54話 アイリスと【小心者の子馬】
ジャンはアイリスが背負うバックパックを掴み、強引に引き寄せた。
「あう……⁉」
バランスを崩して転倒する。その際に、眠ったままのリザも投げ出されてしまった。
「あ、リザさん……」
特に怪我もないことにひとまず安心するが、
「おい、見ろよこれ!バックの隙間から光る物が見えたと思ったが、やっぱ【異界迷宮】の財宝だ!」
「すげえ!こんな大量の財宝なんて初めて見たぜ!」
「ねえ!これで私たち大金持ちじゃない!」
ジャン、サブ、キャロルの三人が、イザクのバックパックいっぱいに詰められた宝を見て興奮を露わにしていた。
まるで自分たちのものであるかのような口振りに、アイリスはゾッとした。
「おぉい、お前なんかがどうやってこんな宝を手に入れたんだ?あのヘラクレスの連中から騙し取ったのか?」
「アイリスってばコソ泥に転職してたのー?」
サブ、キャロルの順に聞いてくる。
「そ、それは私の……同行者が手に入れたものなんです。……返して頂けませんか?」
しん、とその場が静まり返る。
アイリスの言葉のせいで場がシラケてしまったかのような空気。彼女の心臓の音だけが聞こえるようだった。
「なあ、アイリス」
静寂を破るようにジャンが口を開いた。蛇のようにするりと肩に腕を回してくる。
「……お前、何か思い違いをしてないか?」
「え……?」
宝が詰まったバックパックをサブに投げ渡し、ジャンは口端を裂いてアイリスを見据えた。
「この宝で、俺たちはお前を許してやるって言ってるんだ。まさか、忘れたわけじゃないよな?俺たちを危険に晒したこと」
「……!」
以前アイリスは彼らを守ろうとサラマンドラを呼び出したのだが、逆に襲おうとしたとされて仲間討ちのレッテルを貼られている。。
すべて悟った。弱みを握っているのをいいことに、ジャンたちは自分の持つ宝を横取りする気でいるのだと。
「マスターに進言して、追放も取り消しにしてやるよ。【小心者の子馬】で一番強い俺の言葉ならあの人も認めてくれるだろ。お前はもう、俺たちの仲間に戻ったも同然さ。また一緒に冒険しようぜ、アイリス」
「わ、私は……」
「俺たち……、『仲間』だよな?」
「ッ!」
その単語を彼の口から聞くのはこれで二度目だった。一度目は【小心者の子馬】の入団試験を受けに行ったとき。
その単語が使われるのは、自分に利用価値があるとみなされた場合だけだと、アイリスはよく知っていた。
体が震える。大金を前にした彼らに逆らえば何をされるかわからない。
だがそれでも、その宝を渡すわけにはいかなかった。
「……私たちは、仲間じゃありません」
「……あ?」
アイリスは、キッ、とジャンを見据えて、
「だからその宝は、渡すわけにはいきません!」
そう強く言い放った。
リザも宝も何があろうと守り抜く、そう約束したのだから。
「…………まったく」
ジャンが溜め息を吐きながら、肩から手を離す。そして、
「うぐッ⁉」
突然アイリスの顏を殴りつけた。
鼻血を垂らしながら、その場に倒れ込む。
「人が親切にしてやったら付け上がりやがって。ハナからお前みたいな役立たずを仲間だなんて思っちゃいないんだよ。この間の慰謝料として、どのみち宝は置いていってもらうぜ」
嫌な予感が的中した。少女の胸の中で、焦燥が膨れ上がっていく。
「そんな不幸のヒロインみたいな顔するなよアイリス。本当に不幸なのは、そっちで寝てる赤い髪のガキだな。こんな荷物番すらできない奴と組んじまってよ。起きた時に宝が無くなってたら、さぞガッカリするんじゃねえのか?」
「ッ!お願いします!お詫びなら何でもしますから!その宝だけは、どうか……っ!」
「はははは!必死だな!返すわけないだ……ろッ!」
「がッ⁉」
腹部を蹴られ、アイリスは蹲った。
「ねー、そんな奴なんか放っておいてもう行こうよ」
「ああ。今行く」
歩き出そうとするジャン。しかし、アイリスが彼の脚に抱きつくように引き留める。
「お願い……ですから……ッ!」
「チッ、しつこいな。……ん?よく見ればお前、高そうなケープ着てるんだな」
「ッ⁉」
心臓が跳ね上がった。思わず黒い生地のケープをギュッと掴むが、ジャンは強引にそれをはぎ取る。
「この手触り……、こっちの世界にはないものだ。【異界迷宮】産か。これも高く売れそうだな」
「か、返してください!それは人からもらった大事なものなんです!」
「お前みたいなゴミに贈り物?男でもたぶらかして貢いでもらったのか⁉ま、顔だけはそこそこだからな!
しかし、どれだけ馬鹿な奴なんだ、そいつは!ハハハハ!」
その言葉だけは我慢できなかった。
アイリスは何かに弾かれたように起き上がり、目の前の男に掴みかかった。
その行動に、ジャンは激しく動揺した。彼女が直接、暴力的なことをするとは微塵も思っていなかったからだ。
だからこそ、つい全力で殴り返してしまった。
「――あ」
気づけば、アイリスは頭から血を流して倒れていた。
その体はピクリとも動かない。
「お、俺は悪くないぞ……!お前が急に襲い掛かってくるから!」
「おい、誰か来る前に行こうぜ」
ジャンたち三人は、宝が詰まったバックパックとケープを持って逃げるように去っていく。
アイリスは彼らの背中をぼんやりと見つめているうちに、意識を失った。
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『55話 アイリス=グッドホープ 前編』に続く
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