68話 竜種との対話
さらに時を遡ること一日前。
スピカの町での宴を終えて、ローグたちが眠りについた頃。
ログハウスのリビングでは、イザクとセラが深紅の液体が湛えられたグラスを傾けていた。
「ぶはー!うまい!町長が餞別にくれたこの酒もまた格別だ!」
「さっきまであれだけ飲んでたのにまだ飲むんですか?また気持ち悪くなっても知りませんよ~」
本当に美味しそうに飲むな~と思いつつ、少し呆れた目を向けるセラ。
「いいだろう別に。俺が酔い潰れたのはあの【異界迷宮】の酒が特殊だっただけだ。普通の酒ならああはならん!……それに、こんなに気分が良いのは久し振りなんだ。今は酒がうまくてしょうがない」
セラも微笑んでワインを一口。
「……確かに、絶品ですね~」
「本当に面白い奴らが集まってくれた。何よりリザの顔見て驚いたよ。見た目から性格までアイツにそっくりだ」
「ふふ、私も同じことを思っていました」
「だろう?どいつもこいつも、まったくもって面白い。これから楽しみだ」
イザクは再び口元までグラスを近づけたが、それを中断して、クルリとワインを回した。
「……悪いな。また心配かけちまったか」
「……そんなこと、もう慣れてしまいましたから~」
当然ながら嘘である。【異界迷宮】に行って一週間も音沙汰もなかったのだから、心配がないわけがない。セラはほんの少しの皮肉を込めてそう言ったのだ。
それがわかっているからこそ、イザクは苦笑するしかなかった。
「……はっは。そうだな」
「はい、そうですとも。まあ、あなたが帰ってくることはわかっていましたけどね~」
「…………」
「…………」
話が途切れると、二人同時に手の中のグラスを飲み干した。
ふう、と息を吐いてイザクが口を開く。
「……今のところ、ラヴィーの言った通りに事が運んでいる。これまで同様、俺はそれに従って動いていく」
「……そうですか」
セラは少し寂しそうに目を細める。
「そんな辛気臭い顔するな。まだたっぷりと時間はあるんだ。今はもっと、この時間を楽しんでいこう」
セラのグラスに新しい酒を注ぎながら、イザクはニっと笑ってそう言った。
その時、二階の方からギシギシと床が軋む音が二人の耳に届いた。
「おっと、誰か起きてきたな。この話は終いだ」
それから、数秒して一人の少女が階段を降りてリビングへと姿を現した。
「おう。どうかしたか?アイリス」
やって来たのは、寝間着姿のアイリス=グッドホープだ。
酔いが醒めて元の顔色を取り戻している彼女は、何やら神妙な面持ちをしていた。
「夜遅くにすみません。イザクさんにお願いがあるんです」
「何だ?」
「……私を、鍛えてくれませんか!」
「恋のトレーニングか!よおし、恋愛経験豊富なこの俺が手取り足取り教授してやろう!」
「い、いや!そういうのではなくて!」
「冗談だって!だはははは!」
顔を赤くして必死に否定するアイリスを見てツボるイザク。
「――あなた」
「は……ッ!」
「妻の前で堂々とセクハラとは、いい度胸ですね~」
「はははは……。ち、ちょっとしたスキンシップだから……。目が笑ってないよ~、セラちゃ~ん……」
「あの……、そろそろ私の話を聞いてもらっていいですか……」
そこでようやく、アイリスは本題を説明することができた。
内容は、新たに発現した魔法について。そして、その魔法を使うには、自分一人の力では条件を達成できないことについてだ。
「――なるほど。竜種と意思疎通できる魔法、【人竜共鳴】か……。俺も聞いたことがない魔法だな。それを試すために、あの【異界迷宮】に放置した竜種の元まで連れて行って欲しいと……」
「はい……!その通りです!宝物庫前の最終エリアなら他のモンスターもいないと聞きました。特訓をするには相応しい場所かと思いまして」
「……いいだろう。どのみち、あそこにはもう一度潜らにゃならんしな」
「ありがとうございます!あと、できればローグさんたちには内緒の方向でお願いしたいんですけど」
どうしてだ?とイザクが尋ねると、アイリスは少し意地悪な笑みを浮かべた。
「皆さんを驚かせたいだけです」
「はっはっはっは!いいねえ!俺もサプライズは大好きだ!よし、あの三人の度肝を抜いてやろう!」
そして、【異界迷宮】での場面へと至る。
「――“魂魄同調”、【人竜共鳴】!」
サラマンドラを前にして、アイリスは第三の魔法を唱えた。
(【人竜共鳴】……。これで、サラマンドラと会話ができるようになるはず。どうにか私に力を貸してもらえるようにうまく関係を築かなきゃ!)
『グルゥアアアアァァァ――』
およそ人には理解できないサラマンドラの咆哮は、次第に小さくなっていき、アイリスやイザクでも理解できるような人の言葉へと変化していった。
『――小娘ええええええッ‼よくも俺様をこんな場所に置き去りにしやがったなああああッ‼』
「ヒィィッ⁉」
アイリスは思わず体をビクゥッと震わせた。
(やっぱり怒ってるー!まあ当然だけど!)
言葉を理解したことで、サラマンドラの感情が正確に伝わるようになったのだ。自分に怒りを向けられていたはっきりわかり、アイリスの勇気が揺らいだ。
「おぉ、竜種の言葉がわかるようになった!こりゃ面白いなー!」
後ろでは、イザクが感心したような声を上げている。当然のことながら他人事である。
「はっはっは。頑張れよー」
「…………」
呑気に言うイザクに少しイラっとしつつ、アイリスは勇気を振り絞ってサラマンドラに声を掛けた。
「ご、ごめんサラマンドラ……。放りっぱなしにしちゃったことは反省してるよ。本当に」
『当然だ‼このままタダで帰れると思うなああああ‼』
「な、何でもしますから許してくださいッ‼」
常軌を逸した圧力に、つい敬語になるアイリス。
「断じて赦さん‼貴様を八つ裂きにして――、……んん?おい待て……。なぜ会話できている?
……まさか、俺様の言葉がわかるのか小娘?』
サラマンドラは、その真っ赤で大きな瞼をパチクリさせていた。初めて見る竜種の反応がアイリスにとっては新鮮で、かなり不思議な気分だった。
「……うん、そういう魔法なんだ。今ならサラマンドラが言いたいことがなんでもわかるよ」
『……ほう、そうか。ならば、貴様の罪を赦してやる。代わりに、俺様の要求を一つ聞け』
「わ、私にできることならなんでも力になるよ……ッ!」
アイリスはゴクリと息を呑んで返答した。
どんな要求をされるのか。内臓を差し出せとか言ってきたらどうしようなどと思っていると、サラマンドラは物騒な牙を生やした口を開けてこう言った。
『小娘……、俺様に、メスの気持ちを教えろッ‼』
「……………………うん?」
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『69話 厄介な客』に続く
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