたいことがあるんだが」
予想外の名前が出て来たことで、少女は軽く困惑した。
「……アベルさんのお知り合いですか?あの人に交友関係があるとは知りませんでした……」
「いや、知り合いってわけじゃない。とあるツテから、俺の持ち物をその男が所持していると聞いただけなんだ。直接取りに行こうにも奴はずっと遠征から戻らないだろう?だからいつ頃戻ってくるのかを教えてくれないか?」
知り合いではないが荷物を持っている。
そんな奇妙な関係を不審に思いながらも、勝負に負けたライラは正直に答えることにした。
「予定では確か四か月後に本拠地に戻ると聞いています。ですが、一か月ほど帰還時期は前後するかもしれません。何しろ、かつてない大規模な遠征の最中ですので」
「なるほど、四か月後か……。そうか……」
イザクはそれ以上追及することはなく、再び表情を緩ませた。
「聞きたいことはそれだけだ、ありがとよ。そうだ!礼として嬢ちゃんの質問に一つ答えてやってもいい」
「えっ?」
「もちろん、内容によるがな」
「……そうですか。では一つ気になったことがあったので、そのことについて」
ライラはそう言うと、静かに魔法を唱えた。
「“愚者を暴け”、【ラインの黄金】」
彼女の見た目に変化は起こらない。それでも、準備ができたといった表情をしていた。
「魔剣ノートゥングだったか?俺はこれまでいろいろな魔剣や妖刀を見てきたが、その剣については聞いたことなくてな。もしかして、嘘を見抜くとやらのタネは今唱えた魔法か」
「はい。【ラインの黄金】を発動すると、人の体が赤いオーラを纏ったように見えます。こちらの質問に対して偽りの返答をするとその色は青に変化します。しかし、貴方の返答の中で一つだけ奇妙な反応が起こりました。それは、赤と青が混ざり合い、紫に変化するというもの」
「二つの色……、つまり俺のその返答が本当でもあり、嘘でもあると言いたいのか?」
ライラは頷いて、
「今一度問います。……貴方の名前を教えてください」
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『84話 好きなのか?」に続く
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