65話 【猟犬の秩序】のマスター
この世界において人の定義とは、次に挙げる四種の生物のいずれかに当てはまることだ。
人間、獣人、小人、エルフ。
人として正当な扱いを受けるには、これらの種族としてこの世に生を受けなければならない。逆に言えば、その四種以外の種族は家畜、もしくはモンスターとして扱われることになる。
しかし、今でこそ四種族は対等な立場であるが、六十年ほど前までは、圧倒的な人口比率を誇る人間によって、小人、獣人、エルフの三種族も差別の対象として虐げられていた。
三種族は【異界迷宮】からこちらの世界に迷い込んだモンスターの血を引いているという古くからの言い伝えが、人間の心の奥深くに強く根差していたためだ。
身体能力や知力の面では人間よりも三種族の方が優れていたのだが、やはり数の暴力の前では抗う術はなかった。
その人種差別問題を解消するきっかけとなったのは、とある小人の男が、人間をマスターとした冒険者ギルドに所属して、目覚ましい活躍を人間たちにみせつけたことだ。
小人の名はクラノスケ=インドウ。現在、№2冒険者ギルド、【猟犬の秩序】のマスターを務めている人物である。
「ぶほッ!」
私室でお茶を啜っていたクラノスケは、それを思い切り吹き出した。
小人族特有の小さな体、そして御年七十八になる老体が激しく咳き込む。
「ゲホッ!ゲホッ!ど、どゆことぉ⁉」
その原因は、目の前で胡坐をかいた男の発言。首と両腕に数珠を巻き、藍色の着流し姿をした彼の名は、トウヤ=ムナカタ。【猟犬の秩序】の精鋭パーティの一つである二番隊で隊長を務める男だ。
「だからぁ、キヨメがウチを抜けることになったんやって」
「その経緯を説明せんか!行方不明になっとる間に何があったんじゃ!」
「新規ギルドを作るんやと。アイツの方から辞めさせて欲しいと頭を下げてきよったわ。よっぽど、その連中が気に入ってしまったみたいやで」
呆気らかんと言うトウヤ。クラノスケは動揺を隠せない。
「お、お前はそれを引き留めずに帰ってきたということか⁉新規ギルドなんぞに入っても、己の身を亡ぼすだけとわかっとるじゃろう!」
「いやいや、どの口がいうとるんや。アイツの育成を他所のギルドに丸投げして仮追放させたのはアンタやろ」
「ぬぅ……!それは、そうじゃが……」
「俺らは温かい目で送り出してやろうや」
ぐうの音も出なかった。返す言葉が何も見つからなかったクラノスケは、
「――い、いやじゃいやじゃ!キヨメはいずれ隊長になる逸材だったんじゃ!それを手放すなどありえん!」
子供のようにじたばたと駄々をこね始めたのだった。
「ちょお、やめろや……。ジジイが駄々こいても醜いだけやで」
目の前で気色の悪い光景を見せられているトウヤは、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「大体、アンタが八番隊に拘っとんのも、【豪傑達の砦】の八豪傑に対抗意識を燃やしとるだけやんけ。幹部の数なんか競ってもしゃあないわ」
それを聞いたクラノスケはピタリと動きを止め、忌々し気に口を開く。
「どんな些細なことでも、ハインリヒのアホに後れを取るのは我慢ならん!アイツが№1ギルドで、ワシが№2ギルドということなど以ての外……!それに――」
「ほれ」
話を遮るように、トウヤは何かを投げ渡した。
「ん?これは?」
「今、アンタが口にしようとした『星導文書』や」
クラノスケは丸められた羊皮紙を拡げて、それが本物であることを確認した。
「トウヤ、どこでこれを……⁉」
「キヨメの入ったギルドでマスターをやるっていうオッサンにもらった。価値はよく理解しとったで。これを使って取引を持ち掛けられたからな」
「……取引じゃと?」
トウヤは、先日イザクから持ち掛けられた取引の内容を余さず説明した。その間、クラノスケは一言も言葉を挟むことなく、神妙な顔をするだけだった。
「――なるほど。それは確かに、無視できない存在じゃの。なぜこれまで表舞台に立たなかったのか。なぜ今頃動き出したのか。謎は多い……。で、その男の名は何という?」
「イザク=オールドバング。歳はパッと見、四十そこそこってところや。その名に聞き覚えはないんか?」
その問いに、クラノスケは静かにかぶりを振った。
「…………いや、聞かぬ名だ」
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『66話 ジュウゾウ=ハザマとナナハ=シラヌイ』に続く
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