51話 ワカイカヅチ
人気のないそのエリアに、雷鳴が幾度も響く。
「くッ……!」
怒涛の如く繰り出される雷撃を前に、ヒュースは逃げに徹していた。
(この俺が……あんな奴に恐怖したのか……!いや、違う!そんなはずはない!あってたまるか!)
チラリと背後を窺うと、そこには豆粒ほどのシルエット。
攻撃の威力はローグに上回られたが、脚力ならば依然ヒュースに分があった。
(スピードで攪乱して、不意打ちで殺してやる……!)
最早、彼の頭に真正面から挑むという考えは、一切消え失せていた。
ただ、どんな手を使ってでもあの男を殺せればいい、と。
「チッ、見失ったか……!」
追いかける相手が見つからず、ローグはその足を止めた。
辺りは廃墟がいくつもあり、身を隠すにはちょうどいい場所である。
「無駄だ、まとめて吹っ飛ばす!」
視界を開けさせようと、右手に雷を激しく迸らせる。
「うおッ⁉」
だが、それを妨げるように足元へと何かが勢いよく撃ち込まれた。深く地面が抉られたそこには、粉々になった瓦礫の破片が散乱している。
「瓦礫をぶん投げただけでこれか……。あの大木みてえな腕ならではだな」
(……つーか、脚力で上を行かれている以上、ここを更地にしたところでまた逃げられるのがオチか)
埒のあかない展開に、ローグは舌打ちをした。
(なら、アレでいくか……)
(思ったより力が入って外しちゃったな)
ヒュースは足音が立たない最大限の速度で、廃墟の陰を移動していた。その手には先ほど投擲した時と同様の、拳程度の瓦礫を掴んでいる。
(けど、焦りは禁物。辺り一帯を雷で一掃しても、同じようなフィールドはこのエリアにはいくらでもある。ヒヒッ、じっくりといたぶって殺してやる……!)
ローグの後方へと回り込んだヒュース。瓦礫を持った右腕の筋肉を膨張させて、投擲の体勢に入った。
「……⁉」
しかし、彼はピタリと動きを止めた。
視線の先の男が、新たな魔法を発動しようとしていたからだ。
「――“神衣雷纏”、【若雷】」
魔法詠唱の呟きと共に、今度はローグの全身に雷が迸った。
(べ、別の魔法⁉一つだけじゃなかったのか……!アイツ、この短期間で一体いくつ発現させたんだ⁉)
ローグの異常な魔法発現速度を目の当たりにし、ヒュースは今すぐ瓦礫で頭蓋をぶつけ割ってやりたい衝動に駆られる。
未知の魔法を発動したローグに対して、迂闊に攻撃するべきでないことはわかっている。だがそれ以上に、不快な姿を見たくないという気持ちの方が強かった。
(クソ!目障りなんだよ!)
ヒュースは殺意を込めて瓦礫を投げ放った。今回は狙い通り、一直線にローグの後頭部へと突き進む。
完全な死角。加えてそのスピード。
まず間違いなく、人が避けられる攻撃ではない。
――しかし、目にも止まらぬ速さで振り返ったローグは、投擲された瓦礫をいとも容易く掴み取った。
「な⁉」
「――そこか」
ヒュースを視界に捉えると、掴んだ瓦礫を粉々に握り潰すや雷光と共に姿を消す。
(消え――)
ローグの姿が消えたことを認識した瞬間には既に、ヒュースの顔面に強烈な蹴りが叩き込まれていた。
「ごッ……!」
異形の体が藁クズのように蹴り飛ばされ、地面を何度も跳ね転がる。蹴られた場所から八十メートルほどの地点まで転がったところでようやく止まった。
「ぐ……ああ……あッ」
【怪物混成】状態で悶絶するなど、初めての経験だった。
強靭な皮膚と筋肉で覆われていたはずであるのに、それらがまるで意味を成さない威力の打撃。
だが、何よりも問題なのはその速度だ。
(何だあのスピードは⁉俺よりも遙かに……速い!)
頼みの速度でも上を行かれた。さらに、障害物のない開けた場所に移動させられたことで、既にヒュースの勝ち目は限りなく薄くなっていた。
「よう」
「⁉」
いつの間にか、全身に雷を纏ったローグがうつ伏せで倒れているヒュースの目の前にいた。
(まったく見えない……!)
「正直、素手の喧嘩なんてガキの時以来だ。魔法に頼ってばかりいたせいで、この魔法の力の三割も引き出せねえ」
ローグ=ウォースパイトの新たな第三の魔法、【若雷】。
体外に纏った雷で強制的に体を動かし、神種に匹敵する身体能力を人に強要させる魔法。決して彼自身の身体能力が上がったわけではないため、体への負担は多大である。
ちなみに、イザクの戦いぶりに感化されて発現したのだが、そのことはローグにとってかなり恥ずかしかっため墓場まで持っていくつもりだった。
「あんまりこの魔法を長いこと使いたくないんだ。そろそろ終わりにしようや」
「ま、待って……!」
ヒュースはそう言うと、自身の体で隠しながら右腕を鋭い鎌に変化させていく。アイリスに向けて使った『グロウマンティス』の腕だ。
(隙を見て、この鎌で喉元を掻っ切ってやる。まずはコイツを油断させなければ)
「命乞いか?散々他人を殺そうとしておいて、随分都合がいいな」
「ハハ……、悪いことをしたと思ってるよ。アンタにも、あの女たちにも。……だからさ、俺の八豪傑の地位を譲ってあげるから、見逃してよ」
「……あ?」
「わかってるんだよ。本当は戻りたいんだろ?俺を見逃してくれたら、マスターに口添えしてあげるからさ」
「…………」
ローグは少し考え込むように、ポリポリと顎を掻いて、
「……その話、本当だろうな?」
その言葉に、ヒュースは内心ほくそ笑む。
「もちろんですよ、ローグさん」
「そうか……。なら、見逃してやるから、しっかりあのジジイに伝えておいてくれ。じゃあな」
そう言って、ローグは踵を返した。
瞬間、ヒュースは凄絶な笑みを浮かべて、背後から襲い掛かる。
(バカが!死ね!)
ローグはまったく反応していない。完全に不意をついた。
(殺った――!)
そして、首筋に迫る鋭い鎌が、ギラリと輝いた。
――雷光の閃きによって。
「は――?」
鎌が虚空を切り裂き、ヒュースの不意打ちは失敗に終わった。
「――んな話に乗るか、バーカ」
「ッ⁉」
その声はヒュースの背後から聞こえてきた。
【若雷】の強制運動によって、ローグは一瞬にして回り込んだのだ。
「待っ」
「もう待たねえよッ!」
そう声を荒げたローグは、渾身の力を込めて脇腹に右回し蹴りをぶち込んだ。
「がァはッ!」
ヒュースの体が鈍い音を掻き鳴らしながら、くの字に折れ曲がる。
「オオオラアアアアアッ!」
ドン!と砲弾のようにヒュースの体が飛んだ。今回は、先ほど蹴り飛ばされた時の比ではない。廃墟をいくつもぶち破りながら、百メートル以上の飛距離を出す。
ようやく彼の体が制止した時、意識は既になく、瓦礫の山の上で仰向けに倒れ伏していた。
ローグは【若雷】を解除して、静かに呟く。
「……俺に拘り過ぎるから、お前はいつまでも成長できねえんだよ、バカ」
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『52話 愚かな後輩へ贈る』に続く
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