36話 リザVSギャロン
第517【異界迷宮】の遺跡エリアに爆音が炸裂する。
それは、小柄な少女リザ=キッドマンと屈強な大男ギャロン=ホールズが繰り広げる、熾烈な戦闘による音だ。
「【鋼鉄の鏢弾】ッ!」
ギャロンの掌から、先が尖った漆黒の鉄塊が発射される。
銃のように火薬の爆発がないにも関わらず、初速が異常に速い。
しかし、極限まで鍛え上げられたリザの動体視力ならば、回避は容易い――はずだった。
鉄塊は回避行動をとったリザの肩を掠める。
体表面の一部が抉られ、小さく血飛沫が舞う。
「ぐう……ッ!」
「ハハァッ!さっきまでの威勢はどうしたァ!この俺にビビって、腰でも抜かしたかァ⁉」
ギャロンがわかりやすく挑発するも、リザは怒りも見せずに言い返さない。
いや、正確には言い返す余裕がない。
彼女は今、困惑の最中にあった。
(さっきから何⁉体がおかしい……!)
リザの異変は目に見えて明らかだった。
体がはっきりと紅潮し、異様なまでに発汗している。加えて、頭痛、目眩、動悸、呼吸困難など様々な症状に見舞われていた。
それは、誰しもが起こり得る現象、その名も急性アルコール中毒。
原因は先ほど巻き込まれたワインの濁流にある。
体の至る所にあった傷口の一つから、アルコールが血管内に侵入。それにより、リザの体は重度の中毒症状を起こしていた。
「何よこれ……ッ!クソ……!」
最早、まともに立つことすら困難な状態だ。無論、戦闘など行えるはずもない。
だからといって、敵が見逃してくれるはずもなかった。
「【鋼鉄の戦斧】!」
ギャロンの両手に、大きな黒鉄の斧が握られた。距離を取った撃ち合いでは長引くと判断し、接近戦へと切り替えたのだ。
大男はその体格に似合わぬ脚力で、リザとの間を詰めていく。
もちろん、みすみす接近を許すリザではない。
得意の早撃ちで迎撃を試みる。が、当たらない。三半規管の異常によって照準大きく狂わされる。
「どこ狙ってんだァ、ヘタクソがァッ!」
ギャロンの身の丈よりも長いその得物が、荒々しく振り下ろされた。
地面が大きく裂かれ、粉塵が瀑布を逆さにしたように激しく舞い上がる。
どうにか横っ飛びで回避したリザだったが、その威力に戦慄せざるを得なかった。
「チッ、穴は空けられねェか。どんな攻撃をすれば、向こうみてェな穴ができんだよ」
離れた場所にあるポッカリと空いた大穴に目を向けながらぼやくギャロン。
その隙に、土煙に紛れてリザが迫っていく。彼女の動きはよろよろとしていて、軽く小突いただけでも転んでしまいそうなほど不安定だ。
(ああ、気持ち悪い……。このまま長引かせるのはこっちも御免だわ)
込み上げる吐き気が、不安定な動きを助長させる。だが、彼女は足を止めない。
これから繰り出そうとする一撃に、すべてを込めるつもりでいたからだ。
(当たらないなら、絶対に当たる距離まで近づけばいい……!)
土煙からリザが飛び出し、ついに目の前にギャロンの姿を捉えた。その距離、僅かに1メートル。素人が銃を扱ったとしても、まず外さない距離だ。
さらに、
「――【整理整頓】」
両拳銃の次弾に装填したのは、発砲と同時に十数発の小さな弾丸が散る魔弾、拡散弾。
確実にこの攻撃で仕留めるために、リザは万全を期したのだ。
「終わりだ……ッ」
「ッ!【鋼鉄の皮甲】ッ!」
ギャロンが何らかの魔法を唱えた声を聞いたが、リザは構わず引き金を引いた。
ドバババババンッ‼と弾けるような音が連続で響き渡る。
ほぼゼロ距離での早撃ち。そして、視界を埋め尽くすほどの銃弾の嵐。
間違いなく、ギャロンは蜂の巣になったことだろう。
勝った。リザがそう確信していられたのは、僅か二秒にも満たなかった。
「な……ッ!」
驚く声が、リザの口から漏れ出す。
その視線の先には、全身の皮膚を光沢のある黒一色で塗りつぶしたギャロンが薄ら笑いを浮かべていた。
彼の体には、傷一つ見当たらない。
「悪かったなァ。この魔法がある限り、俺に魔弾なんぞは通用しねェ」
ギャロンの皮膚表面は、一部の隙間もなく薄い黒鉄で覆い尽くされていた。
【鋼鉄の皮甲】。全身が鎧であると同時に、全身が凶器となる、攻防一体の魔法だ。
「初めから貴様の負け戦だったんだよ」
「……ッ!」
リザはガクガクと膝を揺らしたかと思えば、ついに立つことさえままならなくなった。前のめりに、ギャロンへもたれるように倒れ込む。
「あァ?何なんだ?」
「う……」
赤い髪を引っ張るようにリザの顔を引き上げたギャロンは、彼女の異常に眉をひそめた。
目の焦点が合っておらず、顔が異常に赤らんでいることからアルコール中毒となっていることを推測する。
「そうか……。このエリアを浸している水、酒だったか。ここで何があったか知らんが、よくその状態で息巻けたものだなァッ!」
声を荒げて、リザの腹に鉄を纏った拳を捻じ込む。
「おぐッ‼」
リザは胃の内容物をぶちまけそうになったが、どうにか抑え込んだ。
朦朧とした意識の彼女に、ギャロンはさらに凶器と化した拳をぶつける。鮮血を飛び散らしながら、二度三度、そして四度と。
血に塗れたリザの顔面を見て、髪を右半分だけ刈った男は壮絶な笑みを浮かべた。
「ハハハハハァッ‼最高に気分が良いィ!存分に暴力を振るうって楽しいなァ‼嬢ちゃんはどんな気分だァ⁉」
その狂った問いに、リザは血が混じった唾液を吐きかけることで返した。
そして、掠れた声で、
「……くたばれ」
「ハ、肝の据わったガキだ……」
そう呟いて、ギャロンが拳を振り上げた。
その瞬間、
コツン、と彼の背中に瓦礫の破片がぶつかった。
「ん?」
ギャロンが眉根を寄せて振り返る。
そこには、土のような血色をしたアイリス=グッドホープが立っていた。
「リザさんを……放してください」
一見弱々しいが、彼女の瞳は力強く、驚くほどにまっすぐだ。
その姿に、ギャロンの心が揺れた。
彼はリザをその場で投げ捨てると、体をアイリスの方へと向ける。
「やめろよ……。そんな顔を見せられちゃあよォ……、ブッ壊したくなるじゃねェかよォッ‼」
鉄を纏ったギャロンは、息を荒げ、興奮しきった顔でアイリスへと近づいていく。
ヒュースのみならず、この男もまた狂気を内包する冒険者であった。
だからこそ、弱肉強食の【豪傑達の砦】に十五年もの間、在籍し続けることができたのかもしれない。
遠ざかっていく漆黒の男の背中を、リザはうっすらとした意識のまま見つめていた。
大きなハンデを背負っていたとはいえ、こんな奴に勝てなかったという悔しさが込み上げる。
加えて、新しくできた友人を目の前で殺されてしまうことが、悔しくてたまらない。
――否、そんなことは断じてあってはならない。悔しさだけで終わらせていいわけなどないのだ。
(ハァ……?ふざけんな。殺させるわけ……ないでしょうが……!)
リザ=キッドマンは立ち上がる。
友の為に。そして、何よりも己のプライドの為に。
(友達の一人も守れませんでしたなんてクソダサいこと、死んでも言いたくない!)
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『37話 最強の魔弾』に続く
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